引き続き、12月の森リン大賞を発表します。
スペースの関係上、代表作1点しか表示していませんが、上位に入っている作品はどれも力作です。
得点が同点の場合は、表現点(語彙の多様性)の高い作品の方が上位になっています。
※ 中1の1位の作品は優れていましたが、要約の部分も含まれていたので、代表作品としては掲載しませんでした。
次回から、清書にする際は、要約は省略するか、自分の言葉に直して説明する形にしておいてください。
12月の森リン大賞(中1の部78人中)
言葉の意味
ハッピー・クローバー
私は、実態に合わせて言葉を変えていくべきでなく、もとの意味を大切にするべきだと思う。その理由は二つある。
第一の理由は、一々言葉を変えていたら、混乱が起こり、何だか分からなくなるからだ。最近では、カタカナや英語などで表す言葉が多くなったり、若者がよく使うような言葉が増えた。例えば、女子高生のことを「JK」 と表したり、空気が読めないことを「KY]と表したり、考えていくときりがない。私もよく、女子中学生のことを「JC」といったり、プロフィールのことを「プロフ」と略したりする。周りもみんな、普通の日常生活で使っている。でも母に、そういう言葉を使っていると、「何それ?」といわれることも多々ある。今、私達が普通に使っている言葉でも、相手を混乱させてしまっているかもしれない。
先程述べた、プロフィールという言葉も、元々は自己紹介という意味だが、そういう若者の言葉で、一番気になるのが、「リスペクト」という言葉だ。「リスペクト」というのは、尊敬という意味だ。でも、
「尊敬しています。」
と言うのと、
「リスペクトしています。」
というのでは、感じ方が違うのではないだろうか。前者は、敬うっている様子が、とてもよく感じとれる。それに対し、後者は、あまり尊ぶ気持ちや敬っている気持ちが伝わりにくい。それに年配の方など、「リスペクト」という言葉自体分からなければ、混乱や、誤解をも招いてしまうかもしれない。だからやはり、言葉は変えるべきではない。
第二の理由は、日本の文化や歴史に根づいた言葉は、慣れ親しんでいて、愛着があるからだ。ここ七年ぐらい、市町村の合ぺいが、相次いで、色々なところで行われている。山梨県にある、南アルプス市も、六年前に合ぺいした市だ。でも、この南アルプス市は、今までの市町村の名前と違い、カタカナで表されている部分がある。確かにそのほうが、みんなに覚えてもらうには、覚えやすいかもしれない。だが、元の市町村の名前にだって、色々な文化や歴史がある。昔から住んでいた人には、慣れ親しんできた地名である。それを、覚えやすい、分かりやすいからといって、カタカナの名前にするのは、少し問題があると思う。これと同じで、言葉だって、昔から慣れ親しんできたのに、それを実態に合わせて変えるのはどうかと思う。
こんなデータがある。外国語の定着度調査における理解度では、例えば「バックアップ」という言葉だと、七十六パーセントだ。でも、「コラボレーション」という言葉では、十八パーセントだ。やはり、元々の慣れ親しんだ言葉でないと、慣れるまでに時間もかかり、混乱も招く。
確かに、実態と言葉があっていれば分かりやすい。ずっと変わらないままも、おかしい気もする。しかし、「自分の心のうちに持っていないものは、何一つ自分の財産ではない。」という名言もあるように、自分が慣れ親しんだ言葉を使ったほうが、実感がわくし、語源も分かる。私はこれから、若者の言葉でも、元々の意味を考え、大切にしながらつっかていきたいと思う。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● 言葉 ピプリー 91 1289 64 80 87 92 2 位 ● 言葉の意味 ハッピー・クローバー 88 1258 61 65 81 93 3 位 ● “生”と“死” hikari 87 1327 59 77 87 86 4 位 ● 締め切りで成長 なまず大使 87 1201 68 69 75 86 5 位 ● 人間は締め切りがないと、必死になれない!! フラワ 85 1065 58 75 86 87 6 位 ● 他人に迷惑をかけない 201系 85 1249 53 67 83 89 7 位 ● 二足歩行 ひよこ 85 1114 54 68 75 96 8 位 ● 平等の上に成り立つ行列 きとみ 84 1390 59 63 71 89
12月の森リン大賞(中2の部80人中)
all for one,one for all
ハーマイオニー
宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートは、宇宙空間で仕事をしているとき、機械の故障のため数分間何もしない時間を持った。そのとき地球を見て、「自分は『私』ではなく、地球の全生命の過去と未来を含めた『我々』なのだ」という意識を持ったという。シュワイカートが宇宙空間で体験したこの個体意識から地球意識への脱皮は、今すべての人々に求められているのではないか。
確かに、自分の利益を考えることは当然だろう。人間はみな、富や名声、地位に対する欲望がある。自分が認められたい、自分が褒められたい、自分が目立ちたいと考えているものだ。私は長年クラシックバレエを習っていた。体験時、やや大げさに褒められて以来、すっかりバレエに夢中になった。最初の発表会、私は、いきなりセンターで踊らせてもらい、ますます調子に乗った。今思えば井の中の蛙だったが、気分良く熱心に練習したので、実際上達も早かったと思う。振り付けの覚えが速いと感心されたので、いつの間にかそれが自分の役割のように思え、人の振り付けまで覚えるようになっていた。事実、舞台に向けた稽古の中で、私は不在のメンバーに代わって踊り、役立つことができた。しかし、レベルが上がるにつれ、レッスンも厳しくなったし、オーディションに参加するなどして、上には上がいることも知った。ポジション争いも熾烈になった。上手な子には負けず嫌いな気の強い子が多く、おそらく誰もが「私が私が」と考えていたはずだ。だがそのエネルギーは、公演本番に向かって一つにまとまる力ともなった。皆が自分の技術を磨くことによって、全体のレベルアップにも繋がったのだ。このように、一人ひとりが自分のためを考えることによって、全体の利益に繋がるということもある。
しかし、全体を見通し、その利益を考えることも必要だ。昔話の「桃太郎」でも、桃太郎が鬼退治に行ったのは、何も自分がヒーローになりたかったわけではなく、村全体の平和を考えたからにちがいない。犬や猿や雉もきび団子一つ貰いたいためだけに命をかけた戦いに向かって行きはしなかっただろう。私も桃太郎やシュワイカートのような崇高な気持ちとは言えないが、最近の体験で、自分のことは二の次で全体の成功を考えたことがある。今年の体育祭のメイポールだ。これは、「私が目立つ!」などと思っていてはとても出来るものではない。個の意識は抑え、一つのリボンの正確な頂点となり、声を出しながら周囲と歩調を合わせて動いていく。それはクラスのためでもあり、学年全体のためでもあり、また学校の伝統のためでもあった。(私の中から「学校の伝統のため」などという言葉が出てくること自体、自分でも驚きである。)本番で成功したときには、全員で歓喜に酔いしれた。人類みな兄弟といった気分だった。私はまさに、過去も未来も含めた「私たち」だったのだ。この経験によって、私個人の考え方や物事の捉え方も深まったように思う。つまり、みんなのために、とやったことは結局自分のプラスにもなると言えるのではないか。
このように、自分の利益を考えることも全体の利益を考えることも大切だ。しかし、「私たちの幸福が、ほかの人々の不幸に支えられているのであってはならない」という名言がある。最も大切なことは、自分の利益の追求が他の人々の利益にも結び付くような社会を作ることではないだろうか。「one for all」の「one」になるのは、意外に心地よい経験だった。「all for one」と「one for all」は、反対の意味ではなく、一つの真実の表と裏なのかもしれない。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● all for one,one for all ハーマイオニー 91 1481 64 78 89 89 2 位 ● 人生の司 おむふ 90 1554 78 74 100 86 3 位 ● 言葉の行動 かはふ 84 1245 54 57 76 86 4 位 ● 全体の利益 ショウ 83 1062 54 68 79 87 5 位 ● 言葉の大切さ ファラオ 83 1189 52 64 79 90 6 位 ● 悪いのは使い方 コーギー 83 1236 49 62 78 90 7 位 ● 人間にとって必要なのは 音楽大好き少年 83 1132 52 54 68 95 8 位 ● 並んだだけの価値 嵐ちゃん 82 1427 57 78 98 86 9 位 ● 行動は snow boy 82 1322 53 54 64 84 10 位 ● 自己暗示の効果 サニー 81 1340 51 86 95 90
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12月の森リン大賞を発表します。
これは、言葉の森の生徒が書いた12月の清書のうち、森リンで上位の点数をとった作品です。
小1から小4までは、他の人の作品を見て参考にするよりも、自分なりに楽しく書いていくことが大事なので、上位の作品は表示していません。しかし、いずれも楽しく個性に満ちた作品ばかりでした。
なお、得点が同点の場合は、表現点(語彙の多様性)の高い作品の方が上位になっています。
12月の森リン大賞と上位入賞者(小1の部61人中)
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● おにごっこ きちね 60 240 42 43 53 81 2 位 ● ビックリドッキリマウンテン クリーム 60 426 39 49 52 87 3 位 ● ゆめのケーキ パンダ 60 403 42 43 52 86 4 位 ● スパリゾートハワイアンズにいったこと アリス 60 522 37 43 50 96 5 位 ● 元気よく手をふってくれたサンタダイバー とらたいがくん 60 418 38 44 49 96 6 位 ● クリスマスかい おはなちゃん 59 662 39 43 54 81 7 位 ● たのしいたのしいクリスマスかい きとめ 59 314 38 43 52 80 8 位 ● ロボットきょうしつ トム 59 368 41 43 50 81
12月の森リン大賞と上位入賞者(小2の部95人中)
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● 鉄道博物館 タカ 74 790 38 91 89 87 2 位 ● チャレンジ走のれんしゅう きそお 65 386 39 46 62 83 3 位 ● 学校でのクリスマス会 きそひ 65 492 37 44 58 90 4 位 ● 危ない。火事になるところだった あかりんご 65 510 38 45 58 90 5 位 ● 「あはみ」たんけんたい はーちゃん 64 679 38 44 58 87 6 位 ● ひいおばあちゃんのおそうしき パルキア 64 398 37 45 58 87 7 位 ● 来年がんばりたいこと ゆまちゃん 64 348 44 45 58 90
12月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部131人中)
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● ぼくとマイケル・フェルプスの集中力 ダイヤモンド 71 546 47 56 75 89 2 位 ● キャ~!すいそばくだんだ~! メゾピアノ 70 1020 47 47 74 81 3 位 ● 大好き!美由貴ちゃん ねいろ 70 831 41 51 67 86 4 位 ● かんさつしてこつがつかめた しゅわきち 70 497 52 52 67 86 5 位 ● 私ととても仲のいい友だち スヌーピー 70 667 42 47 65 86 6 位 ● 秘密話 MANCHESTER U 70 1150 43 58 64 83 7 位 ● ムシャムシャ 海太郎 69 603 39 51 68 84 8 位 ● 虫めがねでこがす色画用紙 さやか 69 877 39 48 66 83 9 位 ● ひみつのモルモット なるちゃん 69 712 38 49 62 89
12月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部130人中)
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● ゴルフクラブでもらったカニー なぞのたびびと 76 759 42 62 75 90 2 位 ● ぼくがしているスポーツ トレジャーハンター 76 799 43 63 71 93 3 位 ● 努力の意味 ビクトリア 76 1214 51 57 67 84 4 位 ● 大切な物 ルイス 75 687 48 55 82 90 5 位 ● 私の古い宝物 枕草子 75 721 42 64 82 73 6 位 ● 僕が大切にしているもの コーカサウルス 75 867 58 50 65 81 7 位 ● ぼくの母さんは黄色いタオル ネッシー 74 764 48 50 78 83 8 位 ● がんばる!水泳 まーりん 74 1001 43 49 77 89 9 位 ● 三つぶの豆のゆくえ リラックマ 74 974 46 50 74 87
12月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部142人中)
ハロウィンパーティー
ひろみ
教室がまるで夢の国のようになっていた。魔法使いがいると思えば占い師もいるし、おばけみたいなのもいる。テーブルにはケーキがならんでいる。それらに変身しているのは五年三組の生徒達だった。私達はその日、ハロウィンパーティーをしていた。「仮装コンクール」をしたりケーキを作ったりするのだ。私は朝からケーキ作りを楽しみにしていた。
完成したケーキを思いうかべながら、まず卵をわった。次に牛乳とさとうを入れてかきまぜる。そして、ホットケーキミックスという粉を入れる。この粉を入れるとどんなケーキでも簡単にできてしまうという魔法の粉なのだ。私は家でこれを使って、バナナケーキやチョコチップケーキやチーズ風ケーキを作ってみたことがあるがどれもはずれがなかった。さらにドライフルーツと手作りのかぼちゃを入れるのだ。最後に焼けば出来上がりだ。
でも焼くのには時間がかかるので、その間に一限授業を受けなければならなかった。その授業の時はこころなしかみんな集中できていないような気がした。たった四十五分のことなのにゆっくりゆっくり時間が流れていくのだ。時間がとまっているかのようだった。
「キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン」
長かった授業もやっと終わった。私は急いで家庭科室へむかった。家庭科室に入るとケーキのこうばしいにおいがつうんと鼻をさした。気持ちがたかぶってきていた。そこに生クリームをそえて食べてみると顔が思わずほころんだ。みんな口をそろえて言った「おいしい」と。
学校で食べるからひときわ美味しいのだと思う。ふだんとちがう点はもう一つあるのではないか。それは仮装をしている点だ。どことなく楽しいふいん気になるからではないだろうか。給食台の近くに行列ができていたので、何事かとのぞいてみたら・・・。その光景にはびっくりしてしまった。いくら生クリームが好きといっても・・・。私は、ボールについている生クリームを指ですくってなめるのは、遠慮しておこうと思った。
やっぱり料理を食べる時には楽しいふいんきが必要だと思った。少しばかり口にあわないものでもそれさえあれば美味しくなる。ふいんきは調味料だ。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● ハロウィンパーティー ひろみ 80 904 43 69 87 86 2 位 ● 日本とアメリカの文化のちがい ピロシ 79 1153 53 63 82 90 3 位 ● すっぱい食感降参します…… まかじろう 78 1203 43 75 103 87 4 位 ● ぼくの好き嫌い かえるのぴょん 77 901 41 54 82 86 5 位 ● お弁当とお給食 クローバー 77 1065 38 56 71 80 6 位 ● おいしさのひみつ ゆうと 77 943 46 52 66 86 7 位 ● 心がこもった手紙とは みいちゃん 77 941 44 57 66 86 8 位 ● イメージによって けん 76 916 42 56 75 79
※ 小6の1位と2位の作品はそれぞれ優れていましたが、要約の部分も含まれていたので、代表作品としては掲載しませんでした。
次回から、清書にする際は、要約は省略するか、自分の言葉に直して説明する形にしておいてください。
12月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部147人中)
夢中になる程、好きなもの
マーブルチョコレート
私が今、夢中になっているものは「読書」と「小説を書くこと」である。なぜなら、私の将来の夢が小説家で誰もが楽しめるような物語を書けたらいいなと思っているからである。私の場合だと、もしかしたら資源の鉱脈を発見できたのかもしれない。
読書も、物語を書くのも、私は小さい頃から好きだった。年が増えていくごとに、私の趣味に対する夢中度も上がっていった。これらなら、食わず寝ずで二十四時間ずっと行い続けることが、出来そうな気がしてくる。みんなから、とても人気のある小説家さんや作家さんたちには、人をひきつけるような素敵な文章力がある。まだ、小六の私だが、自分だけの文章が書けるようになりたいと思っている。また、読書なら誰にも負けないと言い切れる自信がある。どんなに周りが騒がしくてうるさいとき
でも、集中して読書をすることができる。なぜなら、私は読書に限らず集中しているときだと、勝手に耳が周りの声をシャットダウンしてくれているらしいからだ。こういうときには便利だが、それが反対の結果を示すときもある。学校があるときの朝には、いつも「読書の時間」というのがある。読書好きにはたまらない至福の時間のため、私は一ページでも多く読もうと集中して読書をしている読書の時間が終わり、
「読書をするのをやめてください。」
と先生に言われても、私の耳はシャットダウンしていてその声は聞こえない。だから、いつも友達に注意されてやっと気付くのである。
ここ最近、CDの人気曲ナンバーワンを連続でとっているあの有名な歌手マイケル・ジャクソン。謎の死をとげたマイケル・ジャクソンは、ムーンウォークで世界中から天才だと誉めたたえられていた。しかし、本当はマイケル・ジャクソンは裏で必死にダンスや歌の練習をしていたらしい。なんと、その時間は十時間以上!そんな長い時間を費やして練習していたマイケル・ジャクソンはそれほど、ダンスや歌が好きで好きでたまらなかったのだろう。私はほんのお遊びでならダンスも歌も好きだが、マイケル・ジャクソンと同じように十時間以上もやっていると、体も頭も変になってしまうだろう。そんなマイケル・ジャクソンはやはり天才で、あんなに夢中になれるなんてすごいと思う。
人にとって、夢中になれるものがあるということは、人生がもっと楽しくなるということである。小さいときから夢中になれるものを、ずっと続けていれば、それはかならず実をむすぶことになる。誰だって持っている「夢中になれるもの」。これを見つけて、人生に少し余裕を持って生きていけたらいいと思った。好きこそものの上手なれ、ということわざのように、みんなも好きなものがあるから、それを大切にしていけたらいいと思う。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体 1 位 ● 性格と資質 バービー 85 1444 52 76 81 86 2 位 ● 勉強とは? きちこ 85 1070 57 74 80 80 3 位 ● 夢中になる程、好きなもの マーブルチョコレート 84 1131 51 72 74 87 4 位 ● 勉強の在り方 ことのは 84 1565 59 60 68 89 5 位 ● 好きなもの、嫌いなもの サッカー少年 83 1117 56 56 74 83 6 位 ● 自分だけのもの sha hui 83 1149 49 61 70 89 7 位 ● やればやるほど勉強は好きになる きらり 82 1175 54 56 67 83 8 位 ● コーンスターチ こんぺいとう 80 877 46 72 84 87 9 位 ● 朝ねぼう 麻衣 80 951 43 64 80 83
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老大国とは、老人大国ではありません。確かに老人の数は多いでしょうが、単に量的なことではなく、質的に高度に洗練された老文化を頂点として社会のあらゆる文化、経済、政治が統合されている国ということです。
老文化とは、老によって支えられている文化です。そこで描かれるイメージは、老人が深い知識と経験と哲学を持って多くの人から尊敬され、自ずから社会の精神的なリーダーとなって存在している姿です。
国際社会における日本の未来像を考える場合、大事なことは日本に現在あり余っているものを活用し、日本に不足しているものを避けるという発想することです。足りないもの求め、余っているものを無駄に使うという発想をするべきではありません。日本に余っているものは、日本語、老人、歴史と文化などです。日本に足りないものは、若年人口とハングリー精神です。
足りないもの求めることはわかりやすいので、多くの人がそこに未来を求めようとします。しかし、それは、大量の移民を受け入れたり、競争を激化させて活力を生む方向に日本の未来を持っていくことになります。
未来は、単純な過去の延長にはありません。かつて日本が高度成長でなしとげたような工業の時代は歴史的に終わりつつあります。工業社会の代表である自動車産業も、すでに自動車が日常商品化する中で、かつてのような成長力を持つ分野ではなくなっています。それは、古い公共事業のように、すでに形成されている固定化した産業の裾野を潤すだけで、新たな乗数効果を生み出さないのです。
しかし、工業の時代が終わったあとに来るのが金融の時代だというのではありません。金融の時代は、文化の蓄積のない社会が、あり余っているマネーに目を奪われて作り出した虚構の時代です。
工業の時代のあとに来るのは、新しい創造のマーケットによって支えられる文化の時代です。それは、江戸時代に生まれたマーケットに似ています。お茶やお花の文化、和歌の文化、その他江戸時代に生まれた多くの洗練された文化は、実は老人、熟練者、ベテラン、年季の入った人々によって担われていた文化でした。
日本が高齢化するのと同様に、アジアも急速に高齢化が進んでいます。日本はアジアより一足先に尊敬される老大国になればよいというのが日本の社会の大きな未来図なのです。
経済の面から比較してみましょう。
若者が、10時間働いて1万円の収入を得て、2万円の工業製品を作る社会があったとします。その若者が5人集まれば、10万円の工業製品ができます。しかし、この仕組みは、資本さえあれば誰でもできる仕組みであるため、常に激しい競争に置かれています。その工業製品によって生まれた裾野が広がりますが、その裾野もやはりコストと性能の面で常に競争に置かれています。
それに対して、次のような社会もあります。老人が、1時間働いて、5万円の収入を得て10万円の茶碗を作るというような経済を持つ社会です。この仕組みは、老人の個性と熟練に依拠しているため、他の人は真似をすることができません。したがって、そこから広がる裾野もやはり個性と人的なつながりでできたもので、他人では代替することができません。
もし、ある国の若者が10時間働いて1万円もらって2万円の工業製品を作るような世界で、ほかの国の裕福な若者が、5時間働いて2万円もらおうと思うような形で作る工業製品は、当然競争に負けていきます。かくして、裕福な国では機械化が進みますが、機械化は雇用を増やしません。だから、日本の若者は、工業製品で人件費の安い国に立ち向かうよりも、老文化の裾野を形成するような方向で働いていくべきなのです。
その条件は、実は少子化です。少子化により日本には真の英才教育が可能になる社会が生まれています。そして、このような形で成長した若者は、いずれ年をとって新たな老文化の山頂を形成するでしょう。
では、その老文化とは、現代にお茶やお花を復活させることなのでしょうか。そうではありません。21世紀にふさわしい老文化を創造的に作ることなのです。
その文化は、叡智の文化というような言葉でも言い表せるものです。ドラッカーは、90代でなお未来の提言を行いました。貝原益軒もやはり80代で人間に関する深い洞察に満ちた書物を著しました。このような老人の叡智に若者は追いつくことができません。それが、知識産業の時代の特徴です。つまり、知恵と経験と知識の統合こそが老大国の文化となるのです。
老人は自分の専門を深く究めていくことで新しい文化を創造します。そこには、手工芸の分野もあるでしょう。演劇の分野もあるでしょう。小説や絵画や音楽や彫刻や書道や剣道や弓道や動植物の飼育や、新しい感覚に訴える芸術の創造や、詩や短歌や漫画などの分野もあるでしょう。今はまだ生まれていないような新しい分野も含めて、百花繚乱の文化が咲き誇る尊敬される老大国が日本の将来の姿です。
日本文化の特徴は、これらの多様な老文化がすべて道化(みちか)され哲学化され思想化されていくところにあります。つまり、単なる職人芸を究めるのではなく、その職人芸が一つの道として成り立つような文化となるのです。この道化(みちか)ということの中に日本文化の神髄があります。
日本文化は、シンプルで、宇宙の叡智につながり、自然と共存し、無私の精神を持つという方向に進む傾向があります。これが、利害や得失や勝敗や強弱という現実的なところに収斂しがちな他国の文化との違いです。
だから、日本文化を守るとは、守るような実体を持たない日本文化を探して固定化することではなく、日本文化を作ることなのです。日本文化とは、日本刀でも浮世絵でも和服でも日本料理でもありません。それらの実体を通してより高い境地を目指そうとする志です。
日本文化とは、博物館のように物として守られるものではなく、志を生きることなのです。志を生きることとは、免状を手に入れることではなく、同じ志を生きる人の間にあって生きることです。だから、日本におけるリーダーは、単に最高点にいる人ではなく、最高点で志に生きている人でなければなりません。そこに老大国の尊敬の源泉があります。
熟練し、かつ志に生きる老人がさまざまな文化の山頂を形成し、その裾野を英才教育によって育てられた優れた少子化の若者が支えていくというのが日本の社会の未来の姿になると思います。
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ハワイで作文教室を開いているあお先生から、教室新聞が届きました。
そのあお先生がハワイで開いたイラストの作品展がyoutubeで見られます。
(最後の方の画面で頭にレイをつけて登場するのがあお先生です)
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■独自の教材
言葉の森の特徴は、独自の教材を開発していることです。ですから、公立中高一貫校の受験作文の課題などについても、すぐにその傾向に合わせた問題を準備することができます。
大学入試でも、以前はかなり特殊な小論文対策の要望がありました。写真や建築や絵画や音楽の分野で出されるような小論文の問題を作ってほしいというものです。さすがに、今は手間がかかるのでよほどのことがないかぎりそういう要望はお断りしていますが、当時作った教材が受験作文小論文のページに多数残っています。
言葉の森が30年前にスタートするとき、作文指導の分野ではそれまではっきりした評価や進歩の基準がなかったため、言葉の森では最初に指導のカリキュラムを作ることから始めました。まず、作文というものの構造を、構成、題材、表現、主題、表記の5つの分野に分けました。そのそれぞれの分野について、小1から高3までどういう指導をしていくかという流れを作ったのです。
こういう根本的な仕組みができているので、作文指導については、どのような要望にも即座に対応できる体制ができています。
■小1から高3までの指導
言葉の森では、小1から高3までの一貫した指導を行っています。
普通、小学生の作文指導は、小学校の間だけを目標としたものになりがちで、その先の中学生でどのような作文力が必要になるかということまで考えられていません。そのため、小学校の作文は、出来事中心の作文でいかに上手に書くかというものになってしまうことが多いのです。
小学生のころに出来事中心の作文で上手に書けた子が、そのまま中学や高校でも上手に書けるかというと、そういうことはありません。逆に、小学生のころは特に注目されなかったような平凡な文章を書いていた子が、中学、高校と学年が上がるにつれて読み応えのある小論文を書いていくようになることがあります。
文章のジャンルが違えば、当然そこに必要とされる語彙や表現や考え方や構成の仕方も違ってきます。言葉の森では、そういうジャンルの違いも含めて、一貫した作文指導を行っているのです。
そのため、小学生の間に、時に難しすぎる課題を出す場合もあります。例えば、小学3年生で感想文指導を始めることや、小学5年生から難度の高い説明文を読ませて感想文を書かせるような指導をすることです。
普通の通信指導では、このような難しい課題を出せば、ほとんどの子はお手上げ状態になります。しかし、言葉の森には電話指導があるので、その生徒の担当の講師が、生徒の電話での反応を見ながらわかるレベルまで噛み砕いて説明します。また、電話指導でもわからなかった場合は、事務局に電話をかければすぐに追加の説明を聞くことができます。
言葉の森の学年別指導は、電話指導と組み合わせる形でスムーズに進めていけるのです。
■長期的な展望で読む力をつける指導
言葉の森の作文指導の目標は、単にその学年で上手な作文を書けるようにすることではありません。また、受験に合格する作文を書く力は、結果として生まれるものであって、決して合格するための作文が書けるようになればいいというのではありません。
作文について近視眼的な見方をする人の中には、合格できる作文を書くためには上手なウソを書いてもいいのだと教える人もいるようです。(^^ゞ 言葉の森での指導は正反対です。コンクールに出す作文を指導する場合も、受験に書く作文を指導する場合も、「本当のことを書く」が鉄則です。ウソを書いて合格するぐらいなら、本当のことを書いて不合格になった方がずっといいのです。
長い人生では、最初のボタンの掛け方が大事です。最初に、正しい道を歩くようにすれば、時間はかかっても正しい道を歩き続けられます。最初に、ごまかす道を歩いたことがあれば、長い人生でまた困難な選択に遭遇したときに同じ道を歩こうとしてしまいます。
作文の上手な子は、大体頭のいい子です。そういう子ほど、正しい道を歩くよりもうまくやる道が先に見えてしまうのです。だから、親や先生は、あらかじめ折に触れて、「本当のことを書く」ということの大切さを教える必要があるのです。
作文の目的は、創造性、思考力、感受性を育てることです。それは、より大きく言えば、人間の生きる目的である幸福、向上、創造、貢献を実現するための一つの方法でもあるのです。
作文指導が単に書くためのテクニックの指導にならないように、言葉の森では、読む力をつける指導に重点を置いています。それが、暗唱や読書の指導です。読む力の土台の上に、初めて書く力を大きく育てていくことができるのです。
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「本当のことを書く」が鉄則という点について教えてください。
息子(小4)は自分の体験について書き始めて、後半に関連する作り話を付けておもしろい作文にしようとすることがあります。もし作り話を書きたいのであれば、実体験にもとづいて自分が思ったり想像したこと、として分けて書くの方が一番ウソがないですよね。どう声をかけたらよいでしょうか。
小学校4、5、6年生のころのウソは、大人のウソとちょっと違います。
ほとんどすべての子が、作文を面白くしようとして脚色します。
文章力があれば、ウソにはならないような脚色ができるのですが、まだそれほどの表現力がないのでウソになってしまうのです。
想像力と一種のサービス精神の表れからのウソですから、深く追及する必要はありませんが、ひとこと、「面白くていいけど、本当のことを書いて面白くするのがいちばん価値があるんだよ」とウソがマイナスであることを言ってあげるといいです。
本当のことを書いて面白くした具体例と、面白くしようとした脚色の具体例をいただければありがたいです。
それは……具体例というほどのことはないです。
普通に面白く書けばいいのです。
みなさんで、いろいろ考えてみてください。
例えばスキーの作文で、転んだときにストックが飛んでいった程度の体験を、ストックが飛んで雪の中に埋もれてみえなくなったと、脚色して面白くする場合があります。これは許容できるように思います。
一方旅行の作文で、景色がきれいだったです、とか、おもしろかったです、また行きたいです、という表現は好ましく思いません。なんだか借り物の表現でウソっぽさを感じてしまいます。森川林先生のコメントの後半にあることとつながりますが、自分の感受性や思考を表現することを目的にした作文が好ましいと思います。
おはろ母さん、ありがとうございます。
「スキーで転んでストックが飛んでいった」という話で、「ころんで一回転した」とか「ストックがビューンと飛んでいった」とかついオーバーに書いてしまうことは子供ならだれでもよくあります。
「一回転するかと思うぐらいの勢いで転んだ」とか「ビューンと音とたてるように飛んでいった」と書けば正確ですが、ある程度文章力がないとこういう配慮はなかなかできないと思います。
なるほど、納得しました。
森川林先生、おはろ母さま、有難うございます。
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暗唱という勉強の仕方に効果があることがわかってきました。しかし、今心配しているのは、この暗唱の学習が学校などでも取り入れられるようになり、勉強のスタイルとして常態化してしまうことです。
暗唱は、親や先生が子供のころにやっていない勉強法なので、ついその効果だけに目を奪われてしまいがちです。すると、暗唱の自習が、人よりもいかに速くいかに多く暗唱できるかという競争になることも考えられます。競争によって、暗唱に力を入れるというのは最初のうちは効果がありますが、やがて弊害がでてきます。それは、じっくり考えるとか自分で考えを作り出すとかいう要素なしに、覚えることだけが目的になってしまうからです。
江戸時代にも、素読という暗唱の勉強法はありました。そのころに暗唱のしすぎという弊害がなかったのは、子供たちが日常の遊びや仕事の中で、自分で考え判断し作り出す経験が豊富にあったからです。
現在は、そうではありません。勉強以外の時間の多くを、非創造的なテレビやゲームやテレビやインターネットに費やしている子も多いのです。。
自分で作り出すものがない中で、覚え込むことだけに力を入れると、人間の成長は歪んできます。
吸収する勉強は、発表する勉強とセットにすることで初めてバランスよく力のつくものになるのです。これをわかりやすく比喩的に説明すると、次のようになります。
まず、食べるだけで運動しないという生活をしていれば、次第に体が太ってきて、ますます運動が苦手になります。その一方で、食べることだけは得意になります。これを勉強にあてはめると、覚えることだけが得意になるという状態です。
もう一つは、食べずに運動するという生活の仕方です。食べないので力が出ません。そこで、自分の無理のない最小限の範囲で運動をするようになります。勉強に当てはめると、本を読まないので、作文も細々としか書けないという状態です。食べずに運動するというのは、やがて食べないし運動もしないということと同じになります。
最後に、食べて運動するという生活です。食べたものが運動によって血や肉となるので、どんどん力がついてきます。食べることと運動をすることが相互作用で発展していくので、どちらも楽しくなります。勉強に当てはめると、読書も作文もどちらも進んでいくという状態です。勉強と遊びとの対比で言えば、「よく学びよく遊べ」の状態と言ってもいいでしょう。
運動というのは、国語の場合は作文ですが、数学や英語の場合は、問題を自分で考えることや文章を自分で作ることになります。それも、既にある答えを再現するような記憶力に依拠した問題や文章ではなく、自由に自分で考える問題や文章です。
言葉の森の暗唱は、作文指導を充実させるために始めました。作文とセットでない暗唱は、暗唱のための暗唱になります。このような暗唱も最初のうちは効果がありますが、やがてやり過ぎによる弊害も出てくるでしょう。そうならないために、暗唱は作文という創造的な勉強とセットで行う必要があるのだと思います。
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素直に勉強する子がいます。親や先生が「これをしなさい」と言えば、素直に「はい」とやります。
しかし、こういう素直すぎる子がどういう勉強をしているかというと、無理のない範囲で手を抜きながらそつなくやっていることも多いのです。
これは、人間の本能的な対応で、嫌なことでも一生懸命やってしまうと、次にはもっと大きい負荷がかかってくるに決まっています。そうしたら、手を抜きながらぎりぎりのエネルギーでそつなくこなすしかないのです。何か、昔の社会主義諸国の仕事の仕方に似ているようです。^^;
「休まず遅れず働かず」という勉強の仕方をすれば、外見上は親や先生の言うことをよく聞くよい子です。しかし、そういう勉強法では、実は大したことは身についていないのです。小学校低学年からこつこつ真面目に毎日勉強していた子が、それまでずっと遊んでいて中学生の後半から急にがんばりだした子にすぐに追いつかれてしまうのは、こういう事情があるからです。
だとすれば、言うことを素直に聞かない子には、まだそういう手抜き勉強の仕方に慣れてないという点で見所があるのです。
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子供に勉強をさせるときのコツは単純です。大事なことは、絶対に断固として尻を叩いてでもやらせる。しかし、内容については明るく楽しく褒めるだけ。この二つです。多くのお母さんは、この「断固として」という点が弱いのです。しかし、断固としてやらせられるお母さんの多くは、この「褒めるだけ」ができません。
しかし、どちらかしかできないとすれば、お母さんの役割は、やはり「褒めるだけ」の方です。子供はいずれ社会に出て、嫌なことでも「断固として」やらなければならない状態に遭遇します。しかし、温かく「褒めるだけ」で接してくれる人に出会うことはまずありません。褒められて自分に対する肯定的な感情を持って生きていくためには、子供時代にお母さんにたっぷりかわいがられて育つ必要があるのです。
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