前回の読書法の話に引き続いて、今回は作文の方法です。
作文を書く方法を考える前に、作文というものは何かということを考えておきたいと思います。
作文は二つの側面に分かれます。一つは作文の中身です。もう一つは作文の表現です。
中身について大事なことは、一つは創造的であることです。もう一つは、創造的ということではないが価値ある中身が書かれているということです。
表現について大事なことは、一つは速くわかりやすく書くということです。もう一つは美しく個性的に書くということです。
価値ある中身を書くためには、体験と読書によって作文に書く内容を充実させていく必要があります。ですから、いい作文を書くために、書くことを準備してくる、家族に取材してくる、長文や本を読んでおくなどということが大事です。
価値ある中身を書くために書くことをあらかじめ準備できるように指示するという方法が項目法です。
作文を書く際に、「会話を思い出す」「たとえを入れる」「似た話を書く」「昔話の実例を入れる」などの項目指導は、今でこそいろいろなところでやられているようですが、言葉の森が初めてこの項目指導を行ったときは、いろいろな批判がありました。代表的なものは、「どうして、作文を書く前に『会話を入れて書く』などという指導ができるんだ。(書く中身がまだわかっていないのに)」というものでした。
今は、こういう批判はほとんどありません。言葉の森で勉強していることが、作品を書くということではなく、作文を書くための勉強をしているということがわかってきたからだと思います。そういう批判があった当時は、作文教室という言葉もありませんでした。
この項目指導をすると、作文を書くのが苦手だという子も、すぐに書けるようになります。小学校低中学年の場合は、「会話を入れて、たとえを入れて、思ったことを入れて書く」という簡単な項目指導だけで、子供は書く中身の方向がわかるのですらすら書き始めます。
この項目指導は、書くことを助けるので、苦手な子もすぐに書くための指導として使われます。しかし、学年が上がると次第に項目のレベルが上がっていくので、書くことが得意な子がもっと上手に書くための指導になっていきます。例えば、小学校高学年で「ことわざを書く」「一般化した感想を書く」という項目や、中学生で「複数の理由を書く」「名言を引用する」などの項目です。
子供たちの多くは、作文の書き方を系統的に教えられたことがなく、ただ書かされて添削をされるという教え方をされています。
そのため、小学校低学年のときに自分なりに自信を持って書いた作文が厳しく批評されるなどの経験を通して、書くことが苦手になってしまう子も多くいます。
そういう子が初めて言葉の森の教室に来ると、最初は緊張していますが、
項目指導を始めると見違えるように生き生きと書き始めます。項目指導で大事なことは、作文を書いたあとに、項目として指導したこと以外の批評はしないということです。
たまに、こういう教え方をする人がいます。「会話を入れて書いてごらん」と作文の指導をしたあと、子供が書いてきた作文を見て、「感想がちゃんと書けてない」「文がだらだら長すぎる」「点の打ち方がおかしい」などという評価をしてしまいます(笑)。これでは、子供がかわいそうです。指導していないことは評価しないのが原則です。少なくとも、批判になるような評価は、指導をちゃんとしてから行うことが必要です。
(つづく)
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これまで自分自身でやってきて実際に効果のあった読書法を5つ紹介します。これらの方法の長所は、いずれも手軽にできることです。
第1は、傍線法です。3色のペンで色分けをするとか、線の種類を変えるとかいうような複雑なことはせず、ただ、鉛筆で線を引きながら読んでいくだけの方法です。線を引くのは、面白いと思ったところ、よくわかったところなどです。重要なところに線を引くというのではありません。面白いとかよくわかったとかいうところに線を引きながら読んでいくと、再読するときに全体像がすぐに頭に入ります。国語のテストの問題文を読むときも、この方法で読んでいきます。すると、設問を見て問題文に戻ったときに、その問題文の必要な箇所が見つけやすくなります。普通の読書の場合も、傍線を引いた本は、再読するときの能率が上がります。傍線を引いた箇所だけを重点的に読んでいけばいいからです。
第2は、並読法です。読みかけの本が何冊もたまってしまうことがあります。これを同時に数ページずつ読んでいくと、たくさんの本を一度に読むことができます。人間の頭は同時に何冊の本を読んでも理解できるようになっています。読んでいるうちに自然にはかどる本が出てきますから、どの本も同じペースで進んでいくわけではありません。しかし、読みたい本がたまっているというストレスがなくなるだけでも効果があります。
第3は、フォトリーディング法です。フォトリーディングの解説がしてある本を1冊読むと、「なるほど速く読んでも大事なところは頭に入るのだ」と納得できます。それまで律儀に全文をひととおり読むという制約を自分に課していたのが、自由なスピードで読めるようになります。このことによってて読書のスピードが飛躍的に向上します。もちろん内容も十分に頭に入ります。
第4は、付箋読書法です。市販の付箋ではなく、手作りの付箋を貼りながら本を読んでいきます。手作りの付箋ですから、もったいないという感じがありません(手作り付箋の作り方は言葉の森のHPを参考にしてください)。図書館などで借りた本は、傍線を引けませんが、付箋読書であれば大事なところに付箋を貼りながら読んでいくことができます。付箋を貼りながら読んでいると、最後まで読みきることが多くなります。また、再読するときの能率も上がります。
第5は、問題集読書法です。これは、高学年の生徒の国語力をつけるための読書です。言葉の森の通学教室でも問題集読書を行っています。問題集読書を毎日6ページ読んで、感想として四行詩を書くという方法です。どの子もかなりよくやっています。
読書法のほかに、作文の方法でも、実際に効果のあったものがいくつかあります。
一つは、構成図法です。構成図を書いてから作文を書くという方法で、考えを深める過程の能率がかなり上がります。
もう一つは、音声入力法です。音声入力の方法を知っていると、時間が5分ぐらいしかないときでも、とりあえず書いておこうという発想ができるようになります。(つづく)
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小学校3、4年生の子なら、絶対に面白がるゲームです。もちろん、大人がやっても楽しいので、雨の休日などで、子供が退屈しているときにやってみてください。
「いつどこ作文」などと呼ぶ人もいます。「いつ、どこで、だれが、何を、どうした」という文をいったんばらばらにして、ほかの人の書いたものと組み合わせる遊びです。
普通は、「いつ」で一つ、「どこで」でもう一つと分けるようですが、「いつ」や「どこ」だけでは創造性が発揮できないので、あまり面白くありません。そこで、次のように分けます。
1、「いつどこでだれが」
2、「何をどうしたら」
3、「何がどうなったので」
4、「どうなった」
このほかに、「何をしながら」「何をしているときに」などをつけ加えることもできます。
例えば、4つの言葉でやるときは、1枚の紙を4つに切って、それぞれにひとつずつ書いていきます。
A.「いつどこでだれが」……きのう、屋根の上で、お父さんが、
B.「何をどうしたら」……おどりをおどっていたら、
C.「何がどうなったので」……ネコが魚をくわえてやってきたので、
D.「どうなった」……幸せになった。
という感じです。
元の文からでたらめに書いていく方が面白くなります。
こう書いた紙を、AならAだけで集めてまぜます。そのあと、ばらばらに組み合わせたABCDの文をひとりずつに配って読んでもらいます。小学校低学年の子がいる場合は、スムーズに読めるように、ちょっと時間をとって自分が読む文を心の中で読むようにさせておくといいと思います。
最初はコツがわかりにくいので、真面目なことを書く子もいますが、一度やると要領がわかり、みんながそれぞれ工夫したことを書くので盛り上がります。
しかし、あまり長い間やっていると飽きるので、2、3回で切り上げます。
知的な作文ゲームをしたあとは、体を動かす遊びです。(あまり知的でもありませんでしたが)
家の中でできる運動系の楽しい遊びの筆頭は、風船バレーボールです。風船を買ってきて、軽くふくらませます。あまりふくらませると、空中にふわふわ浮いてやりにくくなるので、風船の重みですぐに落ちてくるぐらいの空気の入れ方にします。
家の部屋の真ん中にビニールひもを1本はり、ネットがわりにします。ルールは適当です。1人が続けて打たない、3回以内に相手コートに返す、という簡単なものがいいと思います。3、4人でやると結構熱中します。もちろん、2人でもできます。その場合は、1人が続けて打てるのは3回までなどというルールにしておくとよいでしょう。
そのほかに、もっと本格的に家の中で遊びたいときにおすすめなのが、理科実験です。インターネットに、家庭でできる理科実験のページがありますから、その中で面白そうなものをやっていきます。スライム作りなどは簡単にできて面白いと思います。
ゲームやスポーツや実験に飽きたら、家族みんなでカラオケにでも行ってください。充実した休日になると思います。
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■小学校低学年の作文は学校でも家でも教えられそうだが……
小学校低学年のころの作文は、学校でも教えられますし、家庭でも教えられます。それは、低学年のころの作文は、直すところが多いからです。
しかし、作文の書き方の間違いを全部直していって、上手な作文は書けるようになるのでしょうか。おかしいところを直していけば自然にうまくなるというのであれば、作文の苦手な子は一人もいなくなります。しかし、現実には、作文の得意な子はごく一部で、大多数の子供が高学年や中学生になると作文が苦手になってきます。それは、作文を直すことと、上達させることは違う指導だからです。
■直す指導よりも、どう書いたらいいか教える指導が大事
言葉の森の作文指導は、直す指導よりも、どう書いたらいいかを教える指導を中心にしています。小学校低学年のころは、その指導内容も簡単です。小学校1年生の作文は、「会話を思い出してみよう」「たとえをつかってみよう」「思ったことを書いてみよう」などが指導項目ですから、だれでも簡単にできます。
しかし、この指導の先に、小学校3年生で感想文の指導が入ってきます。また、小学校5年生で説明文の感想文の指導になります。中学生になると、意見文の指導が入ってきます。学年が上がって課題が難しくなると、書ける子と書けない子の差が激しくなってきます。こうなると、言葉の森以外の作文指導では、書ける子の指導しかできなくなってくるのです。
■言葉の森以外の作文指導は、指導ではなく評価だけ
例えば、小学校高学年や中学生での読書感想文の指導は、学校ではほとんど行いません。夏休みの家庭での宿題になっているだけです。同様に、言葉の森以外の通信指導では、公立中高一貫校の受験作文指導でも、生徒が全員一律のテキストを見て自力で書くしかありません。書いた作文に対して赤ペンは返ってきますが、書く前にどう書いたらいいかをその子の実力に応じて教える指導はしていません。
言葉の森の作文指導は、担当の先生がそれぞれの子供に電話で説明する形の指導ですから、課題が難しくなればなるほど本領を発揮してきます。小学校低学年のころは、課題が易しいので電話指導の有無はそれほど大きな差とは感じられないかもしれませんが、高学年になると、個別の電話指導があることが決定的な差になってくるのです。
■難しい文章を読む力をつける
作文力は、作文の指導をすることだけで伸びるものではありません。作文を植物の花にたとえると、その根にあたるものが読書力や読解力で、葉にあたるものが多様な経験や知識です。作文という花に表れた結果だけを見て、その結果を直したり褒めたりするだけでは作文力はつきません。根にあたる読む力や考える力を育て、葉にあたる経験や知識という作文の材料を豊富にすることで、初めて作文の花の部分がしっかりと咲いてくるのです。
言葉の森の作文指導の特徴は、長文音読や長文暗唱や読書指導で読む力を育てることを重点にしていることです。
■低学年から始めると生活習慣の一部になる
作文の勉強を始める時期として小学校低学年(できれば1年生)からがよいというのは、実際に、低学年から始めた子の方が、圧倒的に勉強が長続きし上達しているからです。
作文力の必要性を感じるようになるのは、受験で作文が必要になる小学校高学年や中学生になってからです。高校生になって大学入試の小論文で必要になるということもあります。しかし、作文力が必要になるころには、作文の課題も難しくなっているので、難しくなってから始めた子は、作文の面白さを感じることができません。その結果、上達も遅く、長続きもしなくなってきます。
小学校低学年から作文の勉強を始めると、毎週1回作文を書くということが生活習慣の一部として定着します。また、課題の長文を読むことも毎日の勉強の習慣となっていきます。簡単にできるころから始めていると、課題が難しくなっても、それまでの延長で苦もなく書いていくことができるのです。
■作文の勉強で得られる豊富な副産物
作文の勉強には、作文だけにとどまらない副産物があります。第一は、書くことに抵抗がなくなり、書くことが好きになり得意になることです。文章を書くことに抵抗がなくなるということは、大学生や社会人になったときに、大きな力になります。
第二は、小さいころから書き続けた作文が、楽しい思い出になることです。子供が小学校1年生のころにどんなことを感じたり考えたりしていたかということは、大きくなってしまうと忘れられてしまいます。しかし、作文という形で残っていれば、それがそのままその子の成長の記録となります。
第三は、作文を通して親子の知的な対話が増えることです。子供が課題の長文を音読していれば、その長文をもとに似た例や感想などが話せます。作文や感想文の課題に合わせて、両親の小さいころの経験を話してあげれば、子供の視野が広がります。小学校低学年のうちからこのような親子のコミュニケーションを大事にしていると、子供が大きくなってからも対話のある親子関係ができてくるのです。
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これは、言葉の森新聞に掲載した記事です。
1月に「その2」を出したあと、「その3」が出ていませんでした。(^^ゞ
公立中高一貫校の作文入試は大体終わりつつありますが、大学入試の小論文はまだこれからのところが多いと思います。これから小論文試験に臨む方は、言葉の森のこれまでの記事を参考にしていってください。
作文のコツの第六は、知性を感じさせる社会実例を書くことです。
作文の中に書いてある実例が体験だけだと、知的な印象が少なくなります。社会実例の元になるものは、読書です。本をよく読んでいる生徒は、自然にその本の中から実例を見つけてきます。読んだ本からの実例が書いてあると、知識の厚みを感じさせる文章になります。ニュースなどもいい実例になることがありますが、テレビでセンセーショナルに取り上げられた話題だけで書いていると、かえって普段テレビしか見ていないような印象になります。
受験勉強で社会を勉強していれば、その勉強から社会的な実例が書けそうなものですが、そうではありません。受験で勉強している内容はどちらかと言えば断片的な知識なので、文章の中に生きた形で生かすことが難しいのです。それに対して読書によって得た知識は、生きたまとまりの中にある知識ですから、文章の中に生かすことができます。
読書をする時間がなかなか取れない人は、問題集の問題文を繰り返し読む練習をしていきましょう。国語の問題集を読書がわりに読むと、読解力もつきますし、表現力も豊かになります。
第七は、構成がわかるように書くことです。
実は、この構成重視の作文は、言葉の森の勉強でいちばんプラスになるところです。言葉の森の指導の仕方は、全体の構成をまず考えて、それから中身を埋めていくというスタイルです。このため、勉強を続けていると、自然に構成を意識して書けるようになります。
多くの受験生は、課題を見たとたんにまずとりあえず書き始め、書きながら先を考えるというスタイルで書きます。この書き方でももちろんうまくまとまることがありますが、読み手にとってはあまり読みやすい文章にはなりません。構成を最初に考えて書くと、「問題点は二つある。第一に……。第二に……」などという書き方ができるようになります。こういう構成の文章は、頭の中が整理されていないと書けません。採点する人は、このような読みやすい文章に好感を持ちます。
見た目の印象を読みやすく感じさせるために、段落の長さも大事です。考えが整理されていると、どの段落もバランスのよい長さでまとめられます。逆に、考えが整理されていないときは、極端に長い段落や短い段落が混じる形の文章になりがちです。
文章を書く力は、これからますます重要になってきます。そして、文章を書く力は、読む力に支えられています。受験のための勉強が終わったあとも、毎日の生活の中で読書をする習慣をぜひつけていってください。
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幼稚園から小学校1、2年生のころの子供は、親の言うことをよく聞きます。しかも、この時期は模倣の時代なので、与えられたことは何でもどんどん吸収します。
しかし、だからといって、いろいろな勉強や習い事をやらせすぎると、時間ばかりとられて結局何も身につかないことになってしまいます。
子供による向き不向きはありますが、共通して一つだけ大事なものを挙げるとすれば、それは国語力をつけることです。
では、国語力はどのようにして身につけるのでしょうか。
小さいころの国語力は、聞く力、読む力、書く力の順番でつけていきます。なぜ、この順番になるかというと、聞く、読む、書くの順で勉強的になるからです。また、聞く、読む、書くよりも勉強的なのが問題を解くことです。
勉強的なものは、どうしても量が不足します。聞くこと、つまりおしゃべりであれば、時間がたつのも忘れて熱中することができます。読むことも同様です。寝る時間になっても、読むのをやめられないというのはだれでもあります。書くことに関しては、我を忘れて書くというのは学年がもっと上がったときの話で、小さいころは書くことに熱中することはあまりありません。問題を解くことは、更に熱中できません。
子供たちは、起きている時間のほとんどを国語的に生きています。つまり、日本語によって感じたり考えたりしながら生きています。その膨大な国語的な生活時間の中で、たかだか15分や30分ドリルをやったからといって、国語力が向上するわけではありません。
国語力のある子は、問題集を解くような勉強などしていません。日常生活における国語的なやりとりが充実しているから自然に国語力がついているのです。
では、国語的な生活を充実させるためには、どうしたらいいのでしょうか。
よく言われるのは読み聞かせです。読み聞かせをたっぷりされて育った子は、国語力も思考力も向上します。
しかし、読み聞かせのいちばんの問題は、親の負担が大きいことです。親も日々の生活でくたびれているので、毎晩子供のために、自分にとって興味のない本を10分も20分も読んであげるというのは難しいことも多いのです。
そこで、おすすめするのが、読み聞かせではなく、お母さんの作った千夜一夜物語を聞かせてあげることです。人間は、創造的なことをしているときにはくたびれませんから、本を読んで聞かせてあげることよりも、お母さんがアドリブで作った物語を聞かせてあげる方がずっと長く話ができます。全部アドリブでやるほどの材料がないという場合は、種本を読んでおいて、それを思い出して話をすることもできます。日本にはたくさんの昔話がありますから、材料には事欠きません。昔話以外に、歴史上の人物の伝記やエピソードなども面白い材料になります。
しかし、読み聞かせは、夜寝ながらすることが多いので、あまり長くはできません。読み聞かせよりも大事なのが、日常の会話です。
日常の会話は、親も楽しみながら話すことができます。大事なことは、
1、ちょっと難しめの言葉も入れて、
2、短い文ではなく、長い文で、
3、単文よりも、複文や重文で、
4、楽しく、面白く、
話をすることです。
会話というと、大人はすぐに自分の知識を披露するような一方的な話をしがちです。子供に、「ねえ、豆まきって知っている? あれはね……」というような自分の知っている知識を伝えるような会話になってしまうと、話が弾みません。結論を出すことが目的なのではなく、会話を楽しむことが目的なのですから、その場で考えながら創造的に話をする必要があります。
創造的な話と同じように面白いのが、親の体験に基づく失敗談や自慢話です。こういう話でしたら、親も話していて楽しいし、子供も聞いていて楽しくなります。
この楽しい会話の中で、少し難しめの言葉も入れて、短い文よりも長い文で、単文よりも複文や重文を入れて話すようにすれば、それが問題集を解くよりもずっと効果のある国語の勉強になっているのです。
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記事にしていただき有難うございます。
勉強が出来るようにと取り組を重視するあまり、我が家は会話量が少ないのかもしれません。
一学年先取り学習、数検漢検、勉強させることに我武者羅で、年長まで継続してきてしまいました。
情報に振り回され、良いと言われるものは取り入れ、芯の無い教育方針となってしまった感があります。
情報に振り回されず、何が正しいく娘に必要と判断できる親でありたいのですが、なかなか難しいです。
手をかけてあげたことは決して無駄ではないです。
しかし、それは勉強の中身が身についたということよりも、親が手をかけることによって子供が親の愛情と関心の中で育つことができたということの方で、より価値があるのだと思います。
最低限の基準として、子供ができるだけ笑ったり喜んだりしている時間を増やすということだけを押さえておけば、あとは試行錯誤でいろいろやってみるしかないです(笑)。
幸福に生きるための手段の一つとして勉強があるのですが、今の社会では子供自身が勉強を最大の目的にしてしまうところがあるので、時々軌道修正をしながらやっていくといいと思います。
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低学年から言葉の森を始めた方がいいのですか、という質問をよく受けます。
この記事は、
「低学年から始める国語力対策」というタイトルで以前ほかのページに書いていたものですが、ホームページの記事としても検索しやすいように再度掲載しました。
「国語力がないから、社会や理科もすぐに理解できないようです。」
「計算は得意なのですが、算数の文章題が苦手です。」
「国語の記述問題がいつも白紙で困っています。」
↑
これらは、いずれも、小学校高学年以上の保護者の方からの問い合わせです。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。それは、低学年のうちから読んだり書いたりする勉強をおろそかにしてきたからです。
実は、この読み書きの力は、「国語」という教科の枠をこえ、すべての教科に関わる非常に大事な力なのです。国語力は、一朝一夕で身につくものではありません。毎日の生活の中で、地道に積み上げていかなければならないものです。
しかし、いったん身につけた国語力は、失われることなく、ずっと維持できます。これが国語力の特徴です。だからこそ、低学年のうちから最優先で取り組んでいく必要があるのです。
言葉の森では、読む勉強と書く勉強を並行して行っています。
低学年のうちは、読むことと書くことに慣れることが目標です。最初のうちは、長文音読もたどたどしく、作文も1行書くのがやっとというようなことも少なくありません。ここで大切なのは、ほめることです。保護者の方が不安に思われるのもよくわかります。でも、注意するのは逆効果です。
読むのも書くのも得意なのだという暗示をかけることが大事なのです。どの子供もその子供なりのペースで、必ず国語が得意になるはずなのです。たとえ、作文が1行しか書けなかったとしても、自信を持ってほめることです。
ほめられながら力をつけてきた子供は、自分は読むことや書くことが得意なのだという思いがあるので、その後も国語の勉強に積極的に取り組みます。中学年から始まる、長文の感想文課題も難なくこなしてしまいます。
逆に、注意され続けてきた子供は、読むことや書くことに苦手意識を持ってしまいます。一見整った作文を書いているように見えても、それは、素直な気持ちのこもった、その子らしい感性豊かな作文ではありません。
実際、作文が不得意ということで言葉の森に来る中学年の生徒は、自分が一生懸命書いた作文を注意されたことがトラウマになっている場合が多いです。
国語力は成長とともに自然に身につくものではありません。低学年のうちから、読むこと、書くことを生活の中に組み込んでおく必要があります。
こうして身につけた国語力は、受験のみならず、社会に出てからも、さまざまな場面で役に立ちます。毎日の10分間暗唱と週に一度の作文で、この一生の宝となる国語力を身につけることができるのです。
言葉の森の勉強は、ひらがなが書けるようになったら始められます。
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現在の世界の政治経済状況は、次のようになっています。
中国は、輸出の不足を内需の拡大で補おうとして、バブル経済になりつつあります。中国のバブルが崩壊すれば、中国は保有しているアメリカの国債を売却せざるを得ません。米国が破綻を免れようとすれば、日本が肩代わりすることになるでしょう。
このシナリオはやむをえないとしても、その条件として、日本は、アメリカと対等な国家となること約束させるべきだと思います。
そのあと、日本では、食料品などの必需品は高騰します。教育費、交通費、家賃、衣料品などの日常品は、細々と回転していきます。奢侈品や高額品は、もう売れません。ワークシェアリングでも限界があります。そこで、大量の失業圧力が日本経済を襲うようになります。
これをかつてのように農業が吸収することはもはやできません。また、農業が吸収したとしても、その後の展望がありません。土木建築への公共投資も、過去に向けての投資でしかありません。
そこで考えられるのが、新「米百俵」政策です。今後の政策は、新しい雇用を創出するとともに、未来に投資することが大事なのです。
現在、日本の小中高生は1500万人です。これを100万人の教員が教えています。1人の先生が15人の生徒を見る形になっているのです。そして、これが必ずしもうまく機能していません。
この教育体制を、もし1人の教員が5人の生徒を教える形に改善するならば、300万人の教員が必要になり、差し引き200万人の雇用が生まれます。もし1人の教員が3人の生徒を見る形にするならば、500万人の教員が必要になり、400万人の雇用が生まれます。しかも、新たに教員になった人たちの研修や教材開発などで経済の波及効果があるので、さらに大きな雇用を生み出すことができます。
そして大事なことは、この結果、日本の子供たちに落ちこぼれがなくなることです。日本の子供たち全体の学力が向上し、ある分野で優れた子は、特にその才能を伸ばす教育を受けることもできます。また、学力だけでなく、人間性や感受性を育てる教育も充実するでしょう。この子供たちが、未来の日本を支えていくのです。
当面、現在の学習塾の教員などが学校に入ることも考えられますが、基本は、一般の国民が自分の力量や得意分野に応じて学校に入っていくことです。
しかし、教科の学習は、この超少人数教育で急速に向上するはずですが、国語に関しては、学校で学力が向上するわけではありません。家庭での日常生活における国語力育成が必要になります。国語に関しては、少人数教育とともに家庭教育のノウハウも必要になってきます。
しかし、いずれも根本的な障害となるものは何もありません。以上の提案は、今すぐにでも実行可能です。
経済情勢が逼迫してからではなく、今からこの新「米百俵」政策に向けて手を打っていくことが大事です。このページをごらんになったみなさんは、ぜひこの提案を広めていっていただければと思います。
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