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暗唱の意義と方法 as/887.html
森川林 2010/04/30 05:39 


 言葉の森の暗唱は、まず第一に、単なる音読とは異なります。音読も、回数を重ねれば暗唱と同じようなものになりますが、いちばんの大きな違いは、音読は飽きやすい勉強だということです。それに対して、言葉の森の暗唱は達成感のある勉強です。

 第二に、言葉の森の暗唱は、文化としての暗唱とは異なります。文化としての暗唱は、文章の内容を覚えることが目的になります。そのため、文化的に権威の確立したものを暗唱することが中心になります。例えば、「憲法前文」、「枕草子」、「じゅげむ」、「平家物語」などが暗唱の対象としてよく取り上げられます。これらは、これらでもちろんよいのですが、言葉の森が追求しているものは、このような文化としての暗唱ではなく、教育としての暗唱です。

 その教育としての暗唱には、三つの意義があります。

 第一は、暗唱力をつけるということです。言葉の森の暗唱で文章を覚えることができるようになると、同じ方法で何でも暗唱できるようになります。「古代への情熱」の中でシュリーマンは、音読を繰り返しているうちにどんな文章も数回読めば暗唱できるようになったと述べています。こういう能力をつけることが言葉の森の暗唱の目的です。つまり、暗唱することが目的なのではなく、暗唱力をつけることが目的だということです。

 第二は、暗唱によって発想力をつけることです。「群書類従」を著した塙保己一は、般若心経約300文字を毎日百回、千日間暗唱しました。これは、文章を覚えるという目的を超えて、頭のトレーニング又はウォーミングアップという意味で暗唱をしていたということです。

 暗唱が頭の訓練になるという仕組みは、まだ解明されていませんが、右脳の活性化、Θ波によるリラクセーションなどが関係していると考えられています。実際、暗唱をしていると、いろいろなアイデアがわきやすくなるという効果が実感できます。その点で、言葉の森の暗唱は、大人の勉強としてやっていってもよいものだと思います。

 暗唱の意義は、第三に、作文力をつけることです。そのため、言葉の森の暗唱は、生徒がその学年で書くような課題に合わせた文章を中心にしています。作文教育のための暗唱ということが、内容の暗唱を目的とする文化の暗唱と異なる点です。

 そして、現実に、暗唱に取り組むことによって、子供たちの作文力が向上しているという結果が出ています。暗唱をしている生徒は、暗唱をしていない生徒に比べて、作文の字数が増える傾向にあります。

 ただし、文章には好みの問題があります。そこで、言葉の森では今後、暗唱長文の選択の幅を広げていく予定です。具体的には、毎週の課題の長文にも100字単位の区切りの番号をつけて暗唱できるようにしておくということです。

 ただし、課題の長文のような説明的な文章になると、暗唱することは急に難しくなります。それは、事実中心の文章と比べると、説明文や意見文には、イメージ性とストーリー性がないからです。

 そこで、言葉の森では、イメージ性を補うために、イメージ記憶という方法を使っています。例えば、「しかし、文化が……」という出だしで始まる文を覚えるために、「シカがブンブン飛んでいる」などとイメージ化します。ここで、ダジャレの精神が必要になります(笑)。出だしさえ思いつけば、そのあとに続く文は、百人一首の上の句と下の句と同じように、半ば条件反射的に出てきます。また、イメージ記憶では、ストーリー性を補強するために、身体の位置を利用します。例えば、「頭のてっぺんで、シカが……」という覚え方です。

 このやり方をすれば、説明文や意見文の文章でも、事実文と同じぐらい容易に暗唱ができるようになります。しかし、これらのイメージ記憶は、あくまでも便宜的なものです。勉強は、「とりあえず、できた」という達成感を持つことが、継続するコツです。しかし、暗唱の本当の目標は、音楽を覚えるように文章を覚えることです。文章の知的な内容を理解するのではなく、文章の流れを音楽として覚えることが暗唱の学習で大事なことです。

 そのための暗唱の方法が、「早口で」「大きな声で」「暗唱用紙を使って反復し」「説明文の場合はイメージ記憶を使う」という言葉の森の暗唱法なのです。


 ▽この文章は、下記の構成図をもとに音声入力したものをテキスト化して書きました。
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構成図とマインドマップの違い(その2) as/886.html
森川林 2010/04/29 09:54 


 言葉の森の構成図とマインドマップは、似ているが異なります。このことは、既に2009年5月の記事に、くわしく書きました。( https://www.mori7.com/as/498.html )

 しかし、言葉の森の勉強を新しく始めた方も多いので、再度わかりやすく説明したいと思います。


 構成図は、帰納法的なものです。マインドマップは、演繹法的なものです。

 構成図は、考えを広げるために書きます。マインドマップは、考えを整理するために書きます。

 構成図は、作文のシミュレーションという位置づけです。マインドマップは、知識の分類を目的としています。

 現実的なところでは、構成図は、紙と鉛筆があればすぐに書けます。マインドマップは、準備にも書く過程にもかなり時間がかかります。

 構成図は、作文に生かすことを目的としています。マインドマップは、マインドマップを書くこと自体が目的です。


 では、構成図を書くことと書かないこととでは、どのような違いがあるのでしょうか。

 構成図を書くと、作文のスピードアップが図れます。作文には、思索の過程と表現の過程があります。構成図は、思索の過程を独立させたものなので、構成図を書いたあとに、表現の過程だけを独自に追求していくことができます。これは、将来、音声入力などをする際に大きく役立ちます。

 構成図を書かない形の従来の作文は、思索の過程と表現の過程が融合しているので、書くのにかなり時間がかかります。つまり、考えながら書き、書きながら考えるというのが従来の作文です。

 事実中心の生活作文のように、書く内容を熟知しているものについては時間はあまり変わりませんが、考える内容を含む意見文の場合は、構成図を書くことで考える時間が大幅に短縮されます。


 構成図は本来、無地の紙に自由に書くものです。しかし、最初は枠がある方が書きやすいので、言葉の森では、構成図という用紙を渡しています。

 下記に表示するのは、無地の紙に自由に書いた構成図の例です。A4サイズのルーズリーフ用紙に書いていますが、用紙が足りなくなれば2ページ、3ページとページをを増やしていくことができます。書くことが少なくて済めば、1ページに数種類の構成図を書くこともできます。マインドマップと違って、紙の無駄がありません(笑)。

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 △この構成図は、明日アップロードする「暗唱の意義と方法」の記事(約1800字)のもとになったものです。

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高校3年生は、連休中が過去問をやる最後のチャンス as/885.html
森川林 2010/04/28 09:04 



 ちょっと脅かすようなタイトルですが。(^^ゞ

 高校2年生から3年生になるときの春休みに、志望する学校についての過去問を答えを書き込みながらでいいので、少なくとも1年間分は解いてみます。自分の得意な科目だけではなく、また、まだ勉強を始めていない科目も含めて、ひととおり解いていくのです。センター試験を受ける予定があれば、センター試験の過去問もやってみます。

 春休みにそれができなかった人は(大部分の人がそうだと思いますが)、今度の連休には必ずやっていきましょう。

 過去問を解くことと並行して、受験勉強に関する本や、同じ志望校を受けた人の合格体験記なども、全部で10冊ぐらいを目安に読んでいきます。

 大学入試は、これまでの中学入試や高校入試と違って、先生に教えてもらってやるものではなく、自分で工夫して取り組んでいくものです。

 過去問に取り組んだあと、参考書や問題集を決めて、どういう予定で勉強するかを決めていきます。

 大学入試は、情報戦です。ただ努力すればいいのではなく、志望校の傾向と自分の実力に合わせた努力をすることが大切です。

 ところが、以上のことをいくらわかりやすく説明しても、自分の力で春の間に過去問をやり、本を読み、作戦を立てたという人は、今まで数えるほどしかいませんでした。

 ここで、登場してほしいのは父親です。会社で部下に仕事を指示するつもりで、夏休み前に必ず過去問に取り組ませることが大事です。それも、「やっておいた方がいいぞ」というような言い方ではなく、スケジュールを決めて半強制的にやらせるのです(笑)。

 過去問さえこのようにやっておけば、高校生は、あとは大体自分の力で勉強していけると思います。

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未来の仕事 as/884.html
森川林 2010/04/27 08:49 



 未来の仕事は、どうなるでしょうか。

 それを考える前提となるのは、現代の社会がとても豊かだということです。では、豊かな社会でなぜ失業者がいるのかというと、働きたくても働けない人がいるほと社会が豊かになっているということの裏返しなのです。

 原始時代とまで行かなくても江戸時代には、だれもが、子供も含めて働かざるを得ませんでした。しかし、江戸時代はそれなりに豊かな社会だったので、武士階級という生産活動に携わらない人も多数存在しました。現在は、それよりも更に豊かになっているのです。

 では、社会の豊かさがなぜ個人の貧しさとして現象するのかというと、流通しているお金を、その流通の過程から引き上げてしまう人がいるからです(笑)。生産が10あって、その生産をするために労働が10必要で、また消費が10であるならば、生産と消費の循環は永続的に進みます。しかし、やがて生産の技術革新があり、10の生産をするために8の労働しか必要ない状態になれば、本来ならば豊かさはそのままで、余暇だけが増えるということになります。しかし現実は、必ずしもそうはならず、新たに生まれた豊かさが消費に結びつかない形で、生産と消費のサイクルから引き上げられていくのです。その引き上げられた形が、昔なら武士階級のような存在で、現在ならば軍事費のようなものだと思います。

 さて、このように本当は社会が昔よりもはるかに豊かになっているということを前提に考えると、現在1日8時間の労働で週に5日働いているような仕事も、将来は、1日4時間で週2日も働けば十分だということになってきます。すると、そこで従事する仕事は、フルタイムで働くような大きな仕事である必要は必ずしもなく、趣味の内職のような仕事でも可能になるということです。この趣味の内職が、自分の好きな分野を高度に専門化した起業ということにつながるのです。

 すべての人が自分で立ち上げた仕事を持つことが可能になるというのが、未来の仕事の姿です。なぜなら人間は、多数のさまざまな興味と得意の分野を持ち、しかもそれらを組み合わせれば無数の新しい事業分野が可能になるからです。また、身体的な技能や知識は、熟練するために何千時間も必要とするので、その人だけの独自性のある技能や知識として保持することができます。アイデアだけで始めた仕事は、同じことをやる人がすぐに現れますが、時間をかけて腕を磨くという形で始めた仕事は、続ければ続けるほどその人だけの独自な仕事になっていきます。

 このような状態が出現したのが江戸時代で、その時代に日本では、多様な「道」化された文化が生まれました。しかし、当時生まれた文化で、現代に伝わっていないものもかなりあります。なぜかというと、さまざまな「道」文化の創始者は、自分の技を磨くことに専念していたので、それを後進に教育するような体系を作る余裕がなかったからです。そのため、当時の教育は、「師の技を盗む」という方法で行われていました。もし江戸時代があと数百年続いたら、さまざまな「道」文化の教育体系ももっと整備されたかもしれません。

 未来の職業は、この江戸時代に庶民の間から生まれたさまざまな文化と同じように、創造性に価値を置くものになります。売上が多いとか、利益が上がるとかいうことよりも、創造的でわくわくできる仕事かどうかということが未来の仕事の大きな関心になっていきます。現在、中国で生まれている巨大な需要と生産の多くは、既に欧米や日本で行われたことのある過去の需要と生産です。そのような過去の需要と生産を通り越した日本でこそ、未来の需要と生産が生まれる可能性があります。

 教育は、社会から離れて存在するものではありません。すべての人が創造的に仕事をし、豊かに消費する社会と結びつく形で、教育もまたわくわくしたものになっていきます。未来の学校は、勉強を教えるとともに、その勉強を自分の仕事にどう生かしていくのかということも教える場所になると思います。

 さて、では、今の若者は、それまでどうしたらいいのでしょうか。毎日、仕事に追われる多忙な生活の中でも、自分の好きなことを大事にし、そこに、時間をかけなければ身につかないような技能化、身体化の過程を結びつける工夫をすることです。映画鑑賞が好きだといっても、映画をただ見ているだけでは技能化にはなりません。ただ好きなことをするだけでなく、その好きなことを自分なりの生産活動に結びつけ、やがては他の人に提供できるような完成度の高い商品にする展望を持って追求していくことです。

 これまでのローカルな社会では、自分の好きなことを共有できるような同じ関心を持つ人は多くありませんでした。しかし、インターネットの世界では、世界中の同じ関心を持つ人に結びつくことができます。

 人が何かの分野に熟達するためには、4000時間費やすことが一つの目安になると言われています。逆に言えば、それは、特に今は何も目立った才能がないと思っている人でも、自分の好きな分野で毎日1時間で約11年間、技を磨けば、その道のプロとして通用することが可能になるということです。現代は、このように明るい可能性がだれにも開かれている時代です。そして、この傾向はこれからますます加速していくと思います。

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作文という現実に生かす、わくわくとした勉強 as/883.html
森川林 2010/04/26 09:44 


 「未来は、えらべる!」という、バシャールと本田健さんの対談を読みました。参考になる点がいくつかありました。

 本田健さんは、バシャールに対してアメリカに住み、自分の子供をサドベリー・スクールに通わせています。サドベリー・スクールとは、子供たちが自分の好きなことをしながら自然に勉強をしたくなるのを待つという教育法を実践している学校です。

 本田さんは、カリキュラムがなく子供たちが好きなことをできるのがよいのではないかと質問をしました。バシャールは、カリキュラムはあってもよいが、子供の興味を引き出すようなものになっていることが大事と答えました。つまり、カリキュラムの有無というのは、本質的なことではないということでした。

 また、本田さんは、子供が時間をかけて自分の好きなことを見つけるのが大事ではないかと質問し、その例として、5年間釣りだけをしていた子が、その後勉強をして立派な社会人になったという例を挙げました。それに対して、バシャールは、その釣りをしていた子供の例は特殊な一例で、時間をかけることは必ずしも必要ではないと答えました。大事なことは、勉強が楽しいと子供に教えてあげることだということでした。

 更に、本田さんは、サドベリー・スクールのような学校を日本にも広げたいと自分の希望を述べました。それに対して、バシャールは、どの学校でも、また家庭でも、勉強の楽しさを教えることができる、大事なのは、子供が学ぶ対象に興味を持てるようにすることだと答えました。

 私は、この対談を読んでいて、バシャールの本質をついた的確な返答に感心しました。もちろん、そういう返答を引き出す、本田さんの優れた質問にも感心しました。

 さて、バシャールは、わくわくして学ぶためには、体験を通した学び方をすることだ大事だと述べています。その例として、子供が自分で仕事を立ち上げる、そのための勉強をするという仕組みを作っている学校が既にあると説明していました。

 今の教育では、確かに、学んだことをどう人生に生かすかという視点がありません。学んだことを生かすという教え方をすれば、数学の方程式も現実の仕事の中でどのように役に立つかということを実感するような教え方をすることができるでしょう。

 ところで、江戸時代の寺子屋教育という優れた勉強法は、決してわくわくした学び方ではありませんでした。そこで教えられた方法は、四書五経の素読や手本となる文字の書き写しでした。

 しかし、この勉強法は、勉強の方法ではなく生活の方法だったのだと私は思います。朝起きて、顔を洗う、歯を磨く、掃除をするということと同じ感覚で、人生の前提となる基礎教育が行われていたのです。生活と同じ感覚で行われている勉強は、苦痛でも我慢でもありません。音読や暗唱や読書というのも、勉強としてではなく生活の一部として取り組んでいくものだったと思います。

 そして、江戸時代は、この優れた基礎教育の大衆的な普及の上に、さまざまな知識や技能の「技を盗む」という形の職業教育が行われていました。しかし、その「技を盗む」教育というのは、それらの知識や技能が高度であったために、体系的な教育法にまで手が回らなかったことからくる暫定的な方法論だったのではないかと思います。

 さて、体験を通して学ぶということを作文にあてはめると、作文には、バシャールの言う「知識の現実への適応」と同じ面があることがわかります。自分の書いた作文が他人に読まれて喜ばれるということは、自分が作った製品が、他人に買われてうれしいという感覚と同じです。

 言葉の森が、これまで考えていたのは、次のような勉強法です。

 中学生の作文で、歴史実例という項目があります。これをただ作文の上で自分の知っている歴史実例を入れるという書き方をするのではなく、あらかじめ歴史の学習をして歴史の本を読み、そこから作文に書く自分の意見にふさわしい歴史実例を引き出すという書き方をするのです。これは、歴史の知識を、生きた作文に適用するという学び方です。

 同じようなことは、英語、数学、理科、社会などの勉強にもあてはめることができます。このように、知識を学びながら、それを作文という現実に生かすという勉強の仕方を、これからの言葉の森の勉強法にしていきたいと考えています。

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3月の森リン大賞(中3、高社) as/882.html
森川林 2010/04/25 19:23 
 3月4週の清書をもとしにした森リン大賞です。
 学年は、旧学年になっています。




3月の森リン大賞(中3の部36人中)

触れ合い
ゆうちゃり~

 今の社会では、他人とのつながりがかなり薄いものになっていると思う。つい最近まで、僕の団地には新しい住民がいろいろと来たが、同じ地区になったのでよろしくと言いに来るだけの人が大半で、今ではどんな人だったかさえ忘れている。また、隣に誰が住んでいて、その人がどんな人なのかさえも知らなかったりする。このように、「核家族」という言葉があるぐらい、みんながそれぞれ独立して暮らしている。そのことはもちろん良いことなのだろうが、自分の周りの人のことをほとんど知らないままでよいのだろうか。いや、そうではない。「遠くの親類より、近くの他人」というように、近所で協力することはとても大切だ。だから僕は、今、失いかけている人間的コミュニケーションを大切にしていきたいと思う。

 そのための方法として第一に、人との触れ合いを大切にしていくことである。僕は、春休み中に一週間、フランスに旅行で行っていた。今回は個人ではなく、ある会社のツアーに参加した。人数は二十人と少数だが、なかなかツアー内で家族や友達以外と話さなかった。みんな家族や友達と同じ場所にかたまっていて、話しにくい雰囲気にもなっていた。そうこうするうちに、四日目に入り、昼食の時になってようやく他の人に対する壁がとれたのであろう、周りの人たちと話をするようになった。僕はその話し声を聞きながら食事をしていたが、とても楽しい気持ちになった。その時、初めて人との触れ合いがすばらしいものであるとわかった。その後の観光は、その日以前よりも楽しいものとなった。みんなが黙っていても観光することはもちろん、まだ自分の知らない世界に出会えるので楽しいが、道中やレストランで他の人と話をすることによって、より楽しくなるのだ。そのことが今回の旅行でわかった。フランス滞在最後の日の自由行動の時、ツアーの人たち数人と一緒にルーブル美術館に行き、とても楽しかった。このように、人と触れ合うことによって、一緒のことをしているという連帯感が生まれて、一緒にしていることがより楽しくなるだろう。修学旅行はまさにそうした一つの良い例だ。

 また第二の方法として、社会自体も機械に頼らず、人間どうしの触れ合いを重視していくことである。ファーブルは、子供の頃から自然に対してとても興味があった。ある時、ファーブルは学校からの帰り道の途中に、鳥の巣を見つけた。そして、その中にあった卵を一つ手に持って帰っている時に、神父に声をかけられた。彼は、神父に何を持っているかを問われて、鳥の卵と答えた。その時神父は、「その卵のお母さんは、卵を捜しているだろうな。たまごをあたためて、小鳥にかえすことは母鳥にしかできない。きみはそのたまごを小鳥にすることができるのかい?」とファーブルに言い、ファーブルに自然に接するときの意識を示した。このような穏やかな口調で言われたから彼は素直に受け入れられたが、もし神父が機械的に、母が怒るような口調で言っていても効果はあまりなかっただろう。このように、人との触れ合いでは、相手のことを慮ることができ、その人に最適な接し方ができるのだ。

 確かに、大量生産や大量販売は、豊かな社会を生み出した。今となっては、社会を根本的に支えるものとなっている。しかし、人間的コミュニケーションも、社会が豊かになるにつれてなくなってきている。しかし、コミュニケーションは社会を支える最も大きな根のような存在で、これをもう一度見直すべきだ。また、「経験は、最良の教師である」という言葉があるように、人との触れ合いの中で得るものは貴重なもので、とても多くのものを得られる。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1触れ合いゆうちゃり~88149558788589
2今日では、道徳的共同体をチョビ88117464777984
3バラがバラらしく生きるにはきへあ87129269617783
4清書まじめさん86114369607787
5清書MAXやまびこ84122857969484
6本当の豊かさを求めてゆりん84131653668093
7記念を残すメグ82146348617789
8共同体的に生きるちこちこ81106354718584
9私の記念日うずら791272488510189



3月の森リン大賞(高1高2高3社の部121人中)

物・他者との関わり
PINK

 現代の日本人は、他者との接触を好まない。むしろ自分だけの世界で好き勝手やるほうが楽でいい、と感じている若者も少なくない。自分の殻にこもり、外界からの接点をほぼシャットアウトしてしまうことを選ぶ傾向が強いのではないだろうか。それらの現象には、人やものと出会い、触れ、感じる機会の減少が主な原因であると考えられる。私達の生きる時代に存在している道具類を改めて見直すことなど専ら無くなってしまった今日の社会は、道具と人間の関わりをますます浅くしてしまっている。我々は、もっと物との接点を増やしていくべきだ。

 そのための方法として第一に、自分の手によって作る、つまり『手作り』の価値を見直すことだ。何でも店へ行ってお金を出せば買える時代になった現代にい生きる私たちは、なにか自分で、あるいは知り合いの人が手作りで作ったものと接する機会も少ないのではないだろうか。最近『家庭菜園』という言葉を聞くようになったが、このようにスーパーで気軽に購入できるハーブなどの野菜を自宅の庭・プランターで育てることで、自然のモノとの触れ合いを体験できる。かつて我々の祖先は、あらゆる道具を使って獲物を捕まえたり、またその仕掛けを作ったりと、自らの力で生きている実感を常に感じられる生活をしていた。もう少し現代に近い例を上げれば、今のように鉛筆を電動鉛筆削り器に突っ込んで尖らせるのではなく、ナイフなどの鋭利な刃物で削っていた頃があったそうだ。ナイフの使い方や力の入れ加減など、人間の感覚を使って理解することが多くあったはずであろうが、機械化されたことによって、便利になった代わりにモノと我々の生活との関わりが薄くなっていったとも考えられる。物を作った人との関係さえも見えづらい今日こそ、手作りの良さを再認識すべきなのだ。

 また第二の方法として、学校教育では受身の授業のみならず、生徒同士が関わりを持てるような授業を展開していくべきだ。同学年の友達と話し合いなどをしていくうちに、一体感や連帯意識も生まれ、他人への無意識も改善されていくのではないのだろうか。教師と生徒の関係にしても、教師が一方的に何か喋って、生徒はそれを聞くか書くかするだけでは信頼どころかコミュニケーションをとる意識も無くなるだろう。江戸時代の寺子屋は、先生を慕う気持ちから多くの生徒が集まってきて、それがやがて『寺小屋』という名の学校となった(歴史実例)。学校は、人対人の環境を有意義に利用して、他者との関わり・出会いの経験を積む場所でなくてはならないのだ。

 確かに、現代の社会では情報を効率よく処理するのも重要だ。だがしかし、そのベースに人や物との関わりがなくてはならない。情報の背後に潜む実体があるからこそ情報に価値がついてくるのだ。人間はたった一人で生きていくものではなく、様々なものと関わっていくことで初めて生きていける。(自作名言)我々は、人や物と接することで生きる実感を感じられる生活をしていくべきだ。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1物・他者との関わりPINK92123369879283
2日本人の個性いすも88128872727590
3自分を広げたその先にくま王子86131267597483
4国際理解LOLLIPOP86138761677287
5接点と拒絶いさせ85133373697286
6夢を持つときいへゆ85120559646790
7新しい価値観ピカチュウ83117657819983
8人と物との関わりまいう8214935810211089



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森リン(103) 子供たちの作文(59) 

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言葉の森と国語の成績 as/881.html
森川林 2010/04/24 21:23 


 言葉の森で勉強をしていると、国語の学力がつきます。しかし、それは成績が上がることと同じではありません。成績を上げるには、上げるための勉強が必要です。それが、選択式の場合は、問題を解いて理詰めに説明する勉強で、記述式の場合は、指定の字数で時間内に書き上げる練習です。しかし、それらは、いずれも2、3時間もあればすぐにできます。そのような短時間でなぜ成績が上がるかというと、それまでに国語の学力がついているからです。

 次のような子がいました。小学校から言葉の森で勉強をしていて、中学受験をし、高校入試がないので中高と普通に勉強をしていた子です。高3になったときに、試しにセンター試験の国語の過去問を解いてもらいました。すると、意外なことに得点が高くありません。

 センター試験の平均点は60点ぐらいと言われていますが、その平均点と同じぐらいの成績です。そこで、小一時間かけて1問ずつ「なぜこの問題のこちらが答えになるのか」ということを理詰めで説明していきました。すると、次の週から、国語の成績はほぼ満点です。理系の志望の子なのに、国語の成績がいちばんいいという結果になってしまいました。

 なぜ、成績がすぐに上がったかというと、それまでに国語の学力がついていたからです。だから、同じように理詰めの説明をしても、それほど成績が上がらない子もいます。それは、その子の国語の学力が育っていないからです。言葉の森の課題の長文を読んで、内容を消化して、作文を書くという力がまだないということです。

 ここでわかるのは、国語の学力とは、読む力、書く力であって、国語の成績とは、問題を解く力であるということです。国語の学力があれば、国語の成績はすぐに上がります。そして、社会に出て役に立つのは、国語の成績ではなく、国語の学力です。大学入試の英語の学力も、半分は国語の読解力です。

 塾や予備校で勉強するのは、問題を解く勉強です。受験には時間制限があるので、時間内に解く練習はもちろん必要ですが、それよりも大事なのは、それまでに国語の学力をつけておくことです。長文を読み、自分なりに考えて、それを作文に書くという勉強の意義はここにあるのです。

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国語力読解力(155) 

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3月清書の森リン大賞(中1-中2) as/880.html
森川林 2010/04/24 05:15 
 3月の清書の森リン大賞を発表します。
 学年は、旧学年です。




※ 1位の作品は優れていましたが、要約の部分がやや多く含まれていたので、代表作品としては掲載しませんでした。
 次回から、清書にする際は、要約は省略するか、自分の言葉に直して説明する形にしておいてください。(^o^)/

3月の森リン大賞(中1の部77人中)

復活本因坊
本因坊

 ビーッ。校舎内でチャイムが鳴る。去年の今頃私は中学入試を受けていた。今までの勉強の総決算なので頑張らなければならない。いや、頑張らねば受験に合格はしない。しかし、受験当日校舎内で聞いたこのチャイムは、私の緊張感を一気に加速させるものだった。緊張感が全く無いのも駄目だが、過剰な緊張感もまた良くない。心地よい程度の緊張感は少なくとも必要である。では、この受験日、私はどのくらい緊張して受けていたのだろうか。後々、当日握手をした塾の室長に尋ねてみると、予想通りいうかあまり良くない答えが返ってきた。とても緊張していてガチガチだったということだ。話がずれてしまったが、「心地良い緊張感」というものは心身に好影響を与える。

 まず、第一の理由は緊張によって頑張るという気持ちを最大限に持っていった上で一息つくと、今までの高緊張もあって、とてもリラックス出来る。しかし、自分の中ではリラックスしているように感じていても、実は丁度良い緊張になっているのだ。結局私は志望校には失敗したのだが、一応難関校と呼ばれる中学に進学することが出来た。落ちた学校の時より、合格した学校の方が、リラックスしていたそうだ。このように、「心地良い緊張感」が大切なのだ。つまり、極端なリラックスや緊張はよくないというわけだ。

 次に、第二の理由は、皆がある程度の緊張感を持って仕事や勉学に励めば、もっと皆が努力できる環境を作れるはず、ということだ。ここでも、先程と同様のことがいえるわけだ。あまりに皆が無緊張で生活をすれば、生活が困難になる人口が増加する。そして、国のGDPも低下し、外国からの信用も損なわれる。そして、国の根本から崩壊する。逆に、極度に緊張すると、緊張によって人々の間にどんどんストレスが溜まり、ぎすぎすした社会構造が完成する。高度経済成長によって世界第二位の経済大国までに上り詰めた日本だが、まだ高度経済成長期のようなことをしていたら、これからの日本は無い。今、中国という更なる経済大国が出現したが、そのことからも、これからは日本は急激な成長によって国の安泰を図るのではなく、今ある環境を最大限活用する方法を考えるべきなのだ。これからは体ではなく頭を使う時代だ。そう、日本は今大きな分岐点に差し掛かっているのだ。この中で、緊張国かリラックス国か、普通の国か、どこを我々は目指すべきなのか。それを考えるべきなのだ。

 やはり、「心地良い緊張感」は皆が最も普通だが楽しく日常生活を送るためのひとつの方法だ。しかし、方法なのだがとても大切なことに間違いは無い。確かに、就職など緊張しなければならない部分も多少はある。しかし毎日緊張していては、身も心も耐え切れない。何度も述べてきたが、やはり、「心地良い緊張感」というのは、我々にとって無くてはならない生活のうちの片腕を担っていると感じた。心地よい緊張感で難関校受験は合格した。これからは、進学した学校の受験日をリラックス記念デー、合格発表日を成功記念日として自分の中で決め、リラックス記念デーは一息つく日、成功記念日は何か失敗してもくじけずに頑張ろうとする日として、永遠に自分の中で持っていたい。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1言葉の美なまず大使89132862777989
2復活本因坊本因坊8813146610410086
3狂気の大切さたけたけ88130059708283
4狂気の必要性ピプリー88125858738187
5狂気と理性パダワン87130558698392
6日本風コミュニケーションえらる86112957717992
7狂気とは?きこつ86116158697990
8狂気シャミ86155557657584
9たしかにブレーズ・パスカルは(感)ドラエモン83126153678490
10冷静な感情を狂わす熱情きとみ81184459699389


※ 1位の作品は優れていましたが、字数が3000字以上と多かったため、代表作品としては掲載しませんでした。

3月の森リン大賞(中2の部78人中)

「あそび」とは本当に「遊ぶこと」なのか
ファラオ

 学童のあそびには多くの想像力や抽象思考力がはいってくるからきわめて多彩なものになる。すでに三歳ごろからみとめられたことではあるが、低学年ではとくに「何々ごっこ」がさかんになる。それは対人関係の基盤をつくる力を持っているであろう。またボールあそびなどというものは、もっと幼いときから「心身の機能をはたらかせるもの」として行われているのである。そして子供は「お話」をきくのが大きな喜びで、主人公の喜びや悲しみに一喜一憂する。こうした新鮮な感受性と、奔放な空想力を発達させるために、学校の国語教育や作文の授業はきわめて大切な役割を持っているにちがいない。

 確かに子供時代の遊びから学ぶ事は多い。まずは「仲間関係」。これは生きていく上で一番大切な要素を持っている。集団で何かを話し合ったり、決めたりすることは大人になっても必要となってくると思う。私はどちらかというと、おままごとより男子と遊んでいる方が多く、かなり珍しい目で見られていたのを思えている。「ウルトラマンごっこ」--今はウルトラマンなど興味ゼロなのだが、ハマっていたようだ。しかしその中で学んだ事はたくさんある。先に述べたように、一緒に話し合って何役か決めたり、少し見方を変えて言うとどういう人が悪い人なのかという事なのだ。ウルトラマンの世界で言えば街を壊したり人をさらったりするいわゆる「かいじゅう」である。そのかいじゅうを倒す勇者がウルトラマンで、激しい戦いを征している。

さて、今の世の中に視点を戻してみよう。私にとって一番の敵は「地球温暖化」であり、それはまさに地球を壊している。そしてそれを救わなければいけないのが私たち人間である。日々この戦いの様子が放映されている。このように子供時代の遊びは何らかの形で役だっているのだ。

しかし、きちんとした勉強も大切である。昔話に、「つるときつね」がある。きつねが皿にスープを入れてつるにごちそうしたら、次の日につるが仕返しとして花瓶にスープを入れてきつねにごちそうした。まさに「バカだな」と言いたくなる話である。極端にいえば、きつねがつるの体の特徴について知らなかったと解釈できるだろう。いわゆる「勉強不足」である。やはり勉強は生きていくためには避けて通れないものである。私は次の四月で中学三年生となり、受験生になる。毎日毎日塾の宿題に追われていて、時には日付が変わるまで目をこすりながら宿題をやる事がある。しかし、その大変な中で勉強の楽しさ的なものを感じている。その理由を簡単に言うと、「宿題のための勉強ではなく、自分の将来のための勉強」という事に気付き始めたからだろう。特に英語は自分の将来にかかっていると思う。言語というものは難しいものである。しかし、今頑張ることで道がひらけるのだから、全力で努めていきたいと思っている。

確かに、子供時代の遊びも勉強も大切だ。しかし一番大切な事は、「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている。」という名言があるように、子供時代にしか味わえない事をたくさん経験しておくことである。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1もったいの教えおむふ8630996811411989
2「あそび」とは本当に「遊ぶこと」なのかファラオ86127656708387
3遊びから学ぶ社会の常識ポチト85141857698884
4勉強も大切だけど遊びも大切にのここ85121157587287
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