これまで、読書の大切さを書いてきました。ひとことで言えば、作業的な勉強、つまりできる問題をただ解くような勉強をするよりも、読書をする方が頭がよくなるということを説明してきました。
しかし、ここで考える必要があるのは、読書だけでは考える力を育てるのには不十分だということです。
例えば、よく本を読んでいる子の中でも、なるほどよく考えていると思わせる子がいる一方で、ただ読書の量が多いだけで、作文を読んでもあまり考えているようには見えない子がいるという問題があります。
一般に、考える子は、本を読むのに時間がかかることがあります。考えながら読むので、速くは読めない本があるのです。ところが、そういう本でも同じペースで読み終える子がいます。それは、考えずに読んでいるからです。
考えずに読んでいる子の作文は、下手ではありませんが、あまり面白くはありません。つまり、創造性が感じられないのです。(もちろん、それは固定的なものではありません)
では、その創造性はどこから来るのでしょうか。その前に、創造性とは何かということについて考える必要があります。
創造性とは、似ているものの異なる面、異なるものの似ている面を見る力です。両者の間にある隙間を発見することが創造性です。
読書は、材料を提供しますが、考える力のない子は、AとBの二つの材料の間にギャップを感じません。AはAとしてそのまま受け取り、BはBとしてそのまま受け取り、AとBを並列的に読みます。それは、なぜかというと、ABそれぞれの読み取り方が浅いからです。
例えると、ゾウという書物を読むのに、鼻と耳と脚を別々に読み取って、ゾウという全体像を読み取っていないということです。つまり、浅い読み方とは、狭い範囲で読み取ったことをただ集めたという読み方で、深い読み方とは広い範囲をひとつの全体として読む読み方です。この広く深く読む力は、別の言葉で言うと、抽象的なレベルにまで深めて読む力ということができます。
現代の受験の仕組みでは、試験に受かるための頭のよさは、主に記憶力のよさと結びついています。しかし、本当の頭のよさとは、ディベートをする頭のよさです。これは、物事を構造的に抽象化して読む力です。
では、そういう読む力はどこから来るのでしょうか。それは、1冊の本を何度も繰り返して読み、その本を全体的に把握することによって身につきます。
何度も繰り返して、その本を全体的に読み取るためには、その本自体に本物の深みがあることも必要ですが、本のレベル以上に大事なことは、繰り返して読むことそのものです。繰り返し同じ本を読むことによって、広く深く本質的に読む力がついてきます。
この繰り返して読む効果を抽出した勉強法が、言葉の森で現在行っている長文暗唱という練習です。
人間の思考力は、生まれつきはそれほど変わりません。変わるのは、思考力を育てるコツを知っているかどうかです。そのコツとは、小中学生の時期に繰り返して読む力をつけることです。
多読で材料を広げ、暗唱で思考力を深めるということが、これからの勉強の重要な柱になってきます。考える力を育てることによって、初めて読書の豊かな材料が生きてくるのです。