言葉の森新聞
2004年8月2週号 通算第850号
文責 中根克明(森川林) |
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■8.2週と8.3週を同時に送っています |
8月2週と8月3週は、言葉の森新聞をまとめてお送りします。 |
■賞品の不具合にはご連絡を |
言葉の森の「賞品の山」で送られた賞品に不具合がありましたらご連絡ください。交換の賞品をお送りします。 (例:ボールペンのインクがすぐ出なくなったなど) |
■森リンで百点を超える試み |
毎月1回、それぞれの先生が学級新聞を出しています。この内容はそれぞれの先生の個性により内容はさまざまです。 今月の学級新聞では、森リンの高得点を目指すという見当違いの試みをした人がいました(笑)。私もつられて挑戦してみました(笑)。 最初に、硬い文章を書いて森リンのページに入れてみると総合点は99点でした。気合を入れて書いたので、初めから百点を超えるつもりでいましたが、そんなに簡単なものではありませんでした。 総合点99点の内訳は、重量語彙が105点で多すぎ(つまり漢字の使いすぎ)で、素材語彙は96点、強力語彙は86点ぐらいでした。自分でも、少し肩に力を入れて書いた気がしたので、重量語彙が多すぎるという評価は納得できました。素材語彙の96点は、意識的に語彙の種類を増やして書いたつもりだったので、そのわりには点数が低いという印象でした。逆に言えば、高校生で素材語彙96点ぐらいの文章が書ける人はかなり語彙力があるということです。 100点台を超えないと、「超える試み」にならないので、その後99点の作文をいろいろと修正し、最終的に113点にしました。しかし、99点を101点にし、102点にし、104点にし、最後に113点にするまで、かなり時間がかかりました。この間、言い回しを工夫したり無駄なところを削ったりと、何十回も自分の書いた文章を推敲しました。まともに読める文章では、これぐらいが限界だと思います。113点を獲得した文章は、重量語彙が依然として高すぎるので、全体的に重い印象です。また素材語彙が多いので、濃密な感じを受けます。これは、好みが分かれるところになると思います。 実際の作文検定試験では、60分1200字の文章で96点以上が1級です。与えられた課題で時間制限がある中で96点以上を取るというのは、かなり高いハードルです。 森リンの裏をかき、めちゃくちゃな文章を入れて高得点を取ることができるかどうかというのは一つの問題です。森リンの仕組みから言えば、それは可能です。例えば、接続語と固有名詞を多用した文章を入れると強力語彙と素材語彙が上昇します。しかし、それを防ぐ手立てもまたあります。得点上昇だけを目的にした文章は、出てくる語彙と語彙の間に法則性がありません。普通の文章は、あるテーマについて論じるので、そのテーマの中心となる語彙は、何度も繰り返し出てきます。その出現頻度のパターンが普通の文章よりも著しくかけ離れている文章は、そのかけ離れた度合いに応じて読みにくい文章であると考えることができます。では、出現頻度のパターンも似せた上でランダムな語彙を並べて高得点を取ることはできるのかといえば、それはできないことはありませんが、普通の文章を書くよりもずっと困難です(笑)。検定試験では、テーマが与えられ、項目表による指示もあるので、それらの条件を満たした上ででたらめな語彙を並べて高得点を取るということは、文の一部ではできますが、全体にわたって行うことはできません。更に、検定委員がテキスト化を行う過程で、用法が違って使われている語彙があればそれは誤表記と見なすこともできます。 以上のことを総合して考えると、森リンはまだ改良の余地がありますが、充分に実戦に使えるものになっていると思います。 |
■ソフトの時代の終焉(最高点の作文) |
今年の春、ビジネスショーに行って驚いた。ほとんどのブースでノートパソコンが主役を演じていたのである。隣接してソフトの発表のブースがあったが、ここの説明者の多くは若い人たちだった。 帰り際、なぜかソフトの時代は終わったという考えが頭に浮かんだ。もちろん、今後も次々と画期的なソフトは生み出されていくだろう。しかし、ソフトを商売の種にする時代は、もう終わったのである。それは、ソフトの意味が薄れたからではない。逆にソフトが普及した結果、日常製品化したためである。例えば、ワープロソフトの一太郎やワードが出たとき、その機能は斬新だった。また、ゲームソフトのゼルダの伝説やファイナルファンタジーが出たときも、その面白さは衝撃的だった。それは言い換えれば、中学生のころ初めて家にテレビが来たときと同じ魅力を持っていた(年がわかるって)。しかしそれから数年、ワープロもゲームも、もはやそれ自体が話題になることはなくなった。なぜならば日常生活の中で洗濯機や冷蔵庫と同じ、コモデティ(日用品)として扱われるようになったからである。 こう考えると、今日、ソフトをもとにしたビジネスはきわめて不安定な基盤に立っていると言える。今検索エンジンのトップを走るGoogleでさえ、明日突然新しいソフトが登場して、その王座を奪われるかもしれない。ヒットするのが早い分、陳腐化するのもそれ以上に早いというのがこの業界の宿命である。 では、どうすればよいのだろうか。ソフトを頭脳とすれば、それに対応するものは手足である。頭脳の時代のあとに来るものは、手足の時代だというのが私の推論である。 織田信長は、桶狭間の戦いに勝ったあと、二度と際どい奇襲戦は行わなかった。同様に後を継いだ秀吉も、一夜城と言われる墨俣城を築くなどアイデアで勝負をしたのは、戦力の小さかった初期のころだけである。その後の戦いは、敵を上回る圧倒的な勢力で勝利を収めるという定石に沿ったものだった。 長篠の戦いで鉄砲戦が華々しく登場したあと、当時世界一の量と質を誇ったはずの日本の鉄砲技術は急速に衰微した。これは当時の為政者が、日本のような島国では、ソフトに頼る危険がその効果よりもはるかに大きいと判断したからである。つまり、鉄砲のように技術革新の速いものは、内部の力関係の変動を常に生み出すからである。これに対して西欧の権力者が日本と同様の選択をしなかったのは、ヨーロッパでは武器の技術に関して、内部の不安定さを増すマイナスよりも、外部の敵から自己を守るプラスの方が大きかったからである。 話を作文検定に当てはめて考えると、現在、森リンというソフトは作文検定の中心的な役割を果たしている。しかし、近い将来必ず現在の水準を上回るソフトは登場するはずである。従って、ソフトを重視するかぎり、運営は常に逆転の可能性にさらされる。だが、丈夫な手足があれば、大きな頭を支えることはできる。手足とは即ち、短期的には作文検定を正式の評価として採用する団体を増やすことであり、長期的には検定試験を作文文化の中に位置づけることである。ビジネスショーでスポットライトを浴びないような場所にこそ未来の鍵は置かれているのである。 |
■雨の音(みのり/まこ先生) |
夏休みを前に、しばらくつづいた雨の季節、みなさんいかがお過ごしでしたか? 出かけなくてもいい日の雨は、わたしはけっこう好きです。何となく落ちつきます。洗濯物(せんたくもの)が乾かないのは困りますが……。 ところで、雨のようすを表すことばにはどんなものがあるでしょう。 「ぽつっ」「ぽつり」「ぽたっ」「ぽつん」「しとしと」「じとじと」「ざーっ」「ざーざー」 いくつ思いつきましたか。 このような表現があると、その雨がどんなようすでふっているのかがかんたんにイメージできますね。 「雨がしとしと降っていた。」という文を読んで、嵐のような激しい雨を想像する人はたぶんいないと思います。 こんなふうにものごとの状態を私たちの発音でいかにもそれらしく写しとった言葉を擬態語(ぎたいご)といい、物音や声を写しとった言葉を擬音語(ぎおんご)といいます。(暮らしのことば擬音・擬態語辞典より) 私たちは、ふだん使い慣れている言葉なのであまり気にしていませんが、日本語は他の外国語と比べてこのような擬音語や擬態語が非常にたくさんあるのだそうです。この擬音語や擬態語が日本語の特徴であるとさえ言われています。 ある人は、擬音語や擬態語を「言葉と音楽との接点として考える。」と述べています。言葉だけではとても表現しきれない人間の豊かな感覚を少しでも伝えたいがために生まれたものだというのです。 日本語とは、何とすてきな言葉なんでしょう!……とわたしは思わずにはいられません。 みなさん、こそこそしないでどんどん・ばんばん・じゃんじゃん・どばーっとどっさり、すてきな日本語をわくわく・どきどき・るんるん気分で使ってみましょう。 |
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■比喩について(はち/たけこ先生) |
「紙風船」 落ちて来たら 今度は もっと高く もっともっと高く 何度でも 打ち上げよう 美しい願い事のように この詩は、6月3週の「マキの山」の長文の課題にのっていたものです。長文の続きにはこういうふうに書いてあります。「この詩のいのちは、美しい願いごとのように というすばらしい 「比喩」(ひゆ)にあると言えるでしょう」。この比喩(ひゆ)というのは、小学生のみなさんのかだいに、かならず入っている「たとえ」(まるで〜のような)のことです。 「マキの山」のこの長文の感想文では、「私は、比喩というのはたいせつだと思う」という主題からはじめて、その理由を書いてもらっています。書いてくれたのは、中学生のおねえさんたちですが、その理由がとてもよく書けていたので、小学生のみなさんにもわかるように、書き直してのせてみますね。 まず聖羅さん。「比喩(たとえ)を使うと、相手がよりよくわかってくれる」。 例として、小さいとき、美術館に行って見た、彫刻のことが書いてあります。お父さんとお母さんに、その彫刻の名前を教えてもらおうとして、小さかった聖羅さんは、こんなふうに言います。「あのね、石にすわって、ひじをついているの。それでね、まるで、かけっこで走ってて途中まで一番だったのにゴールの前でころんでビリになっちゃって、泣きたくなっちゃうようなお顔をしているの」それを聞いて、おとうさんはすぐにぴんときて、答えました。「ああ、それはロダンの作った『考える人』という彫刻だよ」。聖羅さんの説明は、「黒い石でできていて、高さ何メートル」という説明より、よくわかると思いませんか。それは、ただ彫刻の見た目だけでなく、「泣きたくなっちゃうような顔」という彫刻にこめられた「気持ち」まで、「たとえ」であらわすことができているからです。 それから雪乃さん。「比喩(たとえ)を使うと、表現がゆたかになる」とあります。 「それの証拠に、おもしろいなあと思う本にはかならずたとえが使われている」。みなさんも、本をよんでいるとき、たとえのおもしろさに気がついたことはありませんか? 雪乃さんは『ハリー・ポッターと賢者の石』の中から、次の例をひいています。「ハリーがホグワーツ学校から手紙をもらうとき、ハリーのおじさんとおばさんがハリーをバカにしているとういことがはっきりわかるたとえがあります。手紙なんか一生に一通ももらったことがなかったハリーにその日はじめて手紙がとどいて、信じきれないペチューニアおばさんは、「のどに手をやり、ちっそくしそうな声をあげた」のです。」たしかに、ただ「びっくりした」と書くより、どれほどおばさんがおどろいたかがよくわかりますね。 こんなふうに、たとえは大きなはたらきをします。「まるで〜のような」みなさんもくふうして、どんどん作文にたとえを入れてください。 今月の「自分なりのたとえ」:はるたんさんの作文から。「ちっちゃいくらげをようく見ていると、まるでしいたけのように見えてきました」くらげの頭って、ゼリーのようですよね。それが、ぽこんとへっこむと、ほんとうにしいたけのようですね。いままでに見たことのないたとえですが、まったくそのとおり。これはいいたとえです。 |
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■新聞を読もう!(雨/ばば先生) |
小学校高学年になると感想文が多くなりますね。中学生になると、是非の主題やその理由などの項目が出てきて、論理的に作文を書くことを練習するようになります。 そこで必要になってくるのは、課題文を読んだときに自分がどんな感想を持つかということです。「ふうん」「へえ」だけではなかなか作文にはなりませんね。「ふうん」から一歩進んで「自分はそうは思わないなあ」「同感!」「ちょっと違うんじゃないの?」と考えることです。 難しく言えば、自分なりの問題意識を持つこと。自分なりのテーマを持つこと。これができれば意見文はぐっとレベルアップします。けれども「ふうん」から一歩前に踏み出すのはなかなか難しいものです。そこで今回は、意見文のレベルアップのために一つの提案をしましょう。それは新聞を読むことです。 「ええ!? 新聞読むの?」とひいている、そこの君。心配しないでくださいね。新聞を読むと言っても、第一面を読みましょうとか、(朝日新聞の場合)天声人語や社説を読みましょうなどというわけではありません。 では新聞のどこを読むのか。それは意見投稿欄です。朝日新聞では「声」という欄がありますね。読者が投稿した短い意見文が掲載されています。題名に興味を持ったものだけでも読んでみましょう。 テーマはさまざまです。生活の一コマ、時事問題、社会問題、政治経済について、普段着の言葉で意見が書かれています。自分の体験とともに意見が書かれています。意見投稿欄はいわば意見文の見本市みたいなところなのです。「読んでみたいなあ」と思ったものだけ一つ二つ、読んでみましょう。 ここで気をつけなくてはいけないことが二つあります。一つは、掲載されている意見が正しいとは限らないということ。もう一つは世の中の代表選手みたいな意見である場合が多いということ(型にはまった意見が多い)。 ですから掲載された意見をそのまんまのみこむのではなく、あくまで「こういう意見があるんだな」という感じで頭の中においておきましょう。世の中の代表選手の意見が頭の中にたまっていくと、そこから自然に自分の意見が生まれます。 また、すでに自分の意見を持っている人も他の様々な意見と自分の考えを照らし合わせることで、さらに自分の意見を深めたり、見直したりすることができるでしょう。 まずは実践あるのみ! 忙しくて自習ができないという人もこれだけはやってみたいものです。そして小学校三、四年生でも読めそうなものを時折一つや二つ、読んでみることも意見文の準備として役立つでしょう。 |
■音読(けんけん/すもも先生) |
さて、そろそろ夏休みです。今月から課題フォルダが新しいものになりました。新しい課題フォルダを見ると、きっとみなさん「よし!がんばろう。」と思っていることと思います。先生も同じ気持ちです。そんなとき、「今度こそ音読をしっかりやりたいなぁ。」と考えている方も多いのではないでしょうか。 音読ってなかなか大変ですよね。読むほうも大変ですが、聞くほうもなかなか大変なのです。何を隠そう私も息子の音読の宿題を聞くのが大の苦手でした。なぜかって?ねむくなるからです。つまりつまり読んでくれるので、結局何が書いてあるのかもわからずに、睡魔がおそってきます。そんなとき、私は必ず「お母さんにも読ませて!」と教科書を取り上げていました。で、私のほうがうまく読むと、息子はくやしがって「もういちど!」とくりかえして音読することになります。また、とてもリズムのいい部分などを二人で覚えて、まるで歌を歌うようにくりかえし口にしていたこともあります。 ふだんの生活ではみなさんいそがしくてなかなか音読にじっくり取り組むこともできないでしょうが、夏休みならいつもより10分だけ音読に取り組む時間をふやすことができるのではないでしょうか?きっと楽しい音読の時間になると思います。ぜひためしてみてくださいね。 |