「紙風船」
落ちて来たら 今度は もっと高く もっともっと高く
何度でも 打ち上げよう 美しい願い事のように
この詩は、6月3週の「マキの山」の長文の課題にのっていたものです。長文の続きにはこういうふうに書いてあります。「この詩のいのちは、美しい願いごとのように というすばらしい 「比喩」(ひゆ)にあると言えるでしょう」。この比喩(ひゆ)というのは、小学生のみなさんのかだいに、かならず入っている「たとえ」(まるで〜のような)のことです。
「マキの山」のこの長文の感想文では、「私は、比喩というのはたいせつだと思う」という主題からはじめて、その理由を書いてもらっています。書いてくれたのは、中学生のおねえさんたちですが、その理由がとてもよく書けていたので、小学生のみなさんにもわかるように、書き直してのせてみますね。
まず聖羅さん。「比喩(たとえ)を使うと、相手がよりよくわかってくれる」。
例として、小さいとき、美術館に行って見た、彫刻のことが書いてあります。お父さんとお母さんに、その彫刻の名前を教えてもらおうとして、小さかった聖羅さんは、こんなふうに言います。「あのね、石にすわって、ひじをついているの。それでね、まるで、かけっこで走ってて途中まで一番だったのにゴールの前でころんでビリになっちゃって、泣きたくなっちゃうようなお顔をしているの」それを聞いて、おとうさんはすぐにぴんときて、答えました。「ああ、それはロダンの作った『考える人』という彫刻だよ」。聖羅さんの説明は、「黒い石でできていて、高さ何メートル」という説明より、よくわかると思いませんか。それは、ただ彫刻の見た目だけでなく、「泣きたくなっちゃうような顔」という彫刻にこめられた「気持ち」まで、「たとえ」であらわすことができているからです。
それから雪乃さん。「比喩(たとえ)を使うと、表現がゆたかになる」とあります。
「それの証拠に、おもしろいなあと思う本にはかならずたとえが使われている」。みなさんも、本をよんでいるとき、たとえのおもしろさに気がついたことはありませんか? 雪乃さんは『ハリー・ポッターと賢者の石』の中から、次の例をひいています。「ハリーがホグワーツ学校から手紙をもらうとき、ハリーのおじさんとおばさんがハリーをバカにしているとういことがはっきりわかるたとえがあります。手紙なんか一生に一通ももらったことがなかったハリーにその日はじめて手紙がとどいて、信じきれないペチューニアおばさんは、「のどに手をやり、ちっそくしそうな声をあげた」のです。」たしかに、ただ「びっくりした」と書くより、どれほどおばさんがおどろいたかがよくわかりますね。
こんなふうに、たとえは大きなはたらきをします。「まるで〜のような」みなさんもくふうして、どんどん作文にたとえを入れてください。
今月の「自分なりのたとえ」:はるたんさんの作文から。「ちっちゃいくらげをようく見ていると、まるでしいたけのように見えてきました」くらげの頭って、ゼリーのようですよね。それが、ぽこんとへっこむと、ほんとうにしいたけのようですね。いままでに見たことのないたとえですが、まったくそのとおり。これはいいたとえです。
|
|
枝 6 / 節 15 / ID 6658 作者コード:takeko
|