言葉の森新聞
2005年6月4週号 通算第892号
文責 中根克明(森川林) |
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■6月29日・30日は休み |
6月29日(水)・30日(木)は第5週でお休みです。先生からの電話はありません。 |
■ネット作文コンクール決定 |
日本語作文小論文検定協会(日作)主催の第1回ネット作文コンクールの結果が6月10日(金)に発表されました。 投稿した作品の点数が即座に森リンで表示されるという仕組みだったため、応募者が高得点の人に限られる面がありました。そのかわり、応募作品の質は高く、どれも読み応えのある力作でした。 森リン大賞(賞状と5000円の図書カード)は、12名の方に送られました。おめでとうございます。 作品は、日作のホームページでごらんになれます。 http://www.mori7.info/conc/conc_best.php 森リン大賞最高得点の作品 父と私
味噌煮込みうどん 恐れていた電話の呼び出し音が鳴る。思った通り姉からだった。父の臨終の報せに、咄嗟に心に浮かんだのは「参ったな。学校と職場にすぐ連絡しないと……。」だった。 最後に話した時、父は人相が変わるほどやつれていた。枕元を離れがたく、呂律の回らない父と少しでも話をしようと懸命だった。だがそれは「私は冷たい娘ではない。」と自分を偽るための空しい努力だったかもしれない。家族にとって、父は長年『困った人』だったのである。 幼い頃理由も分からず叱られた記憶。例えば百貨店で商品に触れれば、頭ごなしに怒鳴る。腹痛で泣けば、母親が戻るまで騒ぐなと怒られ、小旅行を計画すれば、大抵父の勝手で落胆する結果となったものである。確かに大人になった私は、父を喜ばすような読書や趣味の話相手になれる程度に小賢しく成長はしたが、それも年数回。毎日生活を共にする母の苦労はもちろん並大抵ではなかったはずだ。帰省の都度、父の晩酌と話相手を務める一方、母の長々した愚痴の聞き役に回り、疲れ果てるのが常である。 葬儀出席のため、仕事や子供の学校の雑事に対し、身辺整理を妙に手際よくこなし、帰省した。だが訃報を聞いた方々の早速のお悔やみの言葉に恐縮するほど、気持ちは冷静だった。 儀式は至極平凡であり、祭壇に飾られた写真は、花に囲まれ堂々と貫禄があった。私は『立派』な父の遺影に満足し、弔いが終わればもう母は楽になれると思い、密かに安堵した。出棺の時、初めて少しだけ涙がこぼれた。だがまだその涙の意味を深く考えずにいたのである。 早く仕事に戻らなければと、余裕のある夫や娘より一足早く新幹線に飛び乗り、夜の車内販売で父の好んだ駅弁と酒を買い一息つく。だが、とたんに我ながら驚くほど急に涙が溢れ出したのである。突然、あれ程嫌だった父の、照れ臭そうな笑顔が何故か脳裏に浮かび困惑した。贅沢を嫌う母に代わり、内緒で年頃の私に洋服や装飾品を買ってくれたのは父である。上京する私に、俺を真似て酒で失敗するなと笑った顔。身を切るような後悔だった。 姉妹のうち父似だったのは紛れもなく私である。母も姉も、父の心の奥底にはもちろん思い至らなかっただろう。だが、父譲りの性格の私だけに通じる闇の部分が、否応なくあった。理解を得られぬ苛立ち、葛藤、旅立つ恐怖と不安。だが私は、それらを頭から振り払うように日常の多忙さに追われ、確かに遠方に離れているのを言い訳に逃避した。私ならもっと父の役に立てたはず、いや、私にしか演じられぬ役割があったはずである。 さらに切ないのは、何故かあれほど疎んだ性質が、実にそっくり自分に受け継がれている現実である。他人に対して異様に気を遣う一方、家族には甘えて言いたい放題の小心さ。だが気付けば私も、同様の生き方をしているではないか。弁当を前に身震いした。悔恨の苦い涙が溢れた。 娘は奇しくも父と同じ誕生日である。報告した夜、孫が自分に似なければ良いと心配しつつ、しかし電話の声は弾んでいた。 父は確かに身近な者から見れば困った存在だっただろう。生前の素行は他人に言えぬ恥も多数。だがそれ以上に、失った父親から教わった事柄の何と深いことだろうか。 「お爺ちゃんの書道の腕前は日本一だね。」 娘が言う。何故そんなことすら思うことなく、私は生きてきたのだろう。 あまりに遅すぎた。だが今、せめて我が家の特等席に、父の掛軸は燦然と輝いている。 |
■6.4週は清書 |
毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください) 清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。 清書の意義は、次のとおりです。 (1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど) (2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと) (3)新聞社に投稿する機会を作ること このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。 【注意事項】 ◎清書は、黒いペンで書いてください。 (鉛筆だと薄すぎたり、濃すぎたりして、うまく読み取れない場合があります) ◎左上に、バーコードシールをはってください。 ◎バーコードシールは、その月のものを、ページ順に、まっすぐにはってください。 ◎絵や感想だけの用紙にも、バーコードシールをはってください。 ◎1枚の用紙の裏表を同時に使わないでください。 ◎独自の用紙を使う場合は、作文用紙と同じサイズにコピーを取り直してください。 (バーコードシールのないものや間違ってはられているものは、印刷日程の関係で翌々月のプリントになりますのでご了承ください) 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。 清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します) 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。 (1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください) (2)学年 (3)自宅の住所 (4)自宅の電話番号 (5)学校名とふりがな (6)学校所在地(町村名までで可) ●朝日小学生新聞の住所 104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中 ●毎日小学生新聞の住所 100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中 |
■あお先生の絵葉書販売(再掲) |
あお先生の絵葉書を希望される方のために、絵葉書販売のページを作りました。 10枚セットで1000円です。 ホームページから、好きな絵葉書を10枚単位で選んで送信してください。 代金は、絵葉書到着後にご送金いただきます。(1週間以内の返品は自由です) http://www.mori7.com/ehon/ehagaki.php (言葉の森の表紙のヤギの絵のところです) 暑中見舞いや残暑見舞いに最適な絵柄もあります。是非ご覧ください。 |
■助詞の使い方(しろくま/いのこ先生) |
☆ 文章で話そう! (てにをはをきちんと覚える) 最近の日本人は、文章で話すことが苦手だと言われています。確かに、電車の中や町中で聞こえてくる会話は、文章というよりも単語が並んでいるという感じに聞こえます。では、文章で話さないと、どんな困ったことになるのでしょう。 「てにをは」という言葉を聞いたことがありますか? 文法用語で言うと、「助詞」と呼ばれるものです。「〜は、〜に」と言った方がわかりやすいかもしれませんね。これは、文章を構成する上では、とても重要な働きをするものです。助詞の使い方がまちがっていると、文の意味がまるでかわってしまうこともあります。ですから、助詞を正しく使わなければなりません。 でも、単語をただならべたような話しかしていなければ、正しい使い方を身につけることはできません。たとえば、食事のときです。 「ソース、とって。」 もちろん、これでも意味は通じます。でも、正しく言うと、 「ソースをとってください。」 この「を」が大事なのです。 どうでしょう? いつもどんなふうに話しているか、あらためて考えてみてください。 助詞が入った文章を小さい頃から聞いていれば、作文を書くときに、「あれ? ここは『に』かな、『へ』かな」と、考え込まなくなります。まず、おうちで話すとき、文章で話すことを始めてみましょう。 おうちの方へ 助詞の使い方は、あらためて覚えよう、直そうとするのはなかなか難しいものです。言葉の使い方には、耳から覚えることもたくさんあります。正しい「てにをは」も、まず耳になじませる、聞いて身につけることが有効だと思います。御家族でも、楽しく文章で話すことをおすすめいたします。 |
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■最近の教育書を読んでいて思うこと(ぺんぺん/わお先生) |
今月の学級新聞は、保護者の方へのメッセージとして書きたいと思います。 本屋さんをのぞくと、近頃は、さまざまな教育書を目にします。私自身、子育てをしている最中であり、以前から教育に携わる仕事をしてきたので、何冊か読んでみました。どの本を読んでも、もっともなことが書いてあります。しかし、有名な先生が書いた本でも(有名な先生に限らず、誰が書いた教育書を読んでも感じることですが)疑問を感じることは、多々あります。 どのようなことに疑問を感じるかというと、「このような方法でやれば子供は必ず伸びる」というものです。たしかに、その本の筆者は、その方法で成功をおさめてきたのかもしれません。でも、それは、その筆者だから、成功したものなのです。 生徒に何かを教えるとき、熱意のある人なら必ず、「どうやったらうまく生徒に伝わるか」ということを考えます。教え方は、先生の個性によってちょっとずつ違います。だから、教えるための方法も少しずつ違うものです。また、オリジナルな方法やプリントというのは、それを考え出した人の情熱がこもっています。受け取る相手には、その情熱も一緒に伝わるので、効果が上がります。形ばかりを真似してもうまくはいきませんし、形だけではなく、書いてあるとおりに実行してみても必ずしも効果が上がるわけではありません。 子供の個性は、十人十色。誰にでも通用する目新しい方法などありません。誰にでも通用するのは、「子供のことを認めてあげて、がんばったときにはほめてあげる」というありきたりな方法だと思います。親というのは、他人の子なら寛大になれることでも、自分の子供だと寛大になれないものです。ほめることがいいことだとわかっていても、なかなか実行するのが難しいと感じるご家庭もあるかもしれません。 一般的に、子供は、「たくさんがんばるというのは、困難なこと」と思いがちであり、大人は、子供がほんのちょっとがんばったことを見落としがちです。そのおかげで、子供は、「親は、自分のがんばりを認めてくれない。」と思ってしまいます。子供がちょっとでもがんばったというとき、それを見逃さずに必ずほめてあげて下さい。高いハードルは、子供のやる気をそいでしまいます。 子供の意欲が今どの程度のところにあり、どの程度がんばっているか、それを見極めつつ、教育書にある方法の中で、自分の子供にあっているところだけを真似していくのが一番いい方法なのではないか、と私は思っております。 |