言葉の森新聞
2005年9月3週号 通算第903号
文責 中根克明(森川林) |
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■9月19日(月)・23日(金)は休み宿題 |
9月19日(敬老の日)と23日(秋分の日)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後8時。電話0120-22-3987) |
■ルールのある生活 |
ときどき、「○○が忙しくなったので、しばらく休会したいのですが」という連絡を受けます。 私(森川林)が保護者と話をする機会があるときは、よく次のように言います。「忙しいからという理由で簡単に休会すると、子供さんは『この習い事はその程度のものなんだ』と思います。そうすると、再開したときにも、少し苦しくなると『また休みたい』と言うようになります。習い事というのは、いったん始めたら、あらゆる困難を排して続けるぐらいのつもりで取り組んだ方が、生活全体にしっかりした柱ができます」 小学校低学年のときは、勉強の中身よりも、勉強の姿勢を身につけることの方が大事です。 もちろん、それでも受験の一時期は両立ができないときもあります。また、部活でどうしても時間が取れないという場合もあります。そういうときは、はっきり理由と期限を決めて休会させることが大切です。「受験で時間が取れなくなるから、○月から△月まで休んで、□月から再開しようね」という言い方です。なりゆきでやめて、なりいきで再開するのではなく、できるだけ事前の予定を立てて行動していくことが大事です。そして、決めたことはカレンダーなどに書いて、必ず実行する必要があります。 決めたことを実行するというのはとても大切なことです。親の言うことを聞かない子供がよくいますが、その原因は、親が自分の都合で約束を破っているところにあります。例えば、「テレビを長い時間見るのはやめようね」と口で言って、そのあと、子供が長い時間テレビを見ているのを注意しないと、子供は、「お母さんの言うことは口先だけだ」と学習します。親には、約束を破ったという意識はないので、「どうして、うちの子は言うことを聞かないのか」と思うのです。 子供との約束で、例外を作ることは厳禁です。子供は、その例外を学習するからです。ですから、子供に何か言うときは、それが実行できるかどうかよくよく見極めてから言葉に出す必要があります。テレビの例で言えば、「今度の○日から、1日にテレビを見る時間は○時間にしようね。これは、おかあさんがよく考えて無理のない時間だと思ったから決めたことなので、必ず守ろうね」という言い方をします。そして、しばらくの間は、子供がテレビを見るたびに、事前に「○時○分になったら消そうね」と言って、子供が時計を見られるようにしておきます。つまり、子供が容易に約束を守りやすいようにフォローしながら約束を守らせるのです。そして約束が守れたことを褒めてあげます。 これとは逆に事前に何も言わずに、約束の時間が経過してから突然「ほら○時間だからやめなさい」という言い方をすると、子供の心理的な抵抗は大きくなります。そして、この言い方は子供に約束を守れなかったという感覚を持たせます。こういう心理的な抵抗を大きくする話し方をするお母さんがとても多いのです。 授業の振替の電話のときも、事前に、「○日の○時ごろに、振替の電話をしようね」と言っておき、その時間が近づいてきたら、もうひとこと「あと、15分ぐらいした電話して作文を書こうね」と徐々に子供の心理的な抵抗をなくし、そしてちょうど時間が来たときに振替の電話をすればいいのです。しかし、多くのお母さんは、突然「あ、この前書かなかった作文の振替の電話しなさい」などという言い方をします。もっとひどいお母さんになると(笑)、「どうせ、今ひまなんだから」というような言葉まで付け加えます。このあたりの配慮ができるかできないかは、やはりその人の苦労の差のように思います。 このようにルールのある生活をすることと反対のように見えますが、もう一つ大事なことは、無理をしないということです。私は、自分の子供の場合、作文が何回分たまってしまったときは、前回までの分はなしということにしていました。休んだ分を取り戻そうというようなことでがんばるのは自分も嫌いなので、子供も嫌いだろうと思ったからです。しかし、ただ休みというのではなく、そのかわり本を○ページ読んでおくというような簡単にできることをさせていました。 子供は、勉強の中身だけでなく勉強の仕方からも、生き方に関する多くのことを学びます。お母さんの行う選択の一つひとつが子供の人生観を形成しているのだという自覚を持って、勉強に取り組んでいってください。 |
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■〜感じて、思って、考えて〜(雨/ばば先生) |
作文をすらすらと、しかもじょうずに書きたい! そんなふうにだれでも思いますね。今月はヒントの一つについて書きましょう。 正しく、きれいな文章を書き、起承転結の構成をしっかり書けば、それはじょうずな作文と言えるでしょうか? そうではありませんね。では、じょうずな作文は、どんな作文でしょうか。ちょっと考えてみてください。 答えはかんたんです。みんなが読んで、もう一回読みたいと思う作文、そして、読んだときに楽しくなったり、感動したりする作文です。みなさんが読んでいる本と同じですね。 では、どうやったらそういう作文が書けるのでしょうか? これはむずかしい問題です。読んで「おもしろい!」と思うのはかんたんですが、書いて「おもしろい!」と思わせることはむずかしいですね。 それではここで、一つだけヒントをあげましょう。それは、作文のなかに「感じたこと、思ったこと、考えたこと」をくわしく書くことです。 なぜそれが答えなの? と思うでしょう。よく考えてください。みなさんが「おもしろい!」と思ったり感動したりする本では、登場人物の気持ちがとてもくわしく書かれているのです。ためしにお気に入りの本を読み返してみましょう。 次は具体的に。たとえば「うれしいな」と思ったとき、作文に「うれしかった」と書くだけでは読む人にはなかなかうれしさが伝わりません。「うれしい」という気持ちをどうやったら分かってもらえるか。それができると、作文がぐんとうまくなります。 一つの方法は、「うれしい」という言葉を使わないで、「うれしい」という気持ちを説明することです。「私はぴょんぴょんとびはねました」「まるで夢みたいに思いました」など、具体的に「どう感じたのか」を説明します。 もう一つの方法は、「なぜ、どこがうれしかったのか」をくわしく書くことです。「花束をあげたとき、お母さんの目に涙がうかんでいるのを見て、お母さんがどれだけ毎日大変なのか分かり、私はお母さんが喜んでくれたのがとてもうれしかった」。長いですねー。 まだまだヒントはたくさんあります。毎日、長文音読をしていると、じょうずな作文の書き方が自然に身につきます。むずかしく考えずに、長文音読をコツコツとやり続けましょう。 |
■奈良絵本&カイコを育てた体験(はち/たけこ先生) |
中高生のみなさんの国語や美術の教科書に、『竹取物語』や『伊勢物語』の昔の絵がのっていませんか? もしのっていたら、それは「奈良絵本」とよばれる種類の昔の本かもしれません。 先日私は、この奈良絵本の本物をまぢかで見せてもらってきました。 奈良絵本というのは、室町末期から江戸中期にかけてさかえた「本」です。だいたい今から300〜400年前です。これがじつは、大名や貴族のお姫さまなどのつくられた本。いわば「女子どものあそびもの」なのだそうです。 あそびもの、というわりには、手作りで、とてもごうかです。まだ、印刷技術がなかったので、手作りなのですが、表紙の裏には、金ぱくがはってあります。そして、うすいしっかりした紙に、ていねいにきれいな絵がかいてありますが、そこにも金が入れてあります。色は今でもまるでかいたばかりのように、みずみずしくあざやかでした。黒いえのぐにはうるしがまぜてあるそうで、いっそうつややかになっていました。エメラルドグリーンや、なでしこピンクのようなきれいな色もありました。 日本という国は、紙とえのぐがあったから、こんなふうに、「女子どものあそびもの」としての本がつくられ、しかも思いきくふうがこらされたのだなあと感心しました。 というのも、私の研究しているタイなどでは、「紙」が作られなかったので、大人でさえ昔は本というものがなく、本を読むということもなかったからです。日本人が「本好き」で本やマンガが豊富に売られているのも、こうした伝統のおかげなのです。 さて、7月3週目のニシキギの長文は、虫の幼虫がたくさんの葉を食べて育つ話ということで、体験実例もチョウなどを飼った話がたくさんよせられました。その中で、ロケット君の「クラスでかいこを育てた体験」はちょっと変わっていたので紹介します。 『まゆになる前に先生が、一工夫して、カイコの糸のうちわを作りました。このうちわは、作るのがちょっとむずかしくとなりのクラスの先生は、これをつくって失敗してしまいました。なんと、うちわを作らずに、うちわの上に、まゆをつくってしまいました。ぼくたちのクラスの先生は成功しました。作り方は、まずカイコのよう虫が、まゆを作りそうになったら、ちゅうにぶらさげたほねぐみだけのうちわに、カイコを4ひきから5ひきとまらせて、しばらくまちます。うまくいけば、うちわにカイコの糸がはられていて、今作った、きぬ糸のうちわの上にさなぎがついています。これは、紙で作った三角すいの中にそっといれておいてやれば、うかしてくれます』 カイコといえば絹をつくるものです。絹も日本の伝統的な生産物です。絹は、タイやカンボジアでも昔から作られていたのですよ。 |
■★「カッコ悪いこと」をこわがらないで★(ほたる/ほた先生) |
今回は、こんなタイトルで始まりました。何のことでしょう? 私は先日、「ひきこもり」や「ニート(学校にも行かず、働きもしない人達のこと)」の人達のことをレポートする番組の記事を読みました。そこには、そういった当事者である若者が、自分のことを「理想主義者で、完璧主義者」であると分析した言葉が載っていました。つまり、「うまくいかないんじゃないかということが怖い、きちんとできない自分が許せない」というのです。それに対し、ゲスト(もちろん、大人です)が、「理想になんて、届かないのがあたりまえ」という言葉を寄せていました。 そうなんです。私にも覚えがありますが、「理想主義者で、完璧主義者」なのは、若者の特徴とも言えます。年をとるに従って、ある種あきらめも妥協も生じてきて、「まあ、こんなもんかな」というあたりに落ち着いてくる(笑)のですが、若いころはそれも許せず、ひたすら理想を追い求めていくものです。それが、若者のいいところでもあり、また悪い面でもあるわけですね。 「理想主義者で、完璧主義者」であることは、決して悪いことではない。けれども、「だから最初から何もしない」のは、ちょっと話が違います。 「ふられるのが嫌だから、告白しない」 「落ちるのが嫌だから、受験しない」 「うまく仕事を覚えられそうにないから、就職しない」 「人とうまくいかないから、誰とも付き合わない」…… 誰もみな、自分がかわいい。傷つきたくない。バカにされるのも嫌だし、怒られるのも嫌だ。そして、ほかの人を傷つけることも。だってそんなのは、カッコ悪い!! 気持ちは、よーくわかります。でも、若者の特権って、「理想主義者で、完璧主義者」であることだけではないんです。実は、「いくらでもカッコ悪くなる権利」も持っている。大人は、なかなかそうはいきません。大人はもう、親だったり、課長さんだったり、先生だったりするものですから、そう簡単にカッコ悪くなるわけにはいかない。(でも本当のところ、大人も自分たちが思っているよりはカッコ悪くても平気なんですけどね。) でも、君たちは違います。いくらでも、いーっぱい、カッコ悪くても平気です。なぜかというと、いくらでもやり直しがききますから。それに、その「カッコ悪さ」をたくさん経験するほど、経験値が上がって、将来「カッコいい大人」になれる可能性が増えるという特典さえついてきます。お得じゃん!! どうですか? カッコ悪いことなんて、そんなに怖いことじゃないんですよ。だって、生きてるってことは、みーんな大なり小なり、カッコ悪いものなんですから。他人は、大人は、先生は、ちょっとカッコよさそうに見えるだけ。本当にそれだけです。カッコ悪かったら、「エヘヘ」と笑って、すませましょう。若者に一番必要なのは、「根拠のないカラ元気」、これだけです。でも、絶対、それでだいじょうぶですから。 |
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■終戦60周年(たんぽぽ/たま先生) |
今年は終戦60周年にあたります。各地ではこの大戦の過ちを二度と繰り返さないよう、戦争体験者による講演や戦時中の資料の展示が行われ、戦争の悲惨さを訴えています。 みなさんは戦争を体験していません。お父さんやお母さんもそうでしょう。これだけ平和な日本では、過去に戦争があったことすら知らない人も増えてきているのだとか。もちろん二度と起こってはならないことですが、決して忘れてしまってよいものではありません。 私の父は昭和16年生まれ。神戸でかなり裕福な暮らしをしていたそうです。しかし戦争となっては、そんなことは関係なくなります。父の家族もまた、早く戦争が終わることを願いつつ、死と隣り合わせの毎日を過ごしていました。そして日ごとに空襲が激しくなり、終戦を迎えるほんの数日前に、とうとう家と家財道具を残して、祖母の実家がある岡山に疎開することになりました。当時まだ4歳だった父は、幸いにして戦争の恐ろしい記憶はほとんどないそうですが、真夏の日差しが照りつける中、どこまでも続く田んぼ道をひたすら歩いたことだけは覚えているそうです。 間もなく戦争が終わり、残してきた神戸の家に戻りました。家は焼けることなく無事に残っていたそうですが、ほっとしたのもつかの間。そこには見知らぬ人が住み着いていて「自分達の家だ」と主張し、父達は自分の家であるにも関わらず追い出されてしまったということです。現代ではとても考えられない話ですが、終戦当時は無法状態。こんな理不尽なこともまかり通ってしまう世の中だったのです。父達はどれほど悔しく、やりきれない思いをしたことでしょう。しかしこんな思いをしたのは、父の家族だけではないはずです。 先日、広島の(原爆)被爆者に対するインタビューがテレビで放送されていました。全員が「戦争は繰り返してはいけない」と。それは戦争を体験した人にしかわからない、重みのある言葉でした。中でも一人の男性がポツリと呟いた一言が印象的でした。「もうやめようや、戦争は…。」寂しく笑った男性の顔が、今でも頭から離れません。 私たちにできることは何なのでしょう。それは戦争に関心を持つことです。しかし間違えてはいけません。関心を持つというのは、戦争をしようということではなく、なぜ戦争が起こったか、戦争とはどういうものなのか、過去に起こった事実から目をそらさないということです。そして戦争によって悲しい思いをする人がいなくなるよう、みんなで心から願うことです。 |