言葉の森新聞
2006年4月1週号 通算第929号
文責 中根克明(森川林) |
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■4月1日(土)から新学期 |
4月1日(土)から新学期が始まります。4月からの教材の説明は、教材に同封してあります。 教材は3月28日ごろまでに届いているはずですが、万一まだ届いていないという場合はご連絡ください。 教材の説明は、「学習の手引」にも載っています。 Http://www.mori7.com/mori/gate.html |
■通信生の住所シール・項目シールの使い方 |
通信の生徒には、4.1週の山のたよりに住所シール・項目シールが同封されています。 住所シールには、先生の住所が印刷されています。封筒用紙に貼ってお使いください。 項目シールには、週ごとに項目シール又はバーコードシールが印刷されています。作文・感想文の週は、作文用紙に項目シールを貼り、清書の週は、項目シールは貼らずに、作文用紙の左上にバーコードシールを貼ってください。 |
■賞状は4.2週に送ります |
3.1週の作文進級試験の賞状は、4.2週にお送りします。 |
■ペンネームの変更 |
ペンネームは、ご希望のものをつけることができます。 これまでは、言葉の森に入会されたときの最初の設定を、姓名の名の方にしていました。しかし、名前が特定されやすいことから、3月の途中から生徒コードと同じにしました。 ペンネームの変更を希望される方は、下記のページで編集してください。 http://www.mori7.com/sato/hennsyuu.php ペンネームの字数の長さの制限はありませんが、あまり長いものは途中までしか表示されないことがあります。 文字の種類は全角文字に限定します。これは、半角文字だと縦書き印刷のときに文字が横に表示されてしまうためです。例えば、アルファベットで「Kenちゃん」などとしたい場合は「Kenちゃん」となります。 |
■選手がトンボなら、私はダンゴムシ(むり/むり先生) |
こんにちは! 1月に書いた目標の一つを実現するために、最近ランニングをしています。 ランニングというとかっこいいですが、姿だけはランニングですが、自分で走っていても笑ってしまうくらい遅いです。何しろ歩いている人と同じくらいのスピードですから。 実は、うちの近くにはオリンピックのマラソン選手も所属する会社の陸上部の合宿所があるのです。そこで合宿があるときは、近所をオリンピッククラスのマラソン選手が練習のために走ることになります。 先日走っていると、そういう選手と一緒になってしまいました。とはいえ、向こうは私が全速力で走るより早いスピードですから、一瞬のことです。後ろからビュンと追い越されて、あっという間に去っていきました。つぎつぎと選手たちがビュンビュン追い越していきます。 私は恥ずかしいながらも、あまりの選手たちの速さにびっくり。 そこで、なぜか思わずいろいろなたとえを考えてしまいました。 「選手がトンボなら、私はダンゴムシ」 「選手が新幹線なら、私は三輪車」 「選手がツバメなら、私はチャボ」 「選手が弾丸なら、私はおはじき」 「選手がパソコンなら、私はそろばん」 我ながら、こういうところが言葉の森の講師だなぁと思います。 でも、だれでもすごいと思う体験をすると、その感動をだれかに伝えたくなりますよね。その場に伝えられる人がいないときには、とてももどかしい思いをします。後でだれかに伝えようと思うけれど、「すごく速かったの、すごく速かったの」と言ってもあまり伝わらなくて、さらにもどかしい思いをすることも多いですね。 たとえを作ってみたり、何かにできごとを置き換えてみるのは、そういう時のもどかしい思いを軽くしてくれる効果もあるのではないかと、そのとき思いました。そのとき、その瞬間に自分が感じたことを伝えるのは、なかなか難しいことですが、別の言葉で表現することで、ちょっとスッキリするのだと発見したのです。 マラソン選手に追い越された様子は、もしもビデオカメラがあれば、録画してとっておくことができるかもしれません。でも、そのときの私のびっくりした気持ちは、こうして何か別の言葉に置き換えてみることでしか、とっておくことができなさそうです。 ビデオカメラではとっておくことのできないものを記録するという役目も作文にはあるのですね。 |
■できるようになったこと(めもま/けい先生) |
先日、小学1年生の発表を聴くチャンスがありました。題名は「できるようになったこと」。一人ずつ、父兄や仲間の前に出て、台の上に立って、発表します。 私は、この発表会に参加して、元気をもらいました。 『わたしのようちえんからは、たった一人で入ったので、ともだちができるかしんぱいだったけど、いっぱいともだちができた。』 『おおなわのれんぞくとびに入れなかったのに、入れるようになった。』 『ピーマンがたべられなかったのに、なにかにまぜてみたらたべられるようになった。』 『クラスのともだちみんなとなかよくなれたので、となりのクラスにもなかよしをつくりにいった。』 『字がきれいにかけるようになった。』 『ぎゅうにゅうぱっくが手であけられるようになった。』 『さんすうがわかるようになった。』 『ぞうじのとき、ゆかをぞうきんでふくのに。まっすぐ行かれるようになった。』 『ジェットコースターにのれるよになった。せがたかくなったから。』 などなど、みんないろんなことができるようになった、とうれしそうに発表していました。 子どもは小さければ小さいほど、できないことが多いので(あたりまえですね〜)、まるで、毎日のように『できるようになったこと』があって、感動していますね。しかし、人は大きくなると(大人になると)、できることがあたりまえになってしまい、『あぁできるようになったよ!』と感動することが減りました。例えば、小学5年生の皆さんが『あぁ、牛乳パック、手で開けられた!』な〜んて普通は大喜びしませんね。 私は、この発表会に参加して、元気をもらいましました。発表している子一人一人がかわいくて、愛おしくて、「そうかそうか、そうなんだ、よかったね〜!」と心の中で思いました。うらやましく思ったり。そして、なぜだか、「私もがんばろう〜」などと感じました。 皆さんは、1年生だった頃のノートや作品をとっていますか?それから、ずっと前に書いた作文を、ファイルしてありますか?もし、できたら、たまには昔の自分をちょっとのぞいてみてくださいね。どれほど今、自分にできることが増えたか、感じるでしょう。小学生の皆さんは、まだまだできるようになることがいっぱい。作文にも「コマが回せるようになった」とか「野球でホームランを打った」とか「ドッチボールでいっぱい当てられるようになった」「一輪車に乗れるようになった」「ピアノが弾けた」などと書いていますね。読んでいる私も、うれしくなります。これからもどんどん、いろんなことに挑戦して、「できること」をふやしていってくださいね。その姿を見て、感じて、そばにいるお父さんやお母さん、そして、私もまた元気を分けてもらっているのですね〜。 (めもま) |
■昔話をもう一度(はち/たけこ先生) |
昔話もう一度読んでみよう・知ってみよう イギリスのオックスフォードに留学した経験ももち、英語で論文も書いている若いお医者さまに、「作文教室で、『昔話実例』という課題がある」ということを言ったら、たちどころにこんなメールが返ってきました。 「昔話実例ですか。今昔物語かなにかで強欲国司が登場する話がありますよね。彼は危険な谷に転落するのですが、皆が生死を案じて谷に籠を下ろすと、自分より先に山菜をどっさり乗せて籠を上げさせたそうです。そういう人間に僕はなりたい(わけないですよ)。」 私はすっかり驚きました! 医者という理系の世界の人であり、しかも英語をあやつる人がこんな「和」の昔話にも通じていて、すぐさま書いてくるなんて。本当にはば広い教養のある人だなあと感じ入りました。(しかも私、今昔物語の中のこの話は知らなかったのですよね) いくつかの課題長文にもでてきますが、「昔話」というのは世界中どこにでもあり、しかもそれは人間の心が感じる基本的な気持ちの動きや、どんな人間にもおこる基本的な苦労に対するちえがこめられています。だから、世界のどこにでもある「にている昔話」というのはとても多いのです。昔話を読むということは自然に、「物語や人間世界のことについて」の基本を学べるということですし、文化を知るということでもあります。 電話できいてみても、けっこう小さいころ聞いていたはずの昔話を忘れている人が多いようなので、子ども向けのものや、フォア文庫などの本で昔話集を見つけたら、ぜひ読み返して見てください。「ウサギとカメ」「ありとキリギリス」のように世界的に常識になっている話もたくさんありますしね。 『日本昔話集』『イソップ物語』『グリム童話』『ギリシア神話』『古事記』『今昔物語』などをやさしく書いてあるものは今からぜひ読んでみてくださいね。 (みなさんはこの絵の昔話をいくつ知っていますか?) |
■春の言葉(しろくま/いのこ先生) |
寒かった冬も終わり、春がやって来ました。六年生、中学三年生のみなさんは、卒業式が間近ですね。 ご卒業、おめでとうございます。お友だちや先生との別れ、慣れ親しんだ校舎との別れ。さびし気分の卒業ですが、4月からは新しいスタートです。自分らしい歩みで、一歩一歩自分らしい足跡を残していってくださいね。 ☆ 季節の言葉 ……ことわざから 今月は、春のことわざを紹介しましょう。 「春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)」 意味はよくわからなくても、このことわざを聞いたことのある人はたくさんいることでしょう。寒い冬と違って、春の夜はよく眠れるので、ついつい夜が明けたことにも気づかずに眠り続けてしまうという意味です。春になって暖かくなってくると、夜にかぎらずどうも眠くなってしまうものです。本を読んでいたはずなのに、いつの間にかうたた寝をしていた経験はありませんか? 「春日(しゅんじつ)遅々(ちち)」 これは春の日がのどかで、なかなか暮れていかないという意味です。そういえば、いつの間にか日の暮れるのが遅くなりましたね。冬のように寒くないしなかなか暗くならないし、ついつい家に帰るのが遅くなってしまいます。 「春宵(しゅんしょう)一刻値(いっこくあたい)千金(せんきん)」 何だか漢字が並んでいて難しそうですね。春の夜はとてもすばらしいので、それは千金(千両、大金)ほどの値打ちがあるという意味です。 春日遅々では昼間がすばらしいと言い、このことわざでは夜がすばらしいと言っています。つまり、春というのは一日中すばらしいとこれらのことわざは教えてくれているのですね。 春休みももうすぐです。お天気のいい日には外で遊ぶのもいいですし、たまには公園で本を読むのもいいでしょう。家の中の読書とはちがって、新鮮な気分で読書を楽しめるかもしれませんよ。 |
■おもしろい勉強のすすめ(はちみつ/おと先生) |
春一番のニュースが流れ、いつのまにか庭のヒヤシンスがかわいらしい花を咲かせていました。春を実感する今日この頃です。 この季節に思い出すのが、以前親子で参加した、ふしぎ探検隊の野草パーティとその野草の味わいです。野草パーティというのは観察会+アウトドア料理会です。観察会の里山を散策し、食べられそうかな、おいしそうだなと思う野草を摘んできて、野草に詳しい自然観察メンバーの方の標本をもとに食べられるもの、そうでないものに分別します。私と娘のお気に入りはユキノシタの天ぷらです。もちもちっとした食感と癖の無い味が衝撃的でした。娘は野草の魅力に取り付かれ、その後も学校の帰りに道端のよもぎなどを摘んできて料理してくれと言ったほどです。市街地の草はちょっと抵抗があり、料理しませんでしたが。(笑) また、大阪の塾が運営する小豆島の施設に1泊2日で宿泊し、実験や観察、解剖、科学工作などの体験学習にも参加していました。夜更かしの天体観測など親元から離れて開放感の中、のびのびと勉強を楽しんでいたようです。科学的な実験の中、必ずカリキュラムにアイスクリーム作り、豆腐作りなどの食べ物が絡んでいて、やっぱり食いしん坊の娘には絶対行きたい、やりたい勉強のようでした。 娘は今も当時も特に理科好きでも、親の思惑に反して(笑)、理科の成績が良いわけでもありません。現実的な形に反映されているわけではないようです。レーチェル・カーソンの「沈黙の春」という本に、レーチェルが小さな小さな甥っ子を抱いて真夜中の浜辺へ自然を体感させるべく連れ出すという印象的なシーンがあります。まだ言葉も話さないような、わけもわからないような小さな子供にわざわざ寒い思いをさせるなど、大人の常識からは考えられないようなことをあえてする、ここにレーチェルのこだわりと生き方がありました。 読書や数多くの体験をすること、それはすぐに学校の成績に結びつくことは無いかもしれません。ほんとの勉強をするということはおもしろいものなんでしょう。 |