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  連休中の予定(再掲)
  日記を書く子
  くわしく書くとは……(ごだい/ひら先生)
  短文暗唱のすすめ(うるっち/かん先生)
  淡白な日本の親子関係(いるか/かこ先生)
  希望はかなえるもの(ミニー/さらだ先生)
 
言葉の森新聞 2006年5月1週号 通算第933号
文責 中根克明(森川林)

連休中の予定(再掲)
教室の休みは、課題フォルダに書いてあるとおりです。
 4月29日(土)は休みです。
 5月1日(月)2日(火)はあります。
 5月3日(水)4日(木)5日(金)は、休み宿題です。先生からの電話は ありません。
 5月1週の言葉の森新聞と山のたよりは、4月28日、5月1日、5月2日に発送します。
日記を書く子
 中学生や高校生の文章を読んでいて、ふと「この子は、日記を書いているんだろうなあ」と思うときがあります。それは、体験実例の書き方に内省的なものが感じられるときです。
 小学生のころの日記は、事実の描写が中心になるので、文字どおり日々の記録にすぎませんが、中学生や高校生になってから書く日記は、事実よりも自分を振り返る内容のものになってきます。日記を書くことに目覚めた子は、だれに言われるわけでもなく、何の得をするわけでもなく、ただ自分自身を確認するためだけに日記を書き続けます。多感な中学生や高校生の時期に、このように日記をつける習慣を持った子は、ものの見方に陰影を持つようになってきます。ものの見方に対する微妙さは、現代の社会ではほとんど評価されていません。現実の社会で評価されているものは、成績や姿形などの外見に出たものです。しかし、たぶん、内面の深みはその人の生き方を何重にも豊かなものにしているはずです。
 今の若い人たちが、昔に比べて日記を書かなくなったように思われるのは、日記を書くという時間の過ごし方があること自体を知らないためだと思います。携帯電話やインターネットで他人との交流をするための言葉は豊富になりました。しかし、そういう言葉とともに、自分自身と対話する言葉も人間には必要なのだと思います。
くわしく書くとは……(ごだい/ひら先生)
 みなさん、こんにちは。新しいクラスにはそろそろ慣れたころかな?気が合う友だちも出来ましたか。

 先生は、牛の鳴き声が日々聞こえていた鹿児島の田舎生活から、大都会(注:先生にとっては)金沢に越してきました。以前住んでいた町の人口は二万人。一方、金沢市四十五万人。その差、なんと約二十二倍。田舎にはもちろんない憧れのスターバックス、買わないけど(買えないけど^^;)ティファニーやグッチが立ち並ぶ街並み・・・。

 住み始めて一週間後の感想は家族全員、「目が回る」。
長男(小二)は、
「僕は金沢では運転しないって決めた。車同士が近くてぶつかりそうだよ。」
と本気で怖がっていました。
一方、そんな疲れを癒す、兼六園や金沢城の緑や歴史を感じる石垣。それらがドーンと繁華街と同居して町の中心にしっかり居座っているのが、この町の魅力なんでしょうね。しかし人の多さや物の多さに慣れるまでしばらく時間がかかりそうです。(笑)

 さて、そんな街並みを散歩していたら、石造りの階段に出会いました。名をW坂。ちょうど、Wを横に倒した状態で階段が作られています。長さは四階建ての家の階段を上るぐらい。スポーツ気分で一気に駆け上がろうとしたら、途中こんな看板が。

☆ ☆ ☆
「北の海」井上靖
二人は橋を渡ると、かなり急な坂をじぐざぐに登っていった。
「この坂はW坂言うんだ。W字型に折れ曲がっているでしょう」
杉戸は説明してくれた。なるほど、少し登ると折れ曲がり、また少し行くと折れ曲がっている。
「腹がへると、なんとも言えずきゅうと胃にこたえてくる坂ですよ。あんたもあしたから僕の言っていることが嘘でないことが判る。ケイコのひどい時には、この辺で足が上がらなくなる。なんで四校に入って、こんなに辛い目にあわなければならぬかと自然に涙が出てくる。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 この坂は、井上靖さんの小説の舞台になったのですね。
坂道一つとっても、その人その人の状況で、感じ方が違います。
私の場合は<金沢って目が回るけど、楽しそう。ルンルン♪おっ、おもしろい階段>という気分なので、「眺めが良いなあ」などとぐんぐん登ってしまいました。
この引用文に出てくる杉戸さんは、何のケイコかわかりませんが、かなり体も心もきつい状況にあり、「腹がへると、なんとも言えずきゅうと胃にこたえ」るこの坂を登るつらさを語っています。

 一つのテーマでも感じ方が違うので、ぜひ作文にも自分独自の経験、思ったことをこの引用文のように<詳しく>書いてみて下さいね。
詳しく書くとは、クワンシイン(感心)だ。(春なのにちょっとサムイ風が・・・。)

短文暗唱のすすめ(うるっち/かん先生)
 新学期がはじまりましたね。新しい環境にどきどきわくわくしていることでしょう。言葉の森の課題フォルダも春の花々をイメージさせるピンク色の課題フォルダになりました。気持ちも新たにがんばっていきましょうね。緑色の課題フォルダからはじまった長文のテストはいかがでしょうか? 自習の励みになりますよね。テストの結果はどうであれ、毎日の自習は必ず力になりますよ。大切なのは長文音読に短文暗唱、そして読書を毎日続けていくこと。今回は短文暗唱についてお話してみようと思います。

 なぜか私は、幼い頃から国語の成績だけはよかったのです。しかしそれも中学までの話。高校では古文という、まるで英語と同じような未知の言葉が加わったのですから、たまったものではありません。まったくもってちんぷんかんぷん。あれほど得意だった国語が嫌いになってきました。そんなころです。冬休みの宿題で「百人一首をすべて暗唱する」という、恐ろしい課題が出たのです。
「えー、信じられない、。できるわけないよー。」
と、みな口々に文句を言い合ったものです。しかし、もともと暗記は得意だったので、冬休みも終わりを迎える頃にはほぼ暗唱できるようになりました。もちろんどんな歌なのか意味も理解しないまま、とにかく暗記したのです。それからです。なぜかスラスラ古文が頭に入ってくるようになったのは。これには驚きました。百人一首を暗記することで、古文のリズムが体に染み付いたのでしょうか。いくら聞いてもわからなかった先生の説明する文法がすんなり理解できるのです。これが暗唱効果なのでしょう。

みなさんがやっている短文暗唱もまさに同じことが言えるのです。
「書かれている内容がわからないんです……」
それでいいんです。
「むずかしすぎて……」
それでもいいんです。
意味がわからずとも、実力に見合わずとも、とにかく続けてみてください。いつか短文がスラスラと暗唱できるようになるころには、しっかりとした文章が書けるようになっているはずです。

 作文の勉強はもちろん国語の勉強は目に見えて力がつきません。ですから、毎日コツコツ長文や短文を読んでいくことはつまらないかもしれません。しかし、現在の国語力の土台は幼い頃からの経験、つまり文字とどれくらい親しんできたかにあると思うのです。この土台を着実に固める方法は一にも二にも自習。細切れの時間を上手に利用して毎日続けてみるようにしてくださいね。
          
 
淡白な日本の親子関係(いるか/かこ先生)
先月の日本経済新聞に、「淡白な日本の親子関係」という見出しの記事が載っていました。日本青少年研究所が2005年、4カ国(日本、米国、中国、韓国)における高校生に国際比較調査(親子関係に関する日米中韓4カ国の高校生の意識の違い)を行った結果、日本の高校生と親との関係が淡白なものであることがうかがえたそうです。
★ 父親は私をよくほめる … 日本=17%、米=39%、中=35%、韓=38%
★ 母親は私をよくほめる … 日本=27%、米=62%、中=48%、韓=56%
★ 父親に自分の悩みを相談する … 日本=14%、米=29%、中=28%、韓=16%
★ 母親に自分の悩みを相談する … 日本=38%、米=58%、中=51%、韓=44%
以上は棒グラフになっているものを数字で表したものです。また、「父親の期待がプレッシャーになっている」と感じる高校生は、米中韓で34〜41%に対し、日本は14%。「父親とよく話をする」という項目では、日本が最も高く38%であったそうです。
 この結果はほんの一部にすぎません。他にもいろいろな項目があるのですが、それらを調べてみると日本の親は叱ることはしても、ほめることに関しては苦手であろうことがわかってきます。愛情表現が苦手と言われる日本人ではありますが、子供がよい成績を取ってきた時、何かを頑張った時などおおいにほめてあげることは成長過程において必要不可欠なことと思います。なにも、外人のような愛情表現をしなければいけないわけではありません。「よく頑張ったわね。」の一言でも、気持ちがこもっていれば、子供には十分伝わるはずです。淡白ということは、無関心であるとも考えられます。頑張ったことや自分がいつもよりできたと思うことなど、子供は親に見てほしい、認めてほしいと思います。そんな時に、「あ、そう」だけで終わらせたり、「今、忙しいから」と言われてしまったら、子供はどのように感じるでしょうか。自分に関心がないと思うかもしれません。忙しかったら、「今、○○で見られないから、ちょっと待っててね。」と理由をはっきり言ってから、後でちゃんと見てあげればよいのです。親からかけられたほめ言葉は、どんな薬よりもはるかに効き目があると思います。「大げさだなあ。」と子供が思っても、本人にとっては嬉しいわけですし、次へのステップにつながる原動力にもなるはずです。
 ほめることができないというのは、どこをどうほめたらよいのかわからないということなのかもしれませんね。作文の中で言えば、具体的に文を示してあげればよいのです。「ここのたとえの表現、すごくいいなあ。本当に○○みたいだったわよね。」「こんな難しい言葉をいつ覚えたの? すごいじゃない!」「こんな表現の仕方もあるのねえ。お母さんは思いつかなかったなあ。」などとほめてあげるのです。文章を上手に書けない場合、「こんな文じゃダメよ。」とは言わずに、「お母さんだったら、こんなふうに書くかもしれないなあ。」と何気なく示してあげることも大切だと思います。子供であっても、たとえ年齢が低くても子供には子供のプライドというものがあります。頭から否定されることは、その子のプライドが傷つくのです。
 ほめることは難しい、と私達は思い込んでいるのかもしれません。子供の隠された才能を十分に伸ばしてあげたいと思う時、私達自身が思い込みから解放されなければなりません。また、親であっても自分の気持ちを素直に表すことは、悪いことでも恥ずかしいことでもないのです。ほめることは簡単なことです。子供をそのまま受け入れてあげればよいことです。親が望む枠の中に子供を押し込もうとすればするほど、怒りも不満も出てくるでしょう。もう少し枠を広げてみることも必要かもしれませんね。新しい学年になったことですし、私を含めご父兄の方々も、ほめることの大切さを改めて考えてみるいい機会かもしれません。

 
希望はかなえるもの(ミニー/さらだ先生)
 今朝の朝日新聞の「ひととき」 (読者投稿) を読みながら、さわやかな風に触れたように気持ちになりました。
 一浪(いちろう)を経て、晴れて今年の四月、札幌にある大学の獣医学部に合格した娘さんを持つお母さんが、投稿した「ひととき」 でした。その娘さんは、小学校2、3年生のころから「獣医師になりたい」 と思っていたそうです。
結びにはこう書かれていました。
 
 決意を胸に、確かな一歩を踏み出した娘。「希望がかなったね」 と旅立つ背中に語りかけたら、「希望はかなうものではなく、かなえるもの」 と力強い言葉が返ってきた。
             
 四月の一週に、「今年の目標」 で何名かの子が作文を送ってくれました。みんな自分の目標をしっかりと書いてきてくれました。どの子にも、先生は「がんばれ!」 と言ってあげたくなりました。
 先生の長男は、前にも話したように昨年受験をして、第一志望の大学に入りました。受験期の一年間、先生が彼にかけてきた言葉は、「どれだけ『その大学に入りたい!』 と思うかだよ。その気持ちの強さが結果につながると思うよ。」 でした。
                                
 目標を持つことは、その人間を高めていきます。そして、その目標に向かって努力を重ねることは、もっともっとその人間を大きくし、成長させていきます。努力する過程は、やさしいものではありません。もうその目標を捨ててしまいたくなるときもあるでしょう。けれど、やっぱりあきらめないで、いつまでも「その目標に向かっていくんだ!」 と強く思って進んでいけば、あの娘さんのようにきっと夢はかなうことでしょう。まずは、目標を立てて、新しい学年にのぞみましょう。

 先生の娘たちは、四月から高3と中3になりました。お兄ちゃんと同じ言葉を二人にかけていこうと思っています。












                                       
 
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