言葉の森新聞
2006年9月4週号 通算第952号
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森新聞 |
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■9月23日(土)は休み宿題 |
9月23日(秋分の日)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後8時。電話0120-22-3987) |
■9月29日(金)・30日(土)は休み |
9月29日(金)と30日(土)は第5週で休みです。宿題もありません。 |
■9.4週は清書 |
毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください) 清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。 清書の意義は、次のとおりです。 (1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど) (2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと) (3)新聞社に投稿する機会を作ること このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。 【注意事項】 ◎清書は、黒いペンで書いてください。 (鉛筆だと薄すぎたり、濃すぎたりして、うまく読み取れない場合があります) ◎左上に、バーコードシールをはってください。 ◎バーコードシールは、その月のものを、ページ順に、まっすぐにはってください。 ◎絵や感想だけの用紙にも、バーコードシールをはってください。 ◎1枚の用紙の裏表を同時に使わないでください。 ◎独自の用紙を使う場合は、作文用紙と同じサイズにコピーを取り直してください。 (バーコードシールのないものや間違ってはられているものは、印刷日程の関係で翌々月のプリントになりますのでご了承ください) 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。 清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します) 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。 (1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください) (2)学年 (3)自宅の住所 (4)自宅の電話番号 (5)学校名とふりがな (6)学校所在地(町村名までで可) ●朝日小学生新聞の住所 104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中 ●毎日小学生新聞の住所 100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中 |
■10月からの教材の変更点 |
10月の新学期からの教材の変更点です。 1、これまでの課題フォルダでは、長文集が先に8ページ並び、次に解説集、絵のヒントなどが並んでいました。 新学期からは、10.1週から12。4週までそれぞれの週ごとに、長文・解説・絵のヒントと並ぶようにします。 これまでよりも、見やすくなると思います。 2、これまでの長文は、縦書き・ルビなしでした。 新学期からは、横書き・ルビ付きになり、行間もこれまでより広くなります。 ルビは、その学年以上で習う漢字につけています。 3、これまでは、短文集がありました。 新学期からは、短文集を廃止します。したがって、短文の暗唱の自習はなくなります。 そのかわり、小学1年生以上は読解マラソンの長文を入れています。 4、これまでは、読解マラソン集はありませんでした。 新学期からは、読解マラソン集という文章を12ページ追加します。(幼長までの生徒はありません) この読解マラソン集は、長文音読とは別に、毎日3ページずつ音読するためのものです。 読解マラソン集をもとに、清書の週に国語問題を出します。 しかし、読解マラソン集や国語問題は負担が大きいという場合はしなくてもかまいません。 5、これまでの清書は、毎月全員のものを同グループごとに5人に載せていました。 新学期からは、コンクール形式にし、学年ごとによく書けた作品を5編程度載せるようにします。 6、これまでの山のたよりは、メール便で送っていました。 新学期からは、郵便で送ります。 10月からメール便の到着日数が東京―名古屋・東京―仙台間は2日、それ以遠は3日となるためです。 |
■わたしんちの犬(かな/やす先生) |
『一匹の動物も愛したことがなければ人の魂の一部は眠ったままである。(アナトール・フランス)』 この格言に感動したからではないのですが、一昨年の夏から犬を飼い始めました。 名前はパセリ。メスの犬です。 さぞかし、この子はわたしをいやしてくれるにちがいないと思っていました。 外出先から帰れば、転がるようにとびついてきて、大歓迎してくれることでしょう。 どこにいても、名前を呼べば飛んできて、足下にじゃれついてきたり。 もしかしたら、毎朝新聞をとってきたり、鳴っている携帯電話をくわえてきてくれるかもしれません。 そんな期待で飼い始めた子犬。期待はこっぱみじんになりました。 外出から帰ればうん○をしており、それを踏みつけて、足の裏はうん○だらけ。 その足でとびついてくるから、こっちもうん○だらけです。 おしっこの場所もいつまでたっても覚えず、おかげでうちのフローリングは黒いしみだらけになりました。 気に入らないことがあると、うなったりほえたりし、時には噛みつくのでわたしの手は絆創膏だらけ。 新聞や携帯電話をとってくるどころか、すべての家具にカジカジかみついて、ボロボロにされました。 散歩に出ると、他の犬にほえかかってけんかを売るため、うちの犬を見るとわざわざ道をかえる人もいます。 悩みました。何十冊も「犬のしつけ方」の本を買って読みました。でも何をやっても、パセリの態度は相変わらずです。 とびつかれて、鼻をかじられた日には、本気で「里子に出そうか」と思いました。 そのころです。犬好きの友人からこんな言葉を聞いたのは。 「安田さん、犬っちゅうのは15年くらい生きるやろ。最初の5年は必死にしつけや。次の5年は、まあまあ楽しい時期。最後の5年。それは介護やで。覚悟しときや」 ぼうぜんとしました。人は何のために犬を飼うのでしょう。 15年のうち、楽しいのはたった5年とは……。 しかし、それが現実。わたしは覚悟を決めました。いくらバカ犬でも、捨てるわけにはいきません。まるまる、この子の15年間を引き受けるしかないのです。 あれから2年ほどたちました。相変わらずパセリはお利口とは言えません。 回数はへりましたが、やっぱりウンチをふみつけるし、家具はかじるし、他の犬にけんかも売ります。 でも、わたしをかんだりはしなくなりました。口にわざと手を入れると、こまったような顔になって、一生懸命わたしの手を舌で外に押し出します。 散歩をすませてご飯を食べると、安心しきった顔でソファーで寝ます。寝ながらブヒーブヒーといびきをかき、時々プフッとおならをします。 変な犬。でも、わたしんちの犬です。、 |
■環境が整うまで(いろは/いた先生) |
五月の話になりますが、「ポンペイの輝き展」というものに行ってきました。ポンペイというのはイタリアの一都市の名前です。ヴェスヴィオ山の大噴火でポンペイとその周辺都市は一夜にして地表から姿を消したといわれています。先生のお目当ては「アポロ」を代表するフレスコ画でした。以前どこかで「赤の色が美しく忘れられなかった。」という言葉を耳にしたのを思い出したのです。 最終日の展覧会。うねるような人並みをかき分けやっとたどりついた「アポロ」。穏やかで勇敢(ゆうかん)な表情をたたえた彼がわたしの目に映りました。「きれいだね。」むすめがポツリと一言。そう、多くを語るにはもったいないほどの、やさしい色合いなのです。「赤色」というよりも「朱色」といった方が適切です。1900年経った今でもこの色が保てるなんて……。 このアポロを発掘したのはアントニオ・デモシーネ氏。複雑な経緯があってやっと日の目をみたのがこの壁画です。きれいな色が保てたのは度重なる噴火と地震のえいきょうで近くを流れる川の地下水脈が遺跡に流れ込み、壁画を2000年近くも守っていたからだそうです。ぬれた壁画をはがすのは並大抵の作業ではなく、10ヶ月近くもかけて切り取り修復しました。でもそんな苦労があったとは思えない、完全な形で現れているのです。アポロの色が見られただけでよかったな。そんな思いがしました。 今、アポロが発掘された遺構は再び地中にあるそうです。デシモーネ氏いわく「再び発掘できる環境が整うまで待つしかない。未来の考古学者の仕事になるだろうが、考古学とはそういうもの」。きっと自分の手で遺跡にたどりつきたいに違いない。けれど、環境が整うまで待つ、という選択もあるのだと感心しました。 「環境が整うまで」。この言葉、指導するときにも感じます。一度にたくさんのことを伝えたい。けれどもそれをする時期ではない。そういうとき、私は今伝えたいことだけを、作文用紙に書き込みあとは目をつぶります。いずれおとずれる好機を待とうと……。デシモーネ氏と同じ境地ではないかもしれないけれど、多くを語らず、後にまわすことできれいな色を放つ作文になると信じているのです。今回のアポロは私の思いを支えてくれているようでした。 |
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■自分の足で歩く人生(うるっち/かん先生) |
みなさんは言葉の森のホームページを見たことがありますか? 言葉の森のホームページには、代表の中根先生が作文や国語の勉強法に関するさまざまな記事を書いていらっしゃいます。この記事についてコメントをいただくこともあるのですが、先日、保護者の方からこんな嬉しいコメントが届きました。私が日ごろから考えていたことをズバっと代弁してくれたような内容です。ここでご紹介させていただこうと思います。 今の時代、目先の試験でいい結果を出すことに気を取られ、その元となる力をつけることが忘れられているような気がします。 社会で活躍するときに、テストの点をぶらさげているわけにはいきません。実力で勝負する場面で、力を発揮できないのでは本末転倒。自分の内側に力をつけることが大切なのだと思います。 そのためには、いかに深く考えられるか、そして、その考えをいかにうまく言い表せるかが重要になってくると思います。 でも、さらに大事なことは、一人一人が幸せな人生を送ることだと思います。そのときに必要なのは、広いビジョンで物事をとらえられること。 私は、言葉の森にお世話になって(私ではなく子供がですが。)よかったと思っています。 (保護者:アリスさん) アリスさんが指摘されているように、私たちは目先の利益にばかり囚われて、長い目でものを見ることを忘れてしまっているように感じます。子供の勉強にしても然り。いかにして次のテストで高得点を取るかが勉強のメインで、さしあたっての大きな目標は目前に控えた受験に合格するといったところでしょう。そのための勉強が忙しくなってくると真っ先に削られてしまうのが作文だというのも当然の選択なのかもしれません。しかし、長い目で人生を見た場合、必要なのはテストのための勉強ではなくて、幸せに生きるための勉強なのではないでしょうか。 では、幸せに生きるとはいったいどういうことでしょう? 幸せに生きる……さあ、みなさんはどんな生き方をイメージしますか? 私は、幸せな人生とは、自分の足で歩く人生ではないかと思うのです。その結果成功することもあるかもしれない。逆に大きな痛手を受けるかもしれない。でも、自分の人生は他の誰でもない、自分自身のためのものです。親はもちろん、誰も代わりに歩むことはできないのです。どんなことがあっても潔く自分で責任を取れる人生をまっとうに歩めたら、ほんとうに素敵だと思います。そのためにはしっかりと自分のビジョンを持たねばなりませんね。そうでないと、自分が何を求めているのかという根本的なことが明確になりません。周囲に流されていたと気づいたときにはすでに手遅れなんて危険もあります。実際人生に手遅れなんて言葉は当てはまらないのでしょうけどね。 言葉の森の学習は国語のテストに直結するものではないかもしれません。作文用紙を前に何を書いていいのか悶々と悩んでいるときなどは特にそう感じるかもしれません。 「こんなこといったい何の役に立つの? 時間の無駄だよ。」 そんな声さえ聞こえてきそうですね。でも、自分の頭をフル回転させ自分の心とじっくり話し合う時間は絶対に必要なのです。このために費やした時間が人間に深みをもたらすのだと思います。そして、ただ頭の中でぼんやりと考えているだけでなく文章にすることで、思考はますますクリアになってくるのです。言葉の森の課題をこなしているみなさんは、知らず知らずのうちに自分磨きの訓練をしていることになるのです。面倒だと思わずに、じっくりと自分と向き合い、自分だけの幸せな人生を見つけて欲しいと心から願っています。 |