言葉の森新聞
2006年11月1週号 通算第957号
https://www.mori7.com/mori/ |
森新聞 |
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■11月3日(文化の日)は、休み宿題です |
11月3日(文化の日)は、休み宿題です。先生からの電話はありません。その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室まで電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987) |
■ルビなしの長文 |
父母の広場に、「ルビなしの長文も用意してほしい」との投稿がありました。 ルビなしの長文は、下記のページで見られるようにしました。 課題フォルダの長文は、課題の岩で、◆をクリックするとルビあり、▲をクリックするとルビなしの長文が見られます。 http://www.mori7.com/mine/iwa.php 読解マラソンの長文は、下記のページで、ルビなしの長文が見られます。 http://www.mori7.com/marason/marason_sample.php 次学期は、教材の中に、ルビありの長文とルビなしの長文の両方を入れる予定です。 最初はルビありの長文を読み、読みなれてきたらルビなしの長文に移行するようにしていくとよいと思います。 常用漢字の数はわずか2000字程度ですから、読解マラソン集をしばらく読んでいると、大人向けの文章も楽に読めるようになるでしょう。これは、子供にとって大きな自信につながると思います。 |
■ルビの歴史(補足) |
2006年9月3週号の言葉の森新聞の記事に、私(森川林)は次のように書きました。 「当時は更に過激に、日本語をローマ字にしようとかひらがなだけにしようとかいう意見もあったようです。中には、日本語をやめてエスペラント語やフランス語を国語にしようという人もいたぐらいですから、いかに当用漢字が熱狂的な空気の中で制定されたかがわかります」 この記事について、「エスペラントは『国際共通語』なので、日本語の使用をやめてエスペラントを国語に採用しようという提案をエスペランティストがすることは考えられない」とのご指摘がありました。 私が参考にした本は、「日本語の世界16」(大野晋・丸谷才一 中央公論社)で、見直してみると、次のように書いてありました。 「阪谷素は、同じ勉強努力して習字するなら実用的な方がよいという考えから、万国文字言語の統一を主張した。各国文字言語の長を取り短を捨て混一にし、従来の各国語は私用にしようというのである。しかし、エスペラントのような人造語ですら国際語としてなかなか広まらないのは、言語に歴史がなく、その言語がいまだ文化的資産を持っていないからである」 この文章の内容を「エスペラント語を国語にしようと提案した人もいた」と読み間違えたのです。(^^ゞ 不確かな記述で失礼しました。 なお、日本語をフランス語にしようと提案した人は、志賀直哉です。 お隣の中国でも、毛沢東時代に、中国語の漢字をやめてローマ字にしようという提案が毛沢東自身からなされました。理由は、タイプライターなどを打ちやすくするためにです(笑)。しかし、「人間が機械に奉仕するのではなく、機械が人間に奉仕するべきだ」という反論が出て取りやめになりました。 |
■読解マラソンに国語問題 |
10.4週に、読解マラソンのページに国語問題を掲載しました。 記述式の問題が中心なので、難しかったと思います。 なお、記述式の解答の採点をするプログラムに不充分なところがあり、ほとんど合っているのに△や×になるという問題がありました。せっかく送信したのに低い点数になってしまった生徒のみなさん、ごめんなちゃいm( __ __ )m 現在、このプログラムは改良しています。既に解答を入力した人については、こちらで採点をし直してあります。 |
■9月の入選清書 |
9月から、小3以上の生徒は、グループ別の清書ではなく、入選した清書をプリントしてお渡しするようにしました。 学年別の入選清書は、下記のページで見ることができます。 http://www.mori7.com/seisyo/nyuusenn.php なお、小2以下の生徒は、これまでと同様にグループごとの清書をプリントしています。 小3以上の生徒のグループごとの清書は、これまでどおりホームページの山のたよりで見ることができます。 |
■書きにくい題材にも挑戦(ひまわり/すぎ先生) |
作文には、書きやすい題材と書きにくい題材というのがあります。たとえば、楽しい遠足、楽しい運動会などといった題名で書くのは、どんどんえんぴつも動くことでしょう。読む人を楽しい気持ちにさせる作文も、それはそれですばらしいものです。 しかし、生きていると、楽しいことばかり起きるわけではありませんね。悲しいこと、つらいことは、作文のテーマとしては書きにくいものです。でも、書きにくい言葉、それは時として深く人の心を打つ場合があるのです。私は、みなさんの作文を読んでいて大笑いをすることはしょっちゅうですが、反対に泣いてしまったことも何度かあります。 ふだん明るく元気な男の子が、「自分ではどうすることもできないことがある。それは、いつもは仲の良い両親がケンカをしてしまった時だ。それは、ぼくにとって何よりも悲しいことである。」という内容の作文を書いてくれたことがありました。毎日顔を合わせている家族であれば、たまには意見が合わずケンカをすることもあるでしょう。しかし、両親のケンカのことなど、子どもにとっては早く忘れてしまいたいことでしょうし、思い出して書くという作業はつらいものだったに違いありません。作文用紙を通して、彼の気持ちが痛いほど伝わってきました。そして、この作文はご両親の心を強く揺り動かしたようです。この作文を読んだお母様からは、「今回の内容は、親として深く考えさせられました。」とのコメントをいただきました。 また、かわいがっていたペットのうさぎが死んでしまったときのことを書いてくれた作文を読んだ時も、涙が止まらなくなりました。姉と弟で同じテーマの作文を書いてくれたのですが、このときは一つ読んでは泣き、もう一つ読んで泣き、たいへんでした。うさぎが死んでしまったのは、実は数ヶ月も前のことで、書ける心境になるまでに相当の時間がかかったそうです。二人は、泣きながら作文を書いたということですが、その後のお電話では、うさぎと過ごした楽しかった日々のことを語ってくれました。 書きにくい言葉をあえて整理して書くという作業によって、みなさんが一段と成長できるという例を、私はいくつか見てきました。だれでも、生きていく中でつらい経験をします。それを早く忘れる努力をすることも、もちろん大事でしょう。しかし、その経験をまっすぐに見つめて文章にあらわすことで、どうしようもない悲しい気持ちを整理したり、自分の心の中で一段落をつけて、次のことを考えるきっかけにすることもできるのではないかと思います。また、書きにくいテーマこそ、読み手がより深く共感できる場合が多いのです。みなさんは、悲しいお話を読んだりドラマを見て、涙を流したことがあるでしょう。つらい経験を乗り越えたという話は、読む人に勇気を与えることもあります。 毎週作文を書いていると、書くことがなくなって困るという話も耳にすることがありますが、先生を泣かせてみたい人は(笑)、書きにくい題材にもあえて挑戦してみてはいかがでしょう。 |
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■この演技を見せたかった(まあこ/ゆた先生) |
学校から帰ってくるなり、 「お母さん、これ。」 と差し出されたのは、運動会のプログラム。 「おお、運動会もうすぐだねぇ。どれどれ……あれ、6年の徒競走、朝イチじゃない。」 「徒競走は見ないで。」 すかさずこう答えるのはいつものこと。息子はなんでも「見に来ないで」と言います。特に運動は苦手なので、本当に見られたくないようです(^^;)。しかし、今回はめずらしく 「でも、組体操は見てね。」 という言葉が続きました。なるほど、それが言いたくてプログラムを渡したんだ。 6年生の組体操は、毎年恒例の種目です。勝った負けたの種目と違い、観客の記憶に鮮明な絵として残ります。その年の運動会の印象を決定づけるといってもいいかもしれません。 その組体操にいよいよ息子たちが挑むと聞くと、私の方が緊張してきました。過去にはすばらしい演技の年もありましたが、時には雨続きであまり練習ができなかったのか、あちこちで体勢がくずれてしまった年もありました。ため息につつまれた校庭の雰囲気、その中に立たされていた6年生はとても辛かったと思います。 今年も雨が多かった。大丈夫だろうか。 「ねえ、逆立ちがあるよね。できるの? 人間ピラミッドがくずれたりしない?」 「できるできる大丈夫。」 あぁ、息子のお気楽即答「大丈夫」ほど、あてにならないものはありません。ますます不安がつのります(--;)。 息子が幼稚園生だったころに、学校の前を歩いていたときのことです。道に面した塀とぴちっと閉まった門は透けないようになっていて、中の様子は見えません。その門の隙間にタタタタタッと息子が駆け寄り、中をのぞき始めました。 「こらこら、そんなことしちゃダメよ。」 と後を追うと、空に少年が!?……なぬぬぬぬぅ?? わが目を疑って見上げると、そこには組体操の最上段に立った男の子がいました。 見ると、校庭一面に男の子がいて、組体操の練習をしているのです。しかし、シーンと静まり返っている。聞こえるのは鋭く響く笛の音と、男の先生の低い指導の声だけ。これだけの児童がいたとは全く気づきませんでした。張り詰めた緊張感ときびきびした動きにしばし見とれてしまいましたが、我に返り、「さあ行きますよ」と息子をうながしました。 「ぼく、あのお兄さん達みたいになりたい。」 門から離れながらそう言った息子は、まだまだひょいっとだっこできるほど小さかった。それから6年。いよいよ、あのお兄さん達みたいになるときがきたのです。 台風一過の大晴天。様々な競技の興奮を落ち着かせるように、静かに組体操は始まりました。まずは倒立。「ピッ」おお、なんと、ちょっと太めのわが子が立派に逆立ちをしているではありませんか。それも真っ直ぐないい形です。会場に拍手が起こります。扇……タワー……シーンと見守る会場。そして技が決まるたびに歓声と拍手。そしてまた見守って──大技のピラミッドでは最高の大拍手。真っ青な空にそびえ立ちました。 ここ数年の中でも最も素晴らしい出来であったと思うのは、親ばかでしょうか。素晴らしい演技でした。感動しました。 足を持ってくれると信じているから思い切り蹴り上げられる。つないだ手を決して離さないと信じているから、引っ張り合える。「大丈夫だ、ぼく達が支えているから思い切って上へ駆け上がれ!」そんな心の声が聞こえてきそうでした。一番上に立つ人も一番下で支える人も、真ん中の段でバランスをとる人も、全員が誇りを持って挑んでいました。息子はこの演技を見せたかった。6年間一緒に学んだ仲間と自分の姿を、自信を持って見せたかったのだと思います。 6年前のお兄さん達みたいにかっこよかった。いや、もっとずっと、かっこよかったよ。 |
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■「日本語コロケーション辞典」(メグ/じゅん先生) |
教室の図書室に『日本語コロケーション辞典』(学研)という本があります。コロケーションというのは、「連句」「連語」などという意味です。具体的には、「腹を立てる」、「味を占める」など、「腹」と「立てる」、「味」と「占める」のように二つの語がつながって一つの意味をなす言葉のことです。 この本で「目」のところを見てみると、70余りの用例が載っています。その中からいくつかご紹介しましょう。 「目が利く」 物事のよしあしが分かる。見分ける力がある。 「目がくらむ」 惑わされて、正確な判断力を失う。 「目が据(す)わる」 (酒に酔うなどして)目が一点を見つめたまま動かなくなる。 「目が高い」 優れているものを見分ける能力がある。 「目が光」 厳しく監視する。 「目に余る」 あまりにひどいので、黙認できない。 「目に立つ」 きわだって注意を引く。 「目の色を変える」 あるものを得ようとして必死になる。 「目の黒いうち」 生きているあいだ。 「目を潜(くぐ)る」 監視や見張りに見つからないようにする。 「目を細める」 うれしそうな表情をする。 「目」という簡単な単語も、組み合わせる言葉によって、こんなにも意味のバリエーションが広がるのですね。 では、「耳」についても調べてみましょう。 「耳が痛い」 自分の弱点に触れられて、聞くのがつらい。 「耳が肥えている」 音楽などを聴いて、理解したり優劣を判断したりする力がある。 「耳が早い」 うわさなどをすばやく聞きつける。 「耳に逆らう」 不愉快に聞こえる。 「耳にたこができる」 同じことを繰り返し聞かされて、うんざりする。 「耳に残る」 聞いた声や音が長く記憶される。 「耳に挟(はさ)む」 ちらりと聞く。聞くとはなしに聞く。 「耳をそばだてる」 注意深く、集中して聞こうとする。 「耳を揃(そろ)える」お金を、不足なくまとめる。 二つの語がつながって一つの意味をなす言葉は、ほかにもたくさんあります。作文を書くときに、この『日本語コロケーション辞典』を手元に置いて、使えそうな言葉をさがしてみるのもいいかもしれません。 書店で、『日本語コロケーション辞典』を見つけたら、ざっと目を通してみてください。お目にかなって、購入される場合も、目が飛び出るような値段ではないのでご心配なく。(笑) 山田純子(メグ) |