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  作文小論文入試のコツ(その1)
  すてきなアドベント(むつき/やま先生)
  本で見た風景を探して(ふじのみや/ふじ先生)
  だから作文っていいのよね(いろは/いた先生)
  三日坊主返上なるか!? (けいこ/なら先生)
 
言葉の森新聞 2006年12月2週号 通算第962号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
作文小論文入試のコツ(その1)
 大学入試ばかりでなく、高校入試でも、中学入試でも、作文試験を課すところが増えてきました。

 今回は、主に高校入試での作文のコツを説明します。
 高校入試では、課題文にそれほど難しい内容のものは出ないことが多いので、受験者が書く作文は、どれも似通った上手なものになる可能性があります。この中で、どのように上手さを目立たせていくかということが大事になります。

 まず第一は、字数の枠内に収まっていないものは、文句なしに不合格だということです。採点者は、限られた時間で多数の作文を採点するので、字数の条件をクリアしていないものは、内容さえ見てもらえない可能性があります。
 第二は、誤字が二つ以上あるものも、やはり同じように無条件に不合格になる可能性があります。この誤字が、実は意外と多いのです。中でも、小学生のころに習った初歩的な漢字を間違えて覚えているというケースが多いです。中学校の3年間は真面目に勉強していても、小学3、4年生のころは結構適当に勉強をしていたという子はかなりいます。というよりも、むしろそれが自然な姿です。しかし、その小学生のころに間違えて覚えた漢字は、ふだん自分の書いた文章を人に見てもらう機会がないので、大人になるまでその間違えた漢字のままずっと覚えているというわけです。どうして、そういうことがわかるかというと、私(森川林)自身がそうだったからです。^^;
 個人的な話ですが、私は読むことも書くことも好きで、書くことについては、中学生のころからずっと日記を書いていました。しかし、勉強の方は、その当時の子供たちの多くがそうだったように、家ではほとんどしていませんでした。その私が、自分が小学生のころに習った漢字を間違えて覚えていると気づいたのは、大学生になって就職試験で作文を書く練習を始めたころでした。自分で文章を書きながら、辞書で逐一確かめてみると、あるわあるわ、次々と誤字が出てくるではありませんか。その誤字のほとんどは、小学生のころにならったはずの教育漢字でした。私はたまたま自分でそういう練習をしたので、その後自分の書く文章で誤字はほとんどなくなりました。しかし、私と同じように小学生のころにあまり勉強をせずに、高校生になってからしっかり勉強をするようになった人の多くは、今でも同じような状態にあると思います。たぶん、男の人。(笑)
 実際に、社会人の書いた文章を見る機会がときどきありますが、800字の作文で誤字が一つもない作文というのは、実は珍しいぐらいです。そう考えると、高校入試の作文を誤字でスクリーニングすると、それだけでかなりの作品が絞られてくるように思います。
 誤字をなくすコツは、入試に出てくるようなテーマで文章を書き、そこに出てくる漢字をすべて辞書で調べてみることです。もっと簡単なのは、ほかの人に読んでもらうことです。一般的な漢字の書き取りの練習をしても、効果はありません。大事なのは、正しい漢字が書けるということではなく、「自分がよく使う語彙や言い回しで」正しい漢字が書けるということだからです。
 私の経験では、今800字の文章を書いて、誤字が2ヶ所以上あった人が、これから練習して誤字ゼロの文章を書けるようになるには、1年間ぐらいかかると思います。
 第三は、難語を自然に書く、第四は、光る表現を入れる、第五は、感動のある体験実例を書く、第六は、知性を感じさせる社会実例を書く、第七は、構成が分かるように書く、などですが、それはまた次回に。(つづく)

 受験コースの生徒から、ときどき、「先生のヒントを聞いてから書くのでは、試験の本番のときに書けないのでは」と聞かれることがあります。
 しかし、これまでの経験では、先生のヒントを聞いて、そのとおりに書ける子は実力のある子で、合格圏内に入っている子です。
 ただし、ヒントを見ながら、ヒントを写すような感じで書いていては力がつきません。ヒントを聞いて、又は読んで、そのあとは、自分の頭の中に残っているものだけで書くというのが実力をつけるコツです。
 
すてきなアドベント(むつき/やま先生)
 
 世の中にかぼちゃおばけがあふれたハロウィンが終わったと思ったら、もう世間はクリスマス一色ですね。以前はまだ11月なのにクリスマスなんてという気がしていたのですが、最近では世の風潮に流されてか、「どうせ飾るなら長い方がいいかな」と早速クリスマスツリーを飾ってしまいました(笑)長女が通う幼稚園はキリスト教系ですので、クリスマスは特別な日。この日を厳粛な雰囲気で祝うため、様々な準備がなされます。この学級新聞が発行される頃にはアドベント(待降節)に入っていることでしょう。
 先生もあまり耳慣れなかったこのアドベントという言葉。クリスマスの4週間前の日曜日からクリスマスイブまでの期間のことをさすそうです。みなさんの中にもアドベントカレンダーを目にしたことがある人もいるのではないでしょうか?12月に入ったら、一日ずつ扉をめくるようになっていて、中にはクリスマスにちなんだ絵がかかれていたり、チョコやキャンディーが入っているものもあったりで子どもたちは毎日楽しみに扉をめくるそうです。その他にアドベントクランツも有名ですね。クリスマス用にリースの上に4本のキャンドルが立っていて、毎週一本ずつ灯りをともしていきます。「もう〜、い〜くつね〜る〜と」という気分が高まりますよね(笑)
 昔の人々が救世主の誕生を心待ちにしたのと同じように、毎日毎日その日のことを考えながら楽しみに過ごすんですね。街全体が幸せな気分にそまったこの時期が先生は大好きです!先生の家の今年のアドベントカレンダーはチョコ入りにしました。みなさんはどんなアドベントを過ごされるのでしょうか?
本で見た風景を探して(ふじのみや/ふじ先生)
 家を出て南の方角、海に向かって3分ほどいくと、古風な和風の建物があります。この建物は、文豪、谷崎潤一郎が昭和11年から18年にかけて住んだ旧宅「倚松庵」(いしょうあん)です。みなさんはまだ読んでいないかもしれませんが、名作『細雪』に、近辺の様子が描かれています。地名で登場するのは隣の市(芦屋市)なのですが。「倚松庵」の名称は、谷崎潤一郎の愛妻、松子さんに倚り(寄り)かかるという意味が由来だそうです。

 その隣の市、芦屋市までは自転車でまっすぐ東に15分ほどです。最近、さまざまな作品を発表して活躍中の作家、小川洋子さんは現在、芦屋市の海側の町にお住まいのようです。作品のなかに感じ取ることができます。
 『博士の愛した公式』という作品、以前ここでも紹介しましたが、博士が家政婦である主人公と散歩した公園や小さな商店街の元となっている場所があります。芦屋は、全国的には「高級住宅街」の印象がありますが、それは一部が大きくクローズアップされすぎ。自転車に乗った野球やサッカー帰りの子どもたちやお母さん、お年寄りがのんびりとカートを引いて買い物をしていたりする、普通の町です。
 もちろん、「高級住宅街」もあります。徒歩で20分ぐらい北に歩くと、様子が変わります。頑丈な門の向こうに広大な庭があって、外国の大きな犬が芝生の上を走り回っていそうな、大きなお屋敷。こんな感じのお屋敷を舞台にして書かれたのが、同じく小川洋子さんの『ミーナの行進』です。中学生の女の子の視点で書かれた物語ですが、この本はある意味、懐かしき昭和の芦屋紹介といえそうです。現在も有名なパン屋さんが登場しています。

 東から西へ4キロほど戻ると再び神戸市に。山手の傾斜地に住宅街が広がっています。今は米国に在住している作家、キョウコ・モリさんが思春期の痛々しい喪失感と再生をえがいた、『めぐみ』『シズコズ・ドーター』の舞台となっているのが、神戸市東部です。大人の都合で母親を失い、自分の心のよりどころを見失った中学生が、孤独なトンネルの中で光を見出す過程が、ひと昔前の阪神間の明るい情景の中に描かれています。
 また、最近ノーベル賞候補となった、村上春樹さんの作品の中にも、このあたりがモチーフとして描かれています。短編『めくらやなぎと眠る女』で路線バスに乗る主人公といとこ。この路線バスのルートに出てくる病院もなんとなく見当がつきます。もちろん創作であり、ズバリそのものではないと思いますが。村上春樹さんは、中学生・高校生のころを神戸・芦屋で過ごしています。モダンでありながら、保守的な面もあわせ持つ阪神間の気質を、複雑な思いで受け止めていたと想像できる作品も。

 自宅を出て南に、東に、北に、西に。
 最後に再び南に降りる途中に、野坂昭如さん原作の映画、『火垂るの墓』に出てくる、御影公会堂があります。空襲で焼け野原となった市街地にただ1つ残る建物として登場しています。建造は昭和8年。戦争や震災をくぐりぬけた古い建物ですが、外観は簡素で正直、あまりぱっとしません。中がクラシックでいいのです。昭和初期の雰囲気がそのままに残されています。レストランのオムライスがおいしかった(笑)。

 自分が住んでいる町と読んだ本との関わりを探すのも、おもしろい読み方。登場人物の言動に、その土地の風土があらわれていることに気づくと、楽しみも倍増です。


谷崎潤一郎旧宅「倚松庵」(いしょうあん)

『細雪』 谷崎潤一郎 文庫: 936ページ 出版社: 中央公論新社 (1983/01)
『博士の愛した数式』 小川洋子 文庫: 291ページ 出版社: 新潮社 (2005/11/26)
『ミーナの行進』 小川洋子 単行本: 348ページ 出版社: 中央公論新社 (2006/4/22)
『めぐみ』 キョウコ・モリ 文庫: 348ページ 出版社: 角川書店 (1999/08)
『シズコズ・ドーター』 キョウコ・モリ 単行本: 280ページ 出版社: 青山出版社 (1995/10)
『めくらやなぎと眠る女/蛍・納屋を焼く』 村上春樹 文庫: 189ページ 出版社: 新潮社 (1987/09)
『火垂るの墓』 野坂昭如 文庫 出版社: 新潮社 (1988/03)
だから作文っていいのよね(いろは/いた先生)

作文の醍醐味(だいごみ)って何だと思いますか? 私は「正解のないこと」だと思っています。正解を見つけることに慣れている私たちにとって正解のない作文は雲をつかむような不安を感じさせるものです。問題を与えられて正解を出すという形になれてしまった結果なのでしょう。計算式にしても、社会にしてもすっきりしとした「正解」がありますものね。



以前、新聞の投稿欄に一つの記事を見つけました。「かげが時間と共に移動して見えるのはなぜでしょう。」というテスト問題に「地球が動いているから」と書いて誤りになったという話です。(小学三年生の理科問題です。)
紙面での意見は教育論に広がっていくのですが、私は「だから作文っていいのよね。」という結論になりました。なぜならどんな話題を書いたとしても、どんなに授業で習っていないことを書いたとしてもバツには決してならないからです。



人それぞれ考えを持って生きています。感じ方もそれぞれです。各々の価値を言葉にするからこそ読み手に与える感動があるのだと思います。
 自分の言葉に自信を持ちましょう。どんな意見にも正解はなく、言い換えればどんな意見も正解なのです。



言葉の森の先生の中で、しっかり書かれた意見(思ったこと)に×(ばつ)をつけるような頭のかたい人はいません。それよりも、自分らしい考えを書いてくれた作品に感動を覚えるのです。みんなの作文にうなずき、笑い、なみだする、そんな少女(少年)のような純粋さをまだ持っています。(笑) 臆することなく正解のない自由な時間を大切にしていきましょうね。
 
三日坊主返上なるか!? (けいこ/なら先生)
 みなさんは、日記をつけていますか? 私は、日記類については典型的な三日坊主です。夏休みの日記や観察記録は毎年恒例の「8月末の親からの大目玉」でしたし、大人になった今も、家計簿などは長続きしません。記録をつけるということの意義を、余り実感したことがなかったので、必要性も感じなかったのでしょう。
 前に、少しお知らせしましたが、思うところがあってジョギングを始めました。ランニングと書きたいところですが、スピードも距離もまだまだです。走り始めてから、「膝が痛い」とか「どんなシューズがいいのか」など、いろいろな疑問が出てきました。インターネットのおかげで、こういう疑問もずいぶん解消されました。そういう中で「記録をつけよう」という記事を見つけました。
 書いてあることは、ごくごく当たり前のことで「記録は自分の貴重なデータで、その後のトレーニングを組み立てるための大切な資料となる」程度のことです。ただ、よかったのは、そのホームページには、走った時間や距離などを入力すれば、自動的にグラフ作成などをする「ネットダイアリー」なるものがあったのです。使ってみると案外手軽で便利だということに気づきました。仕事でネットに接続していることが多いので、空いた時間にチョコチョコッと入力すればすむのですから。
 なるほど、記録を見ていると、わずか1ヶ月でも「同じ時間で、前より長い距離を走っているなぁ。ちょっと体力ついたかな。」とか、「気温が高い日はあまり走れないようだ。」とかがわかります。そのときの実感だけでなく、他の日との比較ができることで、より実態が明らかになります。また、そのダイアリーでは「月間目標距離」を設定することもできるので、そこに向かって何とかがんばることもできます。先月は、「目標まで、あと○キロ。残り2日!」と、まさに夏休み終盤か、定期テスト直前の心境で追い込みをかけました。何とか目標達成したときは、「やれやれ。」という心境です。
 記録することのメリットを、やっと実感してきた今日このごろです。お約束(笑)の言葉の森とのつながりですが、今回は【読解マラソン】です。読解マラソンを続けるための一つのアイディアが「記録すること」ではないかと思います。読解マラソンについての説明してある中に「2.読解マラソンの方法 2-3.数値で表す勉強/2-6.毎週、ホームページで読解マラソンの記録」という項目があるので、読んでみてくださいね。
 記録することそのものが、続ける動機付けになっているという面も、どうやらあるようです。ダイアリーの欄が埋まってグラフが伸びているのは、見るだけで「イケテル!」とわかります。それを見て「もうちょっとやってみるぅ!?」とその気になるのですから、人間単純なものです。……とはいうものの、メリットをさんざん説かれても三日坊主を長いこと続けていた(三日坊主は三日坊主に終わらなかったという、情けなさ!)私が力説するのも、何だか恥ずかしいですね。なので、時折、この場を借りてみなさんにジョギング報告をすることで、記録することのメリットをお伝えしようと思います。
 10月の月間走行目標 100キロ
 10月の月間走行    101キロ(ギリギリセーフ!)
 これからしばらくは、月間100キロを目標にしていくつもりです。ちなみに、私自身は、学校の教科の中で、体育が一番苦手で嫌い、成績も平均以下でした。読解マラソンの説明に「1.読解マラソンの意義 1-1.国語の得意な子を超得意に、苦手な子を普通に、普通の子を得意に」という項目があります。これにあてはめれば、私は、「体育が苦手な子を普通に」ということになりそうです。
 
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