言葉の森新聞
2007年3月3週号 通算第975号
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森新聞 |
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■読解マラソンに道場 |
読解マラソンのページを、3月7日から再開しました。 しかし、一部にバグがあり、ゲームをしたのにアイテムが手に入らないという問題がありました。 そのため、3月の記録をしている人には、全員に200カインを追加しました。ゲームで手に入らなかった分を、アイテムショップで買ってください。<(_ _)> さて、読解マラソンのページに、新たにマラソン道場ができました。 Http://www.mori7.com/marason/marason_doujou.php ここで修行をすると、1〜5カインが手に入ります。がんばって、チャレンジしてみてください。 |
■型と自由 |
子供の作文が型にはまっていると注意を受けた人は多いと思います。 言葉の森の作文指導は、型を重視したものだからです。しかし、この型を決める指導によって、どの子も、楽に自由に書けるようになっていったのです。 人間は、もともと与えられた型で満足する存在ではありません。型が決まってくれば、自然にその型から離れて自由に書きます。しかし、逆に、型がないところでは、自由に書くということ自体ができなくなります。 言葉の森に来る高校生の中で、成績が優秀なのに作文だけは苦手という人がときどきいます。共通しているのは、どう書いたらいいのかわからないということです。そこで、次のように指導します。「字数は短くていいから、最初の段落でこういう意見を書いて、次の段落でこういう実例を書いて、その次の段落でこういう実例に広げて、最後の段落でこういう形にまとめるといいよ。字数は全体で100字ぐらい書ければ十分だからね。」 どうして「字数は短くていいから」ということを何度も言うかというと、大事なのは型であって、内容や分量ではないことをはっきりさせるためです。 それで、実際に100字しか書けない生徒でも、書き終えたあとは、文章を完成させたという満足感が残ります。すると、次の週からは、もうどんどん書けるようになるのです。これまで、いかに型を教えられていなかったかということです。 これに関連して、もっと自由な題名で自由に書かせたいというご意見をときどき受けます。 自由に書かせるというのは、一見子供にとっても先生にとってもやりやすい勉強のように見えます。しかし、それが続くのはせいぜい数ヶ月です。 自由に書かせていると、先生のアドバイスは自然に注意することに向けられます。最初のうちは、意味のある注意ができても、次第に注意することがなくなってきます。すると、「もっと心をこめて書きなさい」とか、「もっと子供らしく書きなさい」とか、「もっと気合いを入れて書きなさい」などという、子供にとって何をどう努力したらいいのかわからないアドバイスをするようになるのです。そのようにして、多くの子供が、作文は難しいものだと思うようになっていったのです。 では、自由に書かせて褒める指導をすればいいのかというと、これもすぐに限界が来ます。いつも「よく書けたねえ」と褒めているだけでは、子供は次第に書くことに飽きてきます。 課題があり、項目があり、目標があるからこそ、意欲的に勉強を続けていくことができるのです。 |
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■五感(ごかん)使ってる? (ごだい/ひら先生) |
寒い時期と言うことで、あたたかいものがうれしい季節ですね。今回はみんなの大好きであろう温泉についてその思い出を一言。一番、いいなあと思った温泉がどんなところだったか教えて下さい。(制限時間1分) どんな温泉だったかな? 正解はありませんが、回答例です。 「岩風呂の温泉です。木が生い茂る山の中にあって、さるが出てきました。」(目) 「チュンチュン、ピピピ、と鳥のおしゃべりが聞こえてきました。」(耳) 「硫黄(いおう)で卵みたいなにおいがしたけれど、気持ちよかったです。」(鼻) 「海の近くだから、なめるとちょっとしょっぱかったです。」(口) 「入ると体がピリッとするほど熱い。」(皮膚) 今回は一言だけでしたが、作文で自分の体験を書くときに大切なのは、大事な場面を物語のように描写することです。その時に「たとえ」「会話」「思ったこと」を書くのと同じように大切なのが、五感を使ってようすを書くことです。 作文を書くときに、目・鼻・口・耳・皮膚で何を感じたか思い出してみて下さい。でも、学校の休み時間におにごっこをした時に、「口(味)」を書くのは難しいことです。味がないと無理に砂をなめる必要はありません(笑)。 目はテレビカメラだと思えばいいので、色や形など比較的書きやすいでしょう。 耳(音)もね。音はカタカナで書きましょう。「ドンブシャーン」「たいへんだ、だいこう水だ!」・・・娘が表現した。先生がおふろに入る音です。「みかくにん大きょうりゅうだ!」(息子談。) 鼻はにおいや香りです。ご飯の時や人やおうちのにおいもありますね。先生はアジアのお香をよくたくので「線香くさい」(何故、線香なんだ!お香の良い香りなのに!)と言われます。 口は味ですね。おいしい、まずい、しょっぱい、あまい、からい、すっぱい、とろける、コクがある、さっぱり・・・。 皮膚はさわった感じやようすです。ふわふわ、つるり、すべすべ、ざらざら、つやつや・・・。 またたとえは、魔法の言葉で、上の言葉をいくらでも作り上げることが出来ます。「カメレオンのような鮮やかな緑」「ノコギリをひくような音」「コーヒー豆のようなかおり」「魚のはらわたのような苦さ」「針金のようにちくちくする」なんて具合にね。 出来事ぜんぶの五感を思い出すのは至難の業です。一番、おもしろかったこと、伝えたいことに関して、少し振り返って五感を総動員してみて下さい。五感が一つも入らないのだけはゴカンにんを。 |
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■上手に緊張しよう!(六年生の課題より)(ひまわり/すぎ先生) |
今月は、六年生の課題で「緊張したこと」というのがありました。実は、これがなかなか面白くて、私が楽しみにしている課題の一つです。このお題で作文を書くには、緊張して「いっぱいいっぱい」になっている自分と、それを冷静な目で見ている客観的な自分の両方がいなくてはなりません。そこが、面白いところです。 緊張した話というと、スポーツの試合や音楽会など、大勢の前で自分が何かをしたことを書く場合が多いようです。一人で練習しているときは、うまくできるのに、いざ本番となると頭が真っ白になって失敗してしまう。これは、誰にでもよくあることです。 私自身も、ここ数年は緊張する機会に恵まれて(?)います。フルートを習い始めてから、年に数回小さな舞台に立つことがあります。大人になってからは、緊張とは縁がないような生活を送っていたのですが、この頃では否応無く緊張を味わうことが多くなりました。ですから、みなさんの緊張した話を聞くと、たいへん共感できます。(笑) 緊張というのは医学的にいうと、アドレナリンというホルモンの分泌だそうです。アドレナリンの分泌により、心臓の動きが速くなり、血圧が上昇し、気管支も拡張します。それにより呼吸数が増え、顔がほてるなどの症状も現れます。これは、せっぱつまった状況で、脳が速い決断を下すために、空気をたくさん取り込んで、脳へ新鮮な酸素を供給するためとのことです。体を活動的にしてくれる作用のあるアドレナリンは、分泌量が適度であれば、すばやい動きができるし、脳の回転も速くなります。 とすると、緊張はそんなに悪いものではないのですね。困るのは、緊張が度を越えた場合です。アドレナリンが過剰に分泌されてしまうと、ドキドキ感がひどくなり、のどが渇き、体も硬直してしまいます。逆に、まったく緊張感がなく、だらけている状態でも、うまくいきません。ちょうどいい緊張の度合いに、自分をコントロールできれば、良い結果が得られるでしょう。 私の初めてのフルートの発表会では、アドレナリンが過剰に分泌されてしまったようです。体はもちろん、指も硬直するし、手に持っている楽器の感覚は、いつもの自分のフルートではないようです。どうにか最後まで吹ききったものの、納得できる演奏とは程遠いものでした。原因は明らか。楽器を持って数ヶ月で舞台に立ったので、技術的に未熟で、まったく自信が持てなかったからでしょう。 それ以降、回数を重ねるごとに、少しずつ緊張が薄れてきました。練習を積めば積むほど、また場数を踏めば踏むほど、緊張をコントロールしやすくなることは確かです。本番と同じようなつもりで、繰り返しやってみるということは、緊張を緩和するのには何より大切だと思います。 もう一つ、私が緊張をコントロールするために、自分なりに気をつけていることがあります。みなさんにも伝授しましょう。それは、大いに楽しむということです。本番という舞台は、たった一度きりです。大勢の人が自分の演技に注目してくれる、こんな楽しいことはありません。(……とホントに心の底から思えたらよいのですが。(笑))少なくとも、失敗したらどうしようという後ろ向きの考え方ではなく、せっかくだから大いに楽しもう、きっとうまくできるだろうという前向きな思いが、緊張をコントロールするのに役立ってくれるにちがいありません。これは、初めのうちはなかなか難しいかもしれませんが、いつも私は自分に言い聞かせています。「失敗しても死ぬわけじゃあるまいし。楽しくやろう!」と。 |
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■素晴らしい音読の世界(はち/たけこ先生) |
言葉の森では、作文の上達のために、長文の音読がすすめられています。高学年になるにつれ、音読はやりにくくなりますか? 私は実は、大人がすばらしい音読をするのを聞いたことがありますよ! まず、今年の2月3日のことですが、イランの絵本原画展という展示が渋谷であり、そこでイランの絵本を1冊読んでくれる会があったのです。『ごきぶりねえさんどこいくの?』という絵本で、読んでくれるのは、ぶたいの役者をやっている、いわば演技のプロのお兄さんと、絵本を日本語に翻訳したお姉さんです。私はこの日本語の絵本を、お姉さんからもらっていたので、楽しみに聞きに行きました。お話は、イランではみんなが知っている昔話だそうです。ごきぶりのおじょうさんが、きれいなチャドルという布をかぶり、赤いくつをはいて、まちまでひとりだちしに行くお話です。旅のとちゅうで、いろいろな人に出会いますが、さいごは町のネズミのわかものとけっこんしてしあわせにくらすという、くりかえしのことばの多いお話です。 それを、プロの役者さんと、イランに留学して、イラン人のこころをよく知ったお姉さんが読んでくれるのですから、じょうずなことといったら! 本を目で読んだときよりも、日本語なのに、目の前に、イランのふうけいがふわりとうかびあがってきました! もう一つは、ずいぶん前、私がタイのバンコクで子ども図書館活動をしていたとき。タイの子どもの本作りをしている人たちのために、東京子ども図書館の館長さんが、いい絵本とはどんなものか、英語で教えに来てくれました。私たちも参加することができたのですが、そのとき、『おかあさんだいすき』という絵本を英語で読んでくださいました。これは、「岩波こどもの本」というシリーズから出ていて、英語の題は「Ask Mr.Bear(くまさんにきいてごらん)」といいます。実は、私が本当に本っておもしろい! とはじめて感動して、本が好きになるきっかけになったのが、小学校1年生のとき学級文庫にあった、この「岩波こどもの本」シリーズだったのです。『はなのすきなうし』『ちいさいおうち』『まりーちゃんとひつじ』そして『おかあさんだいすき』。どれも、ありふれたものは一つもなく、ほんとうのしあわせって何か、感じさせてくれる力がありました。その一つなんです! 館長さんはアメリカでもストーリーテリングの勉強をしてきた方で、長いあいだ日本で読み聞かせをして、教えてこられた方です。それは英語の読み聞かせだったのに、私たち日本人みんな、感動して涙ぐんでしまいました。そこでもお話の世界がふんわりとたちあがってきたのです。それは、テレビや映画を見るのとはまた別の感覚で、その世界につつまれるようなきもちになれたのです。 本当にしっかりと何度も練習した音読には、書いてあることをゆたかに感じさせてくれる魔法の力があります。声を出して読むって、はずかしいかもしれませんが、きもちのいいことでもあるのです。私はバンコクで8年間、のべ2000人の子どもたちの前で読み聞かせをしてきました! うまくはないですが、声に出して読む力は少しは使うことができるようになりました。みなさんもそんなことがあるのだな、と音読に挑戦してみてもらえたらと思います。 |