言葉の森新聞
2007年4月3週号 通算第979号
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森新聞 |
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■海外から日本への作文送信方法について |
海外から言葉の森を受講されている方は、これまで次のような方法で作文を送っていただいていました。 1、作文の丘から、パソコンで書いた作文を送信する 2、ファクスで先生の自宅に手書きの作文を送信する しかし、2のファクスで作文をやりとりすることについては、時差の関係で夜中にファクスが届いたり、地域によってファクスの送受信がしにくかったりという問題がありました。 そこで、4月から、PDFファイルを「作文の丘」にアップロードしていただく方法に切り替えました。 当面、すぐにはPDF送信に切り替えられない方については、教室にファクスを送っていただき、教室から「作文の丘」にアップロードすることにしました。 この切り替えについては、実はもう少し周知のための時間をとるべきだったのですが、問題を早く解決したいということから、急遽4月からの変更をお願いすることになりました。海外の生徒のみなさんには、急な変更となってしまい申し訳ありませんでした。 現在は、海外の生徒で手書きの作文を送ってくる生徒が対象ですが、将来は、国内の生徒でも希望があればPDF送信ができるようにしたいと思っております。そうすれば、郵便事情による返却の遅れなどの問題もなくなります。 さて、この変更に伴い、次のようなご意見をいただきました。 「PDFの送信によって、作文自体の返却がなくなり講評だけになると、これまでの作文への直接の添削がなくなるので指導に支障があるのではないか」 これまで、先生の赤ペンが入っていた作文返却がなくなると、確かに最初は物足りない感じがするかもしれませんが、指導上の支障はないと考えています。 現在、作文への直接の赤ペンは、指導する先生個人の裁量で、誤字についてのチェック、いい表現や実例についての傍線、簡単なコメントなどを書いております。しかし、これらはいずれも、講評の上でカバーできます。また、作文への直接の赤ペン記入の割合が増えると、その生徒の指導内容を、事務局やほかの先生が把握できなくなります。そのため、言葉の森では、もともと赤ペンはできるだけ入れずに講評に書くという方針で指導しています。 また、生徒からPDFのアップロードができるなら、先生の方でも、赤ペンで添削した作文をアップロードできるのではないかという声もありました。この点については、今後検討したいと思いますが、現在の方針としては、赤ペン添削に力を入れるよりも、講評重視で指導していきたいと思っています。 |
■上手に「取材」しよう(ひまわり/すぎ先生) |
今学期は、どの学年も目標字数が長くて、進級テストもたいへんでしたね。しかし、毎週きちんと先生の話を聞いて、真剣に取り組んでいるみなさんは、長く書くためのコツがもうわかっていることでしょう。どんな話題でも、自分の体験だけでは限界があります。「聞いた話」「調べた話」など、題材を増やしていくことが必要です。 「聞いた話」を書くためには、だれかに話を聞かなくてはなりません。しかし、取材しても空振りだったということはありませんか? たとえば、「給食」というテーマがあったとします。お父さん(お母さん)に取材をしてみましょう。 「お父さん、昔の給食はどうだった?」 「おいしかったよ。」 これで終わってしまっては、次の一行しか書けません。 「お父さんに聞いてみると、昔の給食はおいしかったそうです。」 字数をかせぎたいのに、これでは困ります。この場合、「どうだった?」というとりとめのない聞き方がよくなかったようです。 もっとうまく取材をするには、どうしたらよいでしょう。 「ぼくは、給食のメニューで○○が大好きだけれど、お父さんは何が好きだった?」 「今は○○が給食に出るのか。いいなあ。お父さんのときは、そんないいものは出なかったよ。でも、一番好きだったのは△△だな。」 これだけでも、先ほどよりは長く書けそうですね。さらにお父さんに話をしてもらうために、話を盛り上げていきましょう。 「△△なら、ぼくたちの給食にも出るよ。みんなが大好きだから、この間、おかわり争奪戦になってたいへんだったよ。」 「そうか、お父さんのときも、大人気だったなあ。そのメニューのときは、体調が悪くても無理して学校に行ったよ。遅刻して行って、給食のあと早退したこともあった。」 「なあんだ。それじゃ、給食を食べに行っただけだね。」 いかがですか? まずは自分のことを話し、その上で具体的な聞き方をするのが大事なのですね。みなさんも、「今日、学校どうだった?」と聞かれたら返事に困るでしょう。「今日の体育の時間は何をしたの?」と聞かれれば、答えるのは簡単です。家の人から、おもしろい話を聞きだすために、みなさんも新聞記者になったつもりで、取材の腕前を上げていきましょう。 【保護者の方へ】 作文の中に、「聞いた話」を入れるためには、お子様がお家の方に話を聞くことが、まず必要になります。何をどんなふうに聞くかということは、電話で指導することができますが、その先は各ご家庭でどんな話をされたかによって、作文の内容が大きく変わってきます。 お子様から取材を受けたら、できるだけ具体的なエピソードをお話くださいますよう、お願いいたします。そのときに、表情豊かに語っていただけると、さらによいと思います。たとえば、「お父さんは、なつかしそうに話し始めました。」のように、表情まで作文に入っていれば大成功です! |
■○○式を十倍楽しくすごす法(ほたる/ほた先生) |
終業式や始業式、卒業式や入学式と、「なんとか式」が続く季節になりました。こういったあらたまった式につきものなのが、「校長先生のお話」ですね。あるいは、来賓(らいひん)の方々が、入れ替わり立ち替わり、お話をする場合もあります。聞いているみなさんにとっては、けっこう苦痛な時間なのではないでしょうか。 しゃべったり、動いたりしていては怒られます。じっとして、おもしろくもない(まあ、たいていは、ね)お話を、ずっと聞いていなくてはならない。「早く終わらないかな〜」なんて思いながら、ほかのことを考えていたりするのでは。私も、子供の頃にはそうでしたから、気持ちはよーくわかります。 ところで、です。みなさんは、今、作文を習っています。それなら、この退屈な「お話」を、今までよりは十倍楽しく聞く方法が、あるんですよ。 たとえば校長先生のお話でも、校長先生によっては、おもしろいお話をしてくれる先生もいらっしゃいますね。あまり退屈せずに聞ける、そんなこともあるのです。そういう先生は、「あの校長先生は、お話がじょうずだ」と言われます。それに対して、残念ながらいつもお話がつまらなくて、「何を聞いたか、全然記憶に残っていない。」と言われてしまう先生もいらっしゃいます。 この違いは、いったいどこにあるのでしょう。それは、実は、「いい作文、おもしろい作文」と「つまらない作文」のちがいと、同じものなのです。考えてみれば、校長先生のお話は、毎回、校長先生が作文をして、スピーチをしているのと同じことです。 では、聞いているみなさんには、作文を書く時のポイント、項目シールにあるような項目がわかっていますよね。作文の項目は、「こういうことを書いていくと、作文はおもしろく、いいものになりますから、練習しましょう」というものです。たとえば「前の話(体験実例)」という項目があります。書いている人が実際に体験したことが入ると、作文は、とても生き生きとして、わかりやすいものになります。そして、ほかのだれかにはまねのできない、自分だけにしか書けないことが書けることになります。 今度、校長先生やほかの人の「お話」を聞く時には、ちょっと注意して、「どんな項目が入っているかな」と考えながら聞いてみましょう。「5年生がきのう、あいさつをしてくれました。」なんて話があったら、これは「前の話」ですね。「私が読んだ本には、こんなことが書いてありました。」なんて話だったら、「聞いた話」です。「たとえ」は、使われているかな。「ことわざ」や「四字熟語」、「名言」を使う先生もいらっしゃるかもしれません。あるいは、「野口英世というお医者さんは、……」なんて話だったら、「伝記実例」です。「今、小学生の6割がゲームを持っているそうです。」だったら、「データ実例」かな。 こういう項目がたくさん入るほど、お話は変化に富んで、また聞いている人の興味をひくものになるのです。「考えたこと」だけを話していたら、それがとても立派なことであっても、それほど心には残らず、聞き流してしまうものです。作文と、まったく同じですね。……これで、「なんとか式」も、今までよりは少しはおもしろいものになるのではないでしょうか。 |
■嘘(うそ)も方便(たんぽぽ/たま先生) |
「嘘をつくと閻魔(えんま)様に舌を抜かれる」「嘘つきは泥棒の始まり」などというように、「嘘をつく」ことは悪いことだと言われます。私もそう教えられましたし、子供にも「嘘はつかないほうがいいよね」と話したりします。そんなある日、息子に「『嘘も方便』って何?」と聞かれたので、ことわざ辞典に載っているような説明をしてみたのですが、小2の息子はわかったようなわからないような、微妙な表情をしています(笑)。そこで、最近読んだばかりの「赤いろうそくと人魚」の作者である小川未明について話してやることにしました。(未明は「日本のアンデルセン」ともいわれる人です。) 未明がまだ作家になったばかりのころは、たいそう貧しい暮らしをしており、3人の子供のうち、男の子を病気で亡くしてしまいます。そして上の女の子も病気になってしまいました。女の子は小学校五年生。とても勉強ができて、通信簿(通知表)の成績は全て「甲」でした。昔の成績は「甲」「乙」「丙」「丁」で評価され、甲はいちばんいいという意味です。(今でいうと「オール5」とか、「よくできる」ばかりというのと同じだったことになります。)未明も娘もこの通信簿を見て、いつも大変喜んでいたそうです。 しかしだんだん病気が重くなり、娘は学校へ行けなくなってしまいます。いくら成績がよくても、学校へ行って勉強ができなければ、よい成績をとることができません。届けられた通信簿を見てみると、いつもは甲ばかり並んでいるのに「乙」が2つもついていたのです。お父さんの喜ぶ顔が見られなければ、娘はどれほどがっかりすることだろう、ますます病気が悪くなるのではないかと、未明はとても心配します。お医者さんは、娘はもう二度と学校へは行けないと言います。このまま助からないと言われている子に、「またがんばればいいじゃないか」とはげますこともできません。 考えた末、未明は通信簿に書かれた「乙」の文字をていねいに消し、「甲」と書きかえたのです。もちろん、先生がつけた成績を勝手に変えてはいけません。しかし悪いことだと知りつつも、娘を幸せな気持ちのまま死なせてやりたいと思ったのです。娘は通信簿を見て、書きかえた2つの文字が違っていることに気がつきますが、「先生だって間違えることもある。きっとつけまちがえて書き直されたのだろう」と明るく答えたお父さんに安心し、嬉しそうに通信簿を抱きしめます。娘はそれから間もなく亡くなったそうです。 「嘘には3つあると思う。一つは『自分を守るための嘘』。あなたと妹が喧嘩をしたとき、叱られたくなくてつい言ってしまう嘘もあるでしょ?(笑)あまりいいとは言えないね。それからもう一つは『相手を騙すための嘘』。自分の利益のためだけに嘘をついて、何も悪いことをしていない人からお金や物を騙し取る人もいるんだよ。これはいちばんいけないよね。あと一つは『相手を傷つけないための嘘』。未明は、病気の子供が傷つかないように嘘をついたね。嘘は嘘だけど、これはいいんじゃないかな?」。 かなり長い説明になりましたが、話しながら私も頭の中が整理されていくのがわかりました。息子も納得した様子です。このように会話できたことで、親子共々勉強になったのだなあと、とても嬉しく感じました。 |
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■文章を書くよさ(いろは/いた先生) |
作文を書くよさにはいろいろ挙げられます。論理的な考え方ができるようになること。頭の中に漠然と存在しているものを言葉にすることで形にできること。でも何よりすばらしいことは、「今まで通り過ぎてきたことがらに、立ち止まることができること」だと思います。作文を書くためには、色々な出来事を素通りしていくことはできません。「適当」に済ませてきたことにスポットを当ててあげないと、文章にならないのです。 進級テストのときに、「目標字数」というものがあります。他の項目はクリアできるのに、この「目標字数」で足をすくわれてしまうケースがあります。(もちろん「目標字数」のおかげで字数をたくさん書くということに自信を持つケースがほとんどですが……。)「目標字数」というものが本当に必要なのか、ダラダラ作文を書くだけに終わるのではないか、と心配されるお母様たちもいらっしゃいますが、この「目標字数」こそ視野を広げるきっかけになる、と私は思っています。 字数を増やすためには、目の前に起こった出来事を説明するだけではいけません。さまざまな肉付けが必要になるります。今学期のテスト課題は「料理を作ったこと」「はじめてできたこと」「わたしの生まれたとき」でした。どの課題も、なんて書きにくい!(笑) 特に書きにくいのは実体験がともなわない「私の生まれたとき」でしょう。このような場合、「聞いた話」を書くことで進めるしか方法はないのですが、それだけでは原稿用紙1枚いけばいいほうです。目標字数がなければここでみんな満足してしまい、成長することはできません。 では、どのように字数を増やしていくのか。「適当に過ごしてきた部分を振り返る」作業が必要になります。弟妹がいれば、その子の生まれたとき、自分はどういう気持ちでいたのか。学校の池にいたかえるのたまごはどうなったのか? 初夏にまいた朝顔の種が土から芽を出したとき、どんな気持ちになったのか。毎日水やりをした気持ちは? 一度振り返る作業をすることで今まで通り過ぎてきた当たり前の出来事が輝いてくると思うのです。そしてその輝きを、文章にしていけば目標字数に達することが出来ます。他に、聞いた話を書くことで、周りにいる人たちが自分の生まれる前からどれほど大切にしてくれたか、気づくと思います。作文を書くことで、今までよりも二倍、三倍の経験をすることができるのです。とても得した気になりませんか? 「国家の品格」の著者で知られる藤原正彦氏は文中で面白いことを書いていました。たしか「宇宙を頭の中に入れることはできないが、言葉としてなら入れておくことができる」というものです。いい言葉ですね。言葉の奥深さを感じずにはいられません。そう、言葉にするとどんな大冒険も、どんな小さなできごとも自由に小さくしたり、大きくしたりすることができるのです。 目標字数に到達する大変さを乗り越え、今まで見過ごしてきたことをもう一度振り返ってみてください。気づかなかったたくさんの事柄を再発見し、大きく成長していきましょう。 |