言葉の森新聞
2007年10月4週号 通算第1004号
https://www.mori7.com/mori/ |
森新聞 |
|
■10月29日・30日・31日は休み |
10月29日(月)・30(火)・31(水)は第5週でお休みです。先生からの電話も宿題もありません。第5週は、振替授業もお休みです。 |
■10.4週は清書 |
毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください) 清書の意義は、次のとおりです。 (1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(字数を増やす、表現を更に工夫するなど) (2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと) (3)新聞社に投稿する機会を作ること 清書はできるだけペンで書いてください。ボールペンが滑って書きにくい場合は、サインペンなどで書いてください。低学年でペン書きが難しい場合は鉛筆書きでもかまいませんが、できるだけ筆圧が同じになるように書いてください。(一つの原稿で濃い部分と薄い部分があるときれいに読み取れないことがあります) 低学年で、文章を書き写す形の清書が難しい場合は、直接新しい作文を清書として書いてもかまいません。 絵を作文用紙の裏に描く場合は、表に作文を書かないでください。(つまり用紙は1枚の裏表を同時に使わないようにしてください) 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。 清書の作文は返却しません。ホームページの「生徒の里」で見ることができます。小2までの全員の作品及び小3以上の入選作品は、プリントされます。 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。(ただし、新聞社に投稿しない場合は、長いままでも構いません。) 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。 (1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください) (2)学年 (3)自宅の住所 (4)自宅の電話番号 (5)学校名とふりがな (6)学校所在地(町村名までで可) ●朝日小学生新聞の住所 104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中 ●毎日小学生新聞の住所 100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中 |
■11月3日(土)は休み宿題 |
11月3日(土)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987) 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php |
■先生の役割 |
ここのところ、何人かの保護者の方から、「もっと厳しい指導をしてほしい」というご要望をいただきました。それは、先生の指導に対して期待をしているということだと思いますが、私は、子供の教育における先生や親、つまり大人の役割はあまり大きくしない方がよいと考えています。それは、次のような理由からです。 勉強をするのは、子供です。勉強を山にたとえれば、子供はひとりで山を登っていきます。先生や親が先導して引っ張って登らせるのではありません。 大人は、その山の先がどのようになっているか、おおまかな予測がつきます。場合によっては、その山を先回りして危ない場所がないかどうか確かめることもあります。しかし、山を登るのは子供自身です。 先生や親は、後ろの方にいて、子供にときどき声をかけてあげます。その声かけのほとんどは、明るく単純な励ましと賞賛です。そして、ごくたまに、子供が危ない場所に迷い込みそうになったときに、大声で注意をします。また、子供が失敗して落ち込んでいるときは、近くによってじっくり話をしてあげます。 教育における大人の子供に対する関わり方は、そのようなものではないかと思います。 具体的な教室での指導の場面は、こうです。(私の場合) 子供たちが作文を書いているときには、ときどき声をかけます。「おっ、うまいなあ」とか「たくさん書いているね」などという単純な声かけです。 勉強以外でも、いいところはどんどん褒めます。「元気そうだなあ」とか「いいあいさつだね」などという声かけです。言葉に出さないときでも、常にそういう目で子供を見るようにしています。そうすると、雰囲気が自然に明るくなってきます。 たまにルールに反したことをわざとやった子については、ぶっとばすこともあります(笑)。しかし、暗い叱り方はせずに明るく強く叱るだけで、すぐに切り換えるので尾を引きません。 作文の指導については、ほとんど、よいところを褒めるだけです。個々の作品や表現について、「ここをこう直したらもっとよくなる」というような細かい指導はあまりしません。ここが、一般に期待されている先生像と違うところだと思います。 しかし、よくがんばっている子に対しては、たまに、これからの勉強の大きな方向をアドバイスします。実は、ここも一般に期待されている先生の役割とは違うところだと思います。 先生が先導して子供を引っ張って山を登っていくような指導ではなく、先生は後ろからついていって、たまに重要なポイントに来たときだけしっかりアドバイスをするという指導です。(つづく) |
|
■言葉の体験(うさぎ/きら先生) |
「せんせーい。」 大きな声で呼びかけられると、こちらも元気になって笑顔の声でこたえます。今年の夏も、ある進学塾で夏期講習の授業を担当して、5年生と6年生の国語を指導しました。おかげさまで元気で若々しい夏を過ごすことができたと感謝しています。6年生は覚悟の年でもありますから、とても大人しいのですが、5年生は腕白盛りで教室が共鳴して揺れだしそうなパワーでした。そこで、こんな質問が出たのです。 「せんせー。『洋食』ってなあに?」 小説文の読解の授業をしていて、順番に音読をしてもらっている時のことです。課題の文章は少し古い時代設定のお話でした。 「え? 洋風のお料理ということですよ。」 知らないのかな? と、少し意外に感じながら答えました。 「洋風って?」 と、生徒くんはまだまだ不審げな表情です。 「カレーとか、オムライスとか、スパゲッティーとか・・・。」 例を挙げながら、私ははっと気づきました。こういったメニューは、目の前の子どもたちにとっては少しも「洋風」ではありません。和食ではないにせよ、普段のお馴染みの大好きメニューにちがいないのです。 「カレー粉がインドから来るから? パスタがイタリア製だから?」 今度はかなり厳密に聞いてきました。「原材料が輸入品だから洋風である」と解釈したようです。 「うーん。材料が外国産だと言い出したら、みなさんが食べているものはたいがい『洋食』になっちゃうね。たとえば、『てんぷらそば』は和食ですが、使われている蕎麦粉も海老も、小麦粉も輸入されるものが多いのよ。」 なんだか、社会科の授業みたいになってきました。「そうだそうだ、輸入大国なんだぞ。」とか「食べたことないの?」とか、わいわい大騒ぎになってきたので、私は懸命に「昔の食事風景」を説明していきました。「先生が、まだ小さいころはね。レストランで食べるハンバーグがお洒落でね・・・云々。」 なるほど、小学校5年生11歳の子どもたちと、昭和生まれの○○歳の私との間には、異次元に近いような体験の違いがあったのだと分かりました。だから「洋食」というごく簡単な言葉の理解も、まったく異質だったのです。ここで器用に、「洋食」の持つ一種あこがれに似た贅沢なニュアンスをつかんで小説を読み進めることができるか否かが、その後の設問の解答に関わっているわけです。そして、クラスの生徒の中には、ちゃんとその言葉の雰囲気をつかんでいる子もいるのです。おそるべし。おそらく、それは読書体験による年齢差ということになるのでしょう。 また、宿題では「単語を使った短文作成のドリル」を出しており、その答え合わせに、これもまた難航しました。やっかいだったのが「ともすると」を使った短文作成です。 生徒たちは辞書を引いて書こうとしたらしいのですが、「ともすると」は辞書に「(副)どうかすると。ややもすると。ともすれば。」などと出てくるのですから、よけいにわからなくなる始末です。使ったこともなければ、聞いたことも読んだこともない言葉は、外国語より難しいようです。生徒が考えてきた珍回答を笑うに笑えず、自分の説明能力の限界を悟った私でした。言葉の能力とは、必ずしも辞書を引いてするものではないのです。使ってみることが大切です。 私たちはともすると、言葉で考えるのだということを忘れがちである。 言葉の体験をふやすことは、かなり重要なことです。この夏の実感でした。 きら |
|
■夏の終わりの出来事(まあこ/ゆた先生) |
先日都心に向かう地下鉄に乗っていたときのこと。乗り始めの車内はすいていて、席は3分の2以上は空いていたでしょうか。私は長い座席の真ん中あたり、ドアからはいちばん遠いところに座りました。 車両のはじっこの席に一人、手鏡を見ながらお化粧をしている二十歳くらいの女性がいました。それはまあ、これでもかというくらいまつげを長くながーく仕上げていきます。見事な変身ぶりです。 「なにぃ、電車内で化粧なぞ、なんとみっともない」と、嘆かわしく思われるご父兄もいらっしゃいましょう。そのことは後でお話しするとして、話を先に進めます。 程なく電車は都内に入り、乗客も増えてきました。まず目をひいたのは、「さあ、こちらですよ」「ここ段差がありますからね」と大きな声で誘導しながら、杖をついたおじいさんといっしょに乗り込んできた男の人です。「さあ、こちらに腰掛けてくださいね」と指し示したのは、ドアのすぐ横の席。車両の隅でお化粧している女性から一つ空けた席でした。 そのとき気づいたのですが、その三人がけの座席はシルバーシートだったのです。おお、まさにこれこそがシルバーシートがシルバーシートらしく利用されている光景だわ。そう思えたのは、おじいさんのとなりに付き添いの男性がいたわるように座り、私のところからはお化粧中の女性がかくれて見えなかったからかもしれません。 数駅後、おじいさんたちは無事に電車を降りて、次に乗り込んできたのは60代後半とお見受けする女性2人でした。2人は知り合いではなさそうで、ぐうぜん乗り合わせて、ぐうぜん例のシルバーシートに落ち着いたという様子でした。 「まだまださっさと動けるおばさまだけれど、さすが、シルバーシートの場所はわかってらっしゃる。そりゃそうよ。無理は禁物。その席でゆっくりおくつろぎくださいな」と心の中でつぶやいた私。しかし、それもつかの間、次の駅でさらにお年を召した小さなおばあさんが乗り込んできて、おばさまの一人に「この電車は○○駅に行きますか?」と尋ねたのです。 都会の電車は、ドアが開いたと思ったらすぐに発車のメロディーが鳴り始め、車両とホームの二重扉が有無を言わさず閉まるという慌ただしさ。腰の曲がった小さなおばあさんはとても不安そうです。 おばさまは腰を浮かしながら「○○駅、行きますよ」と優しく答え、さらにとなりのおばさまも「おねえさん、ここ座って」と立ち上がりかけました。 ええええ!? おばさまだって立っていくのは辛いのに! 「こちらに席が空いていますっ」と声をかけようかと迷ったとき、おばさま方の向かいにいた男性が「座ってください」と、素早く立ち上がってくれました。 はじめは遠慮したおばあさんもうながされて席に着き、電車がガタンと走りだしたときにはホッとした空気が流れました。 さて、みなさん、となりの席でそんなやりとりがなされていたあのお化粧女性、その間どうしていたと思いますか? 彼女はその間、見事にずっと、マスカラでまつげを付け足していたのです。となりの出来事に気が付いていなかったかもしれません。それくらい鏡の中の自分に集中していました。 「気づいていたって立ち上がれないわ。だって、私のまつげはまだできあがっていないんだもの」誰かがなんとかするでしょ。まだあっちに席空いてるじゃん……そんなところでしょう。 2駅ほど乗って、おばあさんはお礼を言いながら降りていきました。同じ駅でおばさま方も席をゆずった男性も、そしてお化粧女性も降りました。いそいそと鏡をしまってドアに向かうときに見た顔は、まるでお人形さんのようにかわいくできあがっていました。 果たして誰に会うのでしょう。美しい自分を見せたい人に会うのでしょうね。全ては自分とその人にあって、電車の中の人々は眼中にないのでしょう。 「電車内で化粧など、みっともない」。電車内でパジャマからよそゆきに着替えているのと同じようなことなのですよ。そんな恥ずかしい姿を電車内の他人に見せながら来たなんて、大切なその人は思ってもみないでしょうね。 シルバーシートがあることを恥じる人もいます。そんなもの無くても、どの席でもお年よりに席をゆずるのが当たり前だと。もちろんそのとおり。しかし今回わかったのですが、シルバーシートはドアの出入りがしやすいところにあるのです。ドアから遠い私が「こちらに」と言うのをためらったのは、ここまで歩いてくるまでに電車が走り出しそうだったのと、降りるときにドアまで遠いのは不安なのではないかと思ったからです。 お化粧女性は、その貴重な優先席をゆうゆうと占領して、お年寄りに席をゆずることもしませんでした。わざわざ隅に陣取ったのは、落ち着いてお化粧をするためでしょう。全ては自分とこれから会う人のために。 その美しい顔がそんなふうにできあがったのだと知ったら、百年の恋も冷めそうです。 |