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  4週は問題と清書(ただし清書はパソコン入力も可) 
  清書の仕方
  「未来の勉強」の補足
  作文小論文入試のコツ(その3)(昨年の記事の再掲です。)
  国際学力テスト(たんたん/はらこ先生)
  「少し無理め」の力(ほたる/ほた先生)
 
言葉の森新聞 2008年1月4週号 通算第1016号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
4週は問題と清書(ただし清書はパソコン入力も可) 
 1月から、毎月第4週の勉強は、読解問題+清書となります。ただし、清書については、パソコン入力で送っても結構です。両方やる時間が取れない場合は、読解問題の方を優先してください。
 問題は、課題フォルダにはさんである読解マラソン集から出します。第4週の「山のたより」に問題が書いてあります。
 読解問題の答えを作文の丘から送信する人は、作文の丘に答えを入れる欄がありますから、清書と一緒にそこから送信してください。
 読解問題の答えを作文用紙に書く人は、作文用紙に問題と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。バーコードシールは、清書の1枚目にはるので、問題の方にははりません。
清書の仕方
 1月の清書のうち、上手に書けたものは、2月4週に優秀作品としてプリントされます。
 清書は、パソコンで書いても手書きで書いてもどちらでも結構です。
 パソコンで書きインターネットから送信した清書は、ホームページに保存されます(ただし、削除の依頼があればすぐに削除できます)。
 清書はできればパソコンに自分で入力するかお母さんやお父さんに入力してもらい、インターネットから送信してください。パソコンで清書を書いて送信した場合、手書きの清書は提出する必要はありません。
 インターネットからの送信の仕方は、「学習の手引」をごらんください。
http://www.mori7.com/mori/gate.php#129
 手書きの清書の提出する人は、清書がホームページに表示されなくなりますので、先生に送る前にコピーしておかれることをおすすめします。
 よく書けた清書は、自分で小学生新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を小学生新聞などの投稿用に、コピーを言葉の森の先生への提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして小学生新聞などの投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
 104−8433
東京都中央区築地3−5−4
朝日小学生新聞
「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
 100−8051
東京都千代田区一ツ橋1−1
毎日小学生新聞
さくひん係 御中
「未来の勉強」の補足
 1.2週の言葉の森新聞に掲載した「未来の勉強」について、保護者の方からコメントがありました。内容は、「未来の勉強に必要ないからと語学の勉強を軽視したり、生産性がないからと営業の仕事は必要なくなると言ったりするのは言い過ぎではないか」というものです。
 貴重なコメントをありがとうございました。これは、「必要ないからやめよう」ということよりも、「漠然と必要と思っていることを見直そう」ということに力点を置いて書いたものです。しかし、現在、多くの人が行っていることに対して、未来の社会ではその重要性は低下すると書いたので、ちょっと過激な文章になったと思います。そう思って、「先生という職業も、将来は重要性が低下する」と自分のことを書きました(笑)。
 現代は、世の中が大きく変化している時期だと思います。その変化の最も大きいものは何かというと、人類の生産力が発展して豊かな社会が可能になったということです。確かに、世界のほとんどの地域は貧困に苦しんでいます。それどころか、先進国においても貧富の格差がますます拡大しているように見えます。しかし、これらの貧困は、経済力の不足によって生まれたものではなく、政治力の不足によって人工的に作られているものです。
 と考えれば、今日の世界を支配しているように見える貧困と無知は、人間の知恵によって近い将来必ず解決するものだと思います。私たちが生きる未来は、それらの問題が解決した社会です。そして、私の予想では、そういう社会はもうすぐにでも来るように思えるのです。楽観的ですが。
 私たちの子供や孫が生きる社会は、現代の社会が抱えているさまざまな問題が解決した社会です。これまでの教育は、今ある多くの問題を解決するための教育でした。未来の教育は、それらの問題が解決したあと、新しい問題を生み出すための教育になるでしょう。その教育をひとことで言えば、勉強すること自体が楽しいという教育になると思います。苦しいことを我慢して勉強したり仕事をしたりするのではなく、うれしくてたまらないから勉強をしたり仕事をしたりするような社会がもうすぐやってくるのだと私は思っています。
作文小論文入試のコツ(その3)(昨年の記事の再掲です。)
 作文のコツの第六は、知性を感じさせる社会実例を書くことです。
 作文の中に書いてある実例が体験だけだと、知的な印象が少なくなります。社会実例の元になるものは、読書です。本をよく読んでいる生徒は、自然にその本の中から実例を見つけてきます。読んだ本からの実例が書いてあると、知識の厚みを感じさせる文章になります。ニュースなどもいい実例になることがありますが、テレビでセンセーショナルに取り上げられた話題だけで書いていると、かえって普段テレビしか見ていないような印象になることがあります。
 受験勉強で社会を勉強していれば、その勉強から社会的な実例が書けそうなものですが、そうではありません。受験で勉強している内容はどちらかと言えば断片的な知識なので、文章の中に生きた形で生かすことが難しいのです。それに対して読書によって得た知識は、生きたまとまりの中にある知識ですから、文章の中に生かすことができます。
 読書をする時間がなかなか取れない人は、問題集の問題文を繰り返し読む練習をしていきましょう。国語の問題集を読書がわりに読むと、読解力もつきますし、表現力も豊かになります。

 第七は、構成がわかるように書くことです。
 実は、この構成重視の作文は、言葉の森の勉強でいちばんプラスになるところです。言葉の森の指導の仕方は、全体の構成をまず考えて、それから中身を埋めていくというスタイルです。このため、勉強を続けていると、自然に構成を意識して書けるようになります。
 多くの受験生は、課題を見たとたんにまずとりあえず書き始め、書きながら先を考えるというスタイルで書きます。この書き方でももちろんうまくまとまることがありますが、読み手にとってはあまり読みやすい文章にはなりません。構成を最初に考えて書くと、「問題点は三つある。第一に……。第二に……」などという書き方ができるようになります。こういう書き方の文章は、頭の中が整理されていないと書けません。採点する人は、こういう読みやすい文章に好感を持ちます。
 見た目の印象を読みやすく感じさせるために、段落の長さも大事です。考えが整理されていると、どの段落もバランスのよい長さでまとめられます。逆に、考えが整理されていないときは、極端に長い段落や短い段落が混じる形の文章になりがちです。

 文章を書く力は、これからますます重要になってきます。そして、文章を書く力は、読む力に支えられています。受験のための勉強が終わったあとも、毎日の生活の中で読書をする習慣をぜひつけていってください。
国際学力テスト(たんたん/はらこ先生)
      
 今月の学級新聞は、1年を締めくくるごあいさつも兼ねて、親御さん向けに書きました。
 今月4日に発表された「国際的な学力到達度調査(PISA)」で、学力の続落が浮き彫りとなった日本人の子どもたち。応用力も読解力も、トップクラスの国からすっかり水をあけられてしまいました。
                         
 それを受けて、6日付の朝日新聞29面にこんな記事がありました。PISAで初回からトップクラスを維持している北欧のフィンランドでは、「読解」に重点をおいた教育がなされているということです。詰め込み式ではなく、自分で調べて問題を解決する力をいかに養うのか。記事の中で、フィンランド留学経験者は「宿題はそれほど出ないし、普段勉強している雰囲気もない。しかし『勉強する』という言葉の代わりに『読む』をよく使う。『テスト前だから読まなくちゃ』といった具合だ。テストではその知識に基づいて、小論文を書かせることが多い」と話しています。
 科学に関する本やテレビを子どもたちは敬遠し、科学に接する機会が極端に少ない現状に、同日同紙1面の天声人語には「興味という土壌が豊かでなければ、学力という果実の収穫は望めない」と書かれていました。「いたれり尽くせりの情報で腹がいっぱいになると、好奇心は麻痺するらしい」とも。
                         
 ここからは私の勝手な意見です。「科学・数学力」と「読解力」って、相反するものに見えますが、実は根底は同じだと思います。「なぜこうなるのか。理由は何か。どうしたら解決できるのか」。論理的に考え、説明するという点で、2つの学力は同じものを要求しているのではないでしょうか。言葉の森の長文読解では、科学分野の文章が多く掲載されています。科学者のエピソード、身近なお米の話、環境問題など。これらを何度も繰り返し読むことで、話の一編が「興味の土壌」となり、そこで得た知識が「学力の果実」になれば最高だと思います。
 「長文読解の文章を、子供と一緒に楽しく読んでいます」という、うれしいお言葉をいただいたことがあります。親がまず関心をもつことが、子供に興味を持たせる一番の近道かもしれません。「この話、おもしろそう。お母さんにも読ませて!バシッ!!(←課題フォルダを奪う音)」という一言が、きっと効果的です(^w^)。

 お子さんに表現の楽しさを知っていただけるよう、これからも努力してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
                                
「少し無理め」の力(ほたる/ほた先生)
 今は部活命のわが家の中学生の娘ですが、小学生時代はピアノを習っていました。その時に思ったことがあります。

 発表会の数か月前、発表会の曲を選びます。その時、先生はいつも、少し難しい曲を選んでくださいます。本人はもちろん、親の私も「えー、難しそう!」。親子共々、「たしかにかっこいい曲だけど、練習が大変そうだな〜。(見ただけで少し疲れている。)」というのが正直なところです。でも、先生は、「だいじょうぶ、できるから!」と。

 しかたがないので(笑)、それから発表会まで、頑張ります。そして、先生と、本人と、親の努力の甲斐あって、発表会ではうまく弾けてよかったね、ということを何度も経験してきました。そして、そのたびに、確実に上手になっていきました。

 もしも、本人と親が自由に曲を選ぶなら、もう少し楽で、その時の力で弾きこなせそうな曲にしてしまうでしょう。実際、私がそうです。娘がピアノを習い始めてしばらくたってから私も弾きたくなり、習い始めたのはいいのですが、始めの数回は発表会にも挑戦したものの、やはり忙しいことを理由に、ここ2年くらいは発表会にも出ず、レッスンも休みがちになっていました。そうすると、本当に、びっくりするくらい上達しないのですね(笑)。とても、「習っている」とは言えないくらいの実力のままです。

 やはり、何かを習うということは、そして力をつけようと思ったら、「少し無理め」これがキーワードのようです。言葉の森で多くの生徒さんを見ていて、同じことを考えます。ごくたまに、こんなご意見を、お家の方から聞くことがあります。

「うちの子には、長文が難しすぎる。1学年下の教材をもらえないか。」
「うちの子は、テーマ作文では書けない。ずっと自由な課題で書きたい。」(2年生から3年生になったとき)
「うちの子には、『三文ぬき書き』は無理みたい」(3年生から4年生になったとき)
「うちの子は、テーマ作文は得意だが、感想文は苦手。感想文の回数を減らしてもらいたい。」(4年生から5年生になったとき)

 お家の方は、もちろん、お子さんの今の実力をよくわかっておっしゃっているのだと思います。ただ、ここで考えていただきたいのは、やはり『「少し無理め」が力になる』ということです。私も新米のころは、「そうですね、ではしばらくは自由な課題で書いてみましょうか。」などと応じていましたが、今ではこうお答えします。

「だいじょうぶです。みなさん、慣れれば絶対に書けるようになります。たとえ、最初はうまくできなくてもいいんです。その分、できないことを責めないで、優しく励ましてあげてください。そして、気長に見守ってあげてください。」

 本当にそうなんです。「無理だから」と言ってレベルを下げたり、現状を維持していても、力は決して伸びません。ピアノや運動のことを考えていただくと、よくわかると思います。そして、もうひとつ。お子さんの潜在能力は、親が思っているよりも高いことが多いのです。私も、娘のピアノで、それを何度も実感しました。

 もちろん、周りがあまりにも高い目標を与えすぎて、本人に本当に無理なことをさせては何にもなりません。ですから、「『少し』無理め」がポイントなのですね。作文の話で言うと、私が今までに見てきた生徒さん達は、ほとんどその「少し無理め」を、こちらが思うよりも早くクリアしていきました。だからこそ私は、「少し無理め」に直面してちょっとブルーになっている生徒さんにも、親御さんにも、あえて「ではもう少し、楽なところから」とは言いたくないのです。そう言ってしまうと、その子の「できるようになる日」を、私がかえって遠ざけてしまうことになりかねないからです。

 作文に関しては、方法はただ1つです。あきらめないで、書き続けること。まずは半年。できれば1年、何とか続けてみましょう。きっと、目に見える成果が現れているはずです。ほたる学級のみなさんは、もう何年も続けて頑張っている生徒さんが多いですから、たぶんみなさん、それを実感されていることと思います。
                            
 
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