言葉の森新聞
2008年4月4週号 通算第1028号
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森新聞 |
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■連休中の予定 |
教室の休みは、課題フォルダに書いてあるとおりです。 4月30日(水)は5週目のため休みです。 5月1日(木)2日(金)はあります。 5月3日(土)5日(月)6日(火)は、休み宿題です。先生からの電話はありません。 5月1週の言葉の森新聞と山のたよりは、4月末に発送する予定です。 |
■4.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文 |
4月4週は、読解問題と清書です。幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。項目シールは、予備のものを使ってください。 小学1年生以上の生徒は、第4週に読解問題と清書を行います。 読解問題の時間がかかるため、清書の時間が取れない場合は、清書を省略してもかまいません。 なお、清書が保存されると勉強の記録になりますから、生徒又は家族がパソコン入力ができる場合は、パソコンで書いた清書を作文の丘から送ってください。 |
●清書の仕方 |
今月の清書のうち、上手に書けたものは、翌々月第1週に優秀作品としてプリントされます。 清書は、パソコンで書いても手書きで書いてもどちらでも結構です。 パソコンで書きインターネットから送信した清書は、ホームページに保存されます。 パソコンで清書を書いて送信した場合、手書きの清書は提出する必要はありません。 インターネットからの送信の仕方は、「学習の手引」をごらんください。 http://www.mori7.com/mori/gate.php#129 手書きの清書を提出する人は、清書がホームページに表示されなくなりますので、先生に送る前にコピーしておかれることをおすすめします。 よく書けた清書は、自分で小学生新聞などに投稿してください。ただし、同じものを複数の新聞社に送らないようにしてください。 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を小学生新聞などの投稿用に、コピーを言葉の森の先生への提出用にしてください。 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして小学生新聞などの投稿用にしてください。 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。 (1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください) (2)学年 (3)自宅の住所 (4)自宅の電話番号 (5)学校名とふりがな (6)学校所在地(町村名までで可) |
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■「褒める」ことは、応援のエネルギー注射(パタポン/うちわ先生) |
「褒めすぎではないでしょうか」「これでうまくなるのでしょうか」親御さんから、そんなご意見をいただくことがあります。そこで、今回は保護者の方に褒める指導についてご理解をいただきたく、考えるところまとめてみました。 まずは、最近読んで気になった本の話から。『信じて待つ 子育てのコツ』(大塚美智子著 日本文教社刊)に、こんなエピソードがありました。 自閉症の真美ちゃん(仮名)は4年生。学校では2,3歳の赤ちゃんのような扱いを受け、「何もできない子」と思われていました。ところが、心を開いたO先生だけにはすばらしい文才を見せるのです。「なぜO先生だけに?」と尋ねられ、彼女はこう答えます。 「真美は、どの先生ともお勉強したい。でも、真美のことをできると思って応援のエネルギーを注入してくれる人でないと、できないのです。だって、私は自信がないからできないのです。」(要約) ここを読んで、私はハッとしました。ある週の作文指導を思い出したのです。その週は、生徒さんたちの作文に、普段より朱を多めに入れて返却していました。今から思うと、「そろそろ次の段階に」と指導者としての「欲」が出たのでしょう。しかし翌週、いつものように電話をかけても、何だか子どもたちの声に元気がありません。電話の向こうで小さくなっているような感じすら受けます。失敗です。「真美ちゃん」の言葉で、私はあの時「子どものエネルギーを奪っていたのだ」と気づきました。 また、先日「8歳のヘレン・ケラーの写真発見」 (3月6日毎日新聞夕刊)という記事の写真が目にとまりました。友人宅の庭でくつろぐドレス姿のヘレンと彼女を見つめるサリバン先生。まるで印象派の絵から抜け出したように優雅です。しかし、私が釘付けになったのは、サリバン先生の視線の強さです。「あなたは絶対にできるようになるのだ」と確信に満ちた目でした。 真美ちゃんの先生とサリバン先生。この2人には共通点があると思います。それは、子どもに「あなたはできる」というメッセージを送り続けたということ。このメッセージは「愛情」と言いかえることができるかも知れません。私たちが陥りがちな「間違いを正す」「できないことを数えあげる」方法とは正反対のやり方です。私は、この「できるというメッセージ」こそが、作文指導での「褒める」ということにあたると思います。子どもは、まだ「自分探し」を始めたばかり。自信たっぷりに見えても実は不安定です。周囲の評価に大きく影響されます。だからこの時期に「まるごと肯定される」体験はとても重要になってくると思います。そうすることで、自信がつき、チャレンジする意欲が生まれ、次の成長へと自分で進むことができるようになるからです。実際子どもの可能性は測り知れません。 またの機会にぜひ詳しくご紹介したいのですが、「おいしいものの表現力」や、「会話のうまさ」、「独特の鋭い感じ方」、「行間に真心が伝わる文章」など、生徒さんはそれぞれすばらしい宝物を持っています。それはご両親が一番よくご存知でしょう。ただ、自分の子だと謙遜してしまい褒めないだけです。その代わりと言ってはなんですが、だからこそ、私は生徒さんの「光る」部分を見つけると、「こんなにすばらしいあなたに気づいて!」と鏡のように返したくなります。もちろん時には鏡の角度を変え、子どもに「まわりの景色」を見せる導きも大切と思っています。 でも、まずは「自分はもう大丈夫」というところまで「誉めて」自信をつけさせること。褒めることは、私から生徒さんへの「応援のエネルギー」注射です。 だけど、実は一番たくさんのエネルギーを注入してもらっているのは私の方なのかも知れませんね。いつもありがとう!若さが保てるのもみんなのお陰でーす(笑)。 |
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■夢はあきらめないで(ルビー/おぎ先生) |
先日、夢枕獏(ゆめまくら ばく)という作家が書いた『シナン』という小説を読みました。 シナンは、1500年代のオスマントルコという国で、皇帝の命令を受けて、モスク(イスラム教の寺院)を中心にたくさんの建物や橋などをつくった、建築家で、小説はその一生を描いたものです。オスマントルコという国は現在は存在しませんが、当時のヨーロッパの中では、非常に大きな勢力を持った強大な国でした。シナンは幼いころ、「聖ソフィア」という、当時オスマントルコで一番大きかったモスクをながめ、いつか「聖ソフィア」をしのぐモスクをつくってみたい、という夢をいだきました。 シナンは、生涯(しょうがい)で、477の建造物をつくりました。もちろん、シナンが一人で建てたわけでもなく、実際にかなづちなどを持って工事に参加したというわけではありません。しかし、すべての設計や現場監督はシナンが行いました。つまり、477という気が遠くなるようなたくさんの建造物すべての指揮をとったということになります。 もっと驚くべきことには、そのうちのほとんどの400以上の建物を、シナンはなんと、50歳から100歳までの間に手がけたということです。シナンは50歳で国や皇帝のために建築を行う「首席建築家」という役職につき、その後50年間生きて、その間働き続けました。平均すると、1ヶ月に少なくとも一つは、オスマントルコという国のどこかで、シナンの設計した建物が建てはじめられていたことになります。建物は簡単にはできませんから、ひょっとしたら、1年間に10も20ものシナンの建物がオスマントルコの中で建築されていたのかもしれません。 そして80歳になったとき、シナンはついに「聖ソフィア」をしのぐ「セミリエ・ジャーミー」という巨大なモスクの建築をはじめます。モスクが完成したのはその7年後。シナンは87歳にしてようやく幼いときからの夢を実現したのです。 シナンのお話は、私たちにふたつのことを教えてくれます。 ひとつは、あきらめなければ、そして努力を続けていれば、夢は必ずかなうこと。そしてもうひとつは、夢をかなえるのに年齢は関係ない、ということ。 みなさんはまだ若いので、これから先もたくさんの夢をもつことでしょう。困難にぶつかって苦しいとき、夢をあきらめそうになってしまったとき、87歳で夢を手にしたシナンのお話を思い出してください。 夢は、かならずかないます。 *『シナン(上)(下)』夢枕獏(中公文庫) |
■聞き上手(ひな/あられ先生) |
少し古い話題になりますが、一月の朝日新聞で公立高校の入試で国語のリスニングテストを実施する自治体が増えているという記事がありました。この背景には話を聞けない生徒が増えたからだと書かれています。話の聞けない生徒が増えた原因はいろいろあると思いますが、私はこの記事を読んでこんなことを考えました。 私たちの毎日の生活は、さまざまな音であふれています。テレビはもとより電子レンジ、洗濯機などの家電製品の多くが音でいろいろなことを教えてくれます。電車に乗れば、駅名のみならず「○○にきをつけましょう」「××はやめましょう」とひっきりなしにアナウンスが流れています。スーパーで買い物をしていても、軽快な音楽やお買い得情報が聞こえてきます。こうした音のすべてを注意深く聞いていたら、私たちの神経は磨り減ってしまうでしょう。ですから、、私たちは知らず知らすのうちに聞き流すことを身につけているのかもしれません。 話が聞けない例として、時間割の変更や持ち物などの連絡事項を聞き漏らすことを現場の先生があげていましたが、それは至れり尽くせりのサービスをする大人の側に大きな責任があるような気がします。うちの子供が通っている小学校では、子どもは持ち物や時間割をノートにメモして帰ってきます。これは私が小学生のころと変わりません。昔と大きく違うのは、持ち物や時間割について先生があらかじめ親に向けてプリントを配布するところです。急な場合は「明日○○を持ってきてください。」というようなメールが届きます。子どもが親に言い忘れても、親のほうはちゃんと知っているのです。小学校時代をこんなふうに過ごしていたら、連絡事項を注意して聞こうと思わなくなっても当然です。 言葉の森で勉強している皆さんは、毎週電話で作文の説明を聞いています。相手の表情や身振り手振りを見ることができないので、聞こえる言葉だけが頼りです。何度も再生して聞くこともできませんから、相手が何を言おうとしているのか集中して聞いていることでしょう。また、自分の体験や考えを私に正確に伝えようと、皆さんは毎回一生懸命言葉を選んでいます。そして、選んだ言葉が正しく伝わるようにはっきり話す努力もしています。作文の勉強をするだけでなく、じつは、今さかんに言われているコミュニケーションの能力も磨いているのです。 聞くのがうまい人を「聞き上手」といいます。聞き上手といってすぐ頭に思い浮かぶのは、ミヒャエル・エンデが書いた『モモ』の主人公モモです。モモは「ふーん」とあいづちを打ったり、「それで」と話を促したりしません。ただ、じっと聞くだけです。モモに話を聞いてもらうと、すばらしい考えがまとまったり自分の意志がはっきりしてきます。モモは星の世界の声を聞くこともできます。モモは耳で聞いているのではありません。頭で聞いているのでもありません。モモは心で聞いているのです。話し手に対する共感や反感を捨て、心を空っぽにして聞いているのです。こんなふうに聞くことはなかなかできるものではありません。もちろんリスニングテストで判定することもできない、もっともっと深い聞き方です。 |
■清書コンクール(すずめ/みり先生) |
現行の清書コンクールは、1年生以上は、1学年4編ずつ、優秀作品が選ばれます。選ばれたことのあるお友だちもいるかな? 生徒数から考えて(通信も通学も合わせてね)、この4編に選ばれるのってものすごくたいへんなことなんですよ! 小学生新聞などのコンクールよりも、入選が難しい! と言われているくらいなのですから。 それでは、どんな作品が清書コンクールで選ばれるのでしょうか? 1・3年生以上は600字以上書いていること 2・誤字脱字が少ない、またはないこと 3・ペン書きで、読みやすいていねいな字で書いてあること 4・項目をきちんと使って書いていること 5・正しく、その月のバーコードが貼られていること(通信の場合) まあ、このへんは、あたりまえといえばあたりまえの条件ですよね。それに加え、選考委員の先生たちが、「これだ! 」と膝を打つのは、どんな作文なのでしょうか。 ひとことで言うと、「おもしろい」作文です。この「おもしろい」という意味は、ふざけたことが書かれていたり、冗談で埋め尽くされていたりする、というものではありません。 その生徒らしさがにじみ出ていたり、登場する例えば家族の姿がとても生き生きと書かれていたり、大人にはとうてい思いつかないような視点で書かれていていたり。こうした作文はいわゆる「ウケねらい」ではなく、本人はまじめに取り組んだ結果なのです。自然に、そこはかとなく、ユーモアが感じられるというものです。 ひとむかし前(先生の子どものころと思ってください)だったら、「きちんと正しくまじめな」作文がよい作文でした。ちょっとおもしろいことを書くと、先生によっては叱られました。先生の弟が小学2年生だったとき、こんなことがあったのです。 それは作文ではなく、詩だったのですが。 「からす からすは どうしてカアカアとなくのかな かあちゃんをさがしているのかな」 この弟の作品に対して、まじめな若い女の先生の講評は冷たく「詩はふざけて書くものではありません」の一言でした。 いつも元気いっぱいで、いたずらものでお調子ものだった弟だったから、先生は釘を刺す意味でこう書かれたのかもしれません。 「それにしても、これはないなあ、まさにそんな感じがするのにひどいなあ」とその頃から教員になるのが夢だった先生は、がっかりしました。 みなさんは、どんなふうに感じますか? 言葉の森では、みなさんもご存知のようにユーモアをとても大切にしています。大人も子供も、ユーモアが足りないと、栄養素で言えば、ビタミン欠乏症のようになると思います。 みなさんは、ここで作文の勉強をしているつもりだと思うけれど、知らず知らずのうちにユーモアのセンスも身に付けていってほしいな、と先生たちは思っています。 φすずめ |