言葉の森新聞
2008年5月2週号 通算第1030号
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森新聞 |
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■自然学習力 |
医療と農業と教育には、共通点があります。それは、いずれも生命のあるものを相手にしていることです。 更に言うと、政治や経済も、ある意味で社会的な生命のあるものを相手にしているので共通点があると言えます。しかし、話を広げるとわかりにくくなるので、今回は、医療と農業と教育について考えていきたいと思います。 医学と農学と教育学は、西洋の科学を取り入れて大きく発展しました。 しかし、今それが大きな曲がり角を迎えています。 そこで見直されつつあるのが東洋の発想ですが、これはまだ大きな流れにはなっていません。なぜかというと、東洋の発想には、西洋科学のような明確な再現性がないからです。Aという薬を与えたらBという結果になったということであれば、だれもが納得できます。しかし、東洋的な発想は、出る結果もまちまちですし、かかる時間もまちまちです。そこで、どうしても東洋の科学には神秘的な概念が出てきてしまうのです。 神とか霊とか魂という客観的に定義できない概念で組み立てられた論理は、異なる考え方との対話の可能性を閉ざします。そのために、東洋の発想は大きな流れになることがなかったのです。 しかし、ここに来て、新しい科学の可能性が開かれてきました。その一つが脳機能科学で、もう一つが遺伝子生物学です。(量子力学は、まだ観念的に利用される可能性しかありません) この結果、東洋と西洋の科学が新しい概念で総合化される可能性が出てきた、というのが、現在の状況だと思います。 以上の話を前提にして考えてみると、医療と農業と教育における新しい可能性を次のように考えることができます。 医療の分野では、自然治癒力を生かすことがこれからの最重要課題になると思います。農業の分野も同じで、自然の生命力をいかに生かすかということがこれからの目標になります。教育の分野はどうでしょうか。 教育の分野では、人間が生まれつき持つ学習意欲をいかに生かすかということが大きな目標になると思います。これを、例えば自然学習力と名づけます。自然学習力を生かす教育が、これからの教育の課題になるというのが、私の考えです。そこに、現代の脳機能科学と遺伝子生物学の成果を結びつけるというのが、今後の研究の方向になると思います。(ただし、それは、遺伝子工学のような物理的なやり方ではなく、むしろ哲学的なやり方で、ということです) |
■低学年の読む力 |
文章を読む力は、想像以上に大きな個人差があります。 計算力や漢字力は点数に表しやすいので、一見大きな個人差があるように見えますが、実はその差は大きくありません。 これらの勉強は、勉強した量に比例して身につくものなので、あとからいくらでも追いつくことができます。小学校低学年の成績はあてにならないというのは、この理由からです。 ところが、文章を読む力(読解力)はそうではありません。 文章を読む力は、だれもが同じように持っています。点数に表しにくいので、どの子もあまり差がないように見えます。これは、聞く力も同じです。 しかし、読む力や聞く力は、勉強した量に比例して身についたものではありません。日常生活の中での読む経験や聞く経験を通して、あたかも自然に身につくかのように身についていったのです。 読む力や聞く力の差は、次のようなときに表れます。説明書などの文章を渡されたとき、読む力のある子は、だれに言われなくてもすぐに読み始めます。読む力のない子は、自分からは読み始めません。自分では読まずに何が書いてあるかを他人に聞こうとします。 学校の先生などが、少し込み入った説明をするとします。聞く力のある子は、一度でそのとおりに実行します。聞く力のない子は、難度も聞きなおしますが、なかなか実行できません。 これらの読む力や聞く力は、その子がこれまでの日常生活でどれだけ読む力や聞く力を使ってきたかということに比例しているので、一度差がつくと、その差は広がるばかりとなります。 低学年のころは、目につきやすい勉強に力を入れるのではなく、目につかない読む力や聞く力を育てていくことが大切です。読書や対話が重要だというのは、そのためです。 |
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■低学年の長文音読 |
言葉の森の低学年の長文音読を難しく感じる方が多いと思います。 読む力には個人差があるので、長文音読は、次のように進めていってください。 第一に、その子が無理なく読めるところまでを毎日読むようにするということです。 一編の長文を全部読むのに時間がかかる場合は、最初の一段落だけ読んでおしまい、という形にしてかまいません。大事なことは、一日の量は短くてもいいから毎日読むということです。 第二に、いつも褒めてあげるということです。どんなにつっかえて読んだとしても、読み終えたときに、「だんだん上手に読めるようになってきたね」と褒めていると、不思議なことに本当に上手に読めるようになっていきます。どうしても、子供の読み方が気になって直したいという場合は、「今日は、お母さんが読むから聞いているだけでいいよ」と言って、お母さんやお父さんが読んで聞かせてあげてください。それを何度か続けているうちに、読み方の指導をしなくても同じように読めるようになってきます。 第三は、意味のわからない言葉が出てきたときです。長文の中には、低学年の子が日常には接しないような言葉が出てきます。しかし、そのときに意味を調べさせる必要はありません。音読の目標は、すらすら読めるようになることですから、意味不明の言葉でもそのまま読めればそれでいいと考えていってください。 しかし、子供は、何度も読んですらすら読めるようになり、読み方に余裕が出てくると、必ず意味のわからない言葉を聞いてきます。そのときこそ、お父さんやお母さんの出番です。その言葉の意味をお父さんやお母さんの今持っている知識の範囲で(つまり新たに辞書などで調べたりせずに)説明してあげるのです。聞く力が育つのは、聞きたいことを聞くからです。そして、説明するときは、できるだけ面白く長々とお喋りを楽しむようなつもりで話してあげることです。 このような音読の仕方によって、読む力や聞く力とともに、親子のコミュニケーションも育てていくことができます。 |
■ダーウィン展のゾウガメ(パタポン/うちわ先生) |
3月最後の日曜日、家族でダーウィン展(上野)に行ってきました。そこで思いがけず、ゾウガメを見ることができました。このカメ、ゾウという名がつくくらいですからとにかく大きい。体重は約100キロ。じーっとしているので、初めハクセイかと思っていました。ところが、エサ係がバケツを持って登場すると、巨体に似合わぬすばやさで向きを変えるではありませんか。エサは、細長い草です。カメは、それを次から次へワッシワッシとほおばります。よく「カメ!」(笑)とつっこみを入れたくなりました。 ところが、ガラスケースに釘付けになっているうちだんだん奇妙な感覚がわきおこってきました。口元だけ見ているとまるで牛か馬が草を食べているような感じなのです。何か変。テレビのドキュメンタリー番組で「イルカが陸に上がって犬の祖先になった」という話を聞いたときと、よく似た感覚です。ふだんは似ても似つかないと思っているハ虫類のカメからほ乳類の牛や馬を連想する、また、海に住むイルカと陸の犬のルーツが同じ。こういう事は、いつのまにか常識にまみれてカタくなっている私の脳には、違和感としか受け取れないのでしょう。みなさんだったら、どんなふうに感じるでしょうね。 このカメさん、ガラパゴス諸島の中でも島によって形が少しずつ違うらしいのです。ダーウィンは、そこに目をつけました。たとえば、甲羅(こうら)部分が鞍(くら)のようにまくれあがっているカメがいる島があります。ここでは、きっとサボテンの葉や花を食べるのに都合のいいように甲羅が変化したのでは?と考えたのです。これはほんの一例ですが、ダーウィンは、5年間の探検旅行で抱いた疑問や推論にヒントを得てさらに研究を重ね、後年進化論へとまとめていきました。 これが研究?というようなユニークな展示もありました。口をとがらせて怒ったサルの写真。その隣にはサルと同じ表情の人間。あるいは笑い顔のサルと人間の笑顔をくらべたものなど。何枚も。全部ダーウィンの資料です。サルの方が人間らしかったりして(?)、おもしろかったです。「サルまねだ!」「サルのふり見てわがふり直せ」と茶化してはいけません。サルと人間の表情を比較して観察することも、ダーウィンにとっては大まじめの試みだったのです。 博物館の暗い展示室を出ると、上野公園は桜が満開でした。ビニールシートを敷いて花見の場所取りをする人たち、散歩中の犬、鳩の群れ…。一見全然関係のない人も動物も、みんな先祖をたどっていけば細胞レベルでつながっているなんて。やっぱり私には「なんとも不思議なSF的な世界」としか言いようがありません。 (ダーウィン展は6月22日まで科学博物館で開催中。大阪にも巡回予定。) |
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■ぷちベジ(ルビー/おぎ先生) |
肉が苦手な娘に合わせて、どうせなら肉を減らす食生活に変えてしまおう。 去年の8月号の学級新聞でそんなお話を書きました。さてその後の我が家はどうなったでしょう? 完全なベジタリアンに・・・というのはなかなか難しいものです。豆腐や根野菜がたくさん手に入る日本ならまだしも、おいしい野菜の種類が少ないアメリカでは、あまりこだわると逆にストレスがたまってしまいます。そこで考えたのが、「肉がメインのおかずを減らすこと」。そして、「週に数度、少なくとも一度は、まったく肉を食べない日をつくること」、「魚は今までどおり特に制限をしないこと」。これなら無理なく続きます。そのようにして意識的に野菜中心の生活をはじめるようになって約1年、続けて肉が入った料理が並ぶときもありますが、全体的な肉の摂取量はずいぶん減りました。肉が減ったというよりは、豆や野菜を多く食べるようになった、というほうが正しいかもしれません。 肉をあまり食べなくなっていちばん変わったことは、肉を食べたいと強く思わなくなったことです。私は若い頃肉がとても好きだったのですが、食べない生活に慣れてしまうと、身体(と気持ち)が、とくに塊(かたまり)の肉をまったく要求しないのです。肉を減らして間もない頃、おもしろいことがありました。身体のいろいろなところに、さわるととても痛いニキビのようなものがいくつもできました。どこか身体が悪いのかと心配していたのですが、夫も娘も、同じようなものがポツポツとできていると言います。ダニなどの害虫かな? アレルギーかな?@おかしいな、おかしいなといいながら様子を見ていたら、1ヶ月くらいでみんなすっかり消えてしまいました。そしてその後は、まるでひと皮つるんとむけたように、肌の調子がとても良く、以前のように冬場や季節の変わり目に荒れる、ということもなくなってしまいました。今思えば、あの全身にできたニキビのようなものは、それまでの食生活の悪いものや毒素が身体の中から出たものだったのかもしれません。 もうひとつ、もしかしたら肉を減らしたせいでは? と思いあたることは、イライラがなくなったことです。この半年で、怒りなどの大きな負のエネルギーを感じることがずいぶん少なくなりました。肉をたくさん食べると肉食獣のようなハンター的な性格が強くなり、反対に野菜を好むと草食動物のようにおだやかな性格なるのでしょうか?(笑) 糖分や塩分やカルシウムが人間の性格に影響を与えることはあるようですが、肉食が性格に直接作用するという話はあまり聞きません。科学できちんと解明されたらおもしろいですね。 最近、インターネットのサイトで「ゆるベジ」という言葉を目にしました。これはつまり、毎日ではなくできるときだけベジタリアンのような食生活をする、という意味らしいです。なるほど、我が家の今の食生活は「ゆるベジ」というのが近いのかもしれません。流行(?)の先端をいっていたのかな?(笑) 残念ながら今のところダイエットに大きい効果はないけれど、身体にはもちろん、たぶん心にもいい「ゆるベジ」生活。これからはもっと「ベジ」部分を増やすように、続けていきたいと思います。 |
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■読書の習慣(ふじのみや/ふじ先生) |
小さいころ、読み聞かせの思い出のある人は多いでしょう。絵本の手ざわり、におい(とくに新しい本はいいにおいがしますね!) 親のほうも、他のだれも聞いていないときは、思いきり表情をつけてセリフを読んだり。楽しい時間ですね。 幼児向けに、絵本の頒布会などもあります。わが子も、1ヵ月に2冊ずつ、偕成社の絵本を届けてもらってました。絵やストーリーが美しく、クリスマスの本などは、広げて玄関に飾ったり。それから、近くの公共図書館にもよく通いました。子どもに半分選ばせて、残りは私が「これ、どう?」と選んだもの。子どもが好んで読むのは、自分が選んだものですが、いろんな本があるのだなということも、知ってもらいたくて。 そんな本との向き合い方を経て、やがて小学生になると、自分で好きな本を借りてきます。わが子は、なぜか「おばけもの」が好きで、『幽霊レストラン』のシリーズや、小泉八雲の『怪談』などを借りてきたり、あとは当時発売されて空前の人気となった、『ハリー・ポッター』など、ファンタジー物。伝記や科学物も読んでほしいなあと思うのですが、気乗りしない本を強制して読ませることはなかなか難しく、物語に偏った読み方が続きました。自分が小学生のときは、なぜか「百科事典」が好きで、世界のあらゆるできごとを、ながめては想像していたものですが、親子でも関心のあり方は違うものですね。 しかし、本好きなのでとくに子どもが「本を読まない」と悩んだことはありません。私が活字中毒気味なので、リビングには常になんらか読みかけの本があり、休みの日のおでかけは図書館…、「勉強しなさい」というのは苦痛でしたが、本と親しめる環境作りには苦労せず(笑)。今は大学生になりますが、最近は、同じ本を楽しみ感想を述べ合うことができるようになりました。 さて、2002年に政府が「子ども読書活動推進基本計画」を策定しています。 http://www015.upp.so-net.ne.jp/kodomodokusho/kodomodokushokatudousuisinkihonkeikaku02.htm この基本計画は、「すべての子どもがあらゆる機会とあらゆる場所において、自主的に読書活動を行うことができるよう、積極的にそのための環境整備を推進すること」が基本理念。「おおむね5年間にわたる施策の基本的方向と具体的な方策を明らかにするもの」とし、 次の4つの柱で記述されています。 (1)家庭、地域、学校を通じた、子どもが読書に親しむ機会の提供 (2)図書資料の整備などの諸条件の整備・充実 (3)学校、図書館などの関係機関、民間団体等が連携・協力した取組の推進 (4)社会的気運醸成のための普及・啓発 それから5年が経過したこの3月に、第2次計画としてあらたに内容が改訂され、具体的な数値目標も盛り込まれました。 その背景には、国際学力テスト「PISA」で、日本の子どもたちの読解力の弱さが露呈したことがあります。その上で、子どもの読書推進の重要性を改めて強調、公立図書館のボランティアを現状の7万人から10万人に増やすことや、図書館のホームページの開設率を現行の56%から90%に高めることなどが提示されています。(3月11日/日経新聞夕刊) このように、政府側からの働きかけに加え、今一度見直したいのは、家庭内での読書環境です。親が忙しくしている間、テレビやゲームに夢中になって、マンガ以外の読書の習慣がない。図書館に行ったこともない。それはそれで、楽しい生活ができるように現代社会はできていると思いますが、文字という人間だけが操ることのできるツールによって、自分の考えを伝え、相手と交流をすることができる、その土台を作るのは、やはり読書です。おしゃべりな子、無口な子、いろいろな子がいますが、表現力の豊かな子はやはり、読書に対する習慣づけができています。言葉による表現力は、一朝一夕で身につくものではありません。読み、ひたすら読み、そして書き、話す。この積み重ねは、大人になってからは習得できないものです。 新学期。人生の貴重な道具=言葉を磨くために、読書の習慣について見直してみてはいかがでしょうか。 |