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  9月15日(月)は休み宿題
  新しい勉強法(暗唱の仕方)
  想像力(かな/やす先生)
  ライチョウ(はいまつ/わつみ先生)
  タイで考えたこと(はち/たけこ先生)
  子育て講演から(たんたん/はらこ先生)
 
言葉の森新聞 2008年9月2週号 通算第1046号

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森新聞
9月15日(月)は休み宿題
 9月15日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
新しい勉強法(暗唱の仕方)
 いま、作文の勉強の仕方を新しく開発しているところです。
 大きく分けて、四つの方向で考えています。暗唱、記憶術、マインドマップ、四行詩の四つです。
 第一は、暗唱です。暗唱の効果については、貝原益軒、湯川秀樹、シュリーマン、本多静六などの実践が参考になります。ほかにも、塙保己一、南方熊楠などの伝記を調べてみると、決して彼らも生まれつきの天才ではなく、幼児期の暗唱的な環境が才能の開発に大きな影響を及ぼしていたことが推測されます。
 暗唱の方法は、簡単です。20回以上音読することに尽きます。100字程度の文章を、「正」の字などを書きながら、20回声を出して読むと、空で言えるようになります。今はタイマーという便利なものがあるので、10分間のタイマーをかけて繰り返し読むという形でもかまいません。
 読み方のコツは、できるだけ流れるように速く読むことと、それを自分の耳でしっかり聴くことです。自分の声をしっかり聴くということで、いま、ある装置の開発を考えています。
 どうして流れるように読むのが大事かというと、意味を記憶すると同時に、音楽のようなリズムも記憶できるからです。文章の暗唱が苦手な人でも、歌の暗唱はできます。歌はメロディーと歌詞が結びついているので覚えやすいからです。
 暗唱は音楽のように聴くのがコツということから、これまでの高速聴読のページを作り直しています。今までは、人間が読んでいましたが、長文の一部に手直しをすると、全文読み直しをしなければなりません。そう考えると、人間が長文の速読を続けていくのはかなり無理があると思うようになりました。
 そこで、目をつけたのがテキスト読み上げソフトです。PENTAXで出している音声合成ソフトは、かなり高性能で、人間が読むのとほとんど変わりません。しかし、値段がまだ高いので、フリーのソフトのSofTalkを使うことにしました。これは、いかにも機械が読んでいるような読み方ですが、無料でこれだけできるというのは素晴らしいと思います。聴読で大事なことは、読み方の巧拙ではなく、音楽のように同じリズムで文章を聴くということですから、機械的な読み方でもさしつかえはありません。いま、SofTalkに合わせて、テキストの方の編集を行っているところです。
 音読と聴読を組み合わせて100字の文章を暗唱したあと、次の日に、新しい100字を続けて合計200字の暗唱をします。そのようにして、毎日200字の暗唱を続けていくと、1ヶ月もかからずに、2000字程度の長文をまるごと全文暗唱することになります。しかし、その暗唱は、200字ずつを細切れに覚えただけで、2000字を通して暗唱できるということではありません。人間の頭は、それほど高性能ではないからです。そこで登場するのが記憶術です。(つづく)

               
 
想像力(かな/やす先生)
      
 下駄箱の 奥になきけり きりぎりす   正岡子規

 日本人は昔から虫の鳴き声を聞いては、季節のうつろいを感じてきました。ところが、外国人がこの虫の声を聞いたら、どう感じるでしょう。面白い話があります。藤原正彦さんという数学者の家に、アメリカの大学教授が遊びに来た時のことです。みなで晩御飯を食べていると、網戸の向こうから虫の声が聞こえてきました。すると、このアメリカ人は言ったんだそうです。「あのノイズはなんですか?」と。

 ノイズ、というのは雑音や騒音のことです。日本人の耳には心地よい虫の音も、アメリカ人にとっては、ただのうるさい音にしか聞こえなかったということですね。虫の音を楽しむという感覚は、アメリカやヨーロッパはもちろん、日本に近い中国や韓国にもないことなのだそうです。この話を聞いて先生は、日本人に生まれてよかったなあとしみじみ思いました。

 日本人は、虫の音を「ノイズ」ではなくて、「心にしみる音」として聞くことができます。しかも、単にきれいな音として聞いているだけではありません。上の俳句をもういちど読んでみましょう。「下駄箱の 奥になきけり きりぎりす」 それが、なんなの? と外国の人は思うかもしれません。しかし日本人は、この句から、「もののあわれ」を感じ取ることができます。下駄箱の中に迷い込んで、なおも懸命に鳴くきりぎりす。限りある、はかない命だからこそ、その鳴き声は胸にしみるのですね。日本人は、虫の声から、そこまで感じとることができるのです。

 もうひとつ俳句を紹介しましょう。

 古池や かわずとびこむ 水の音   松尾芭蕉

 だれでも知っている有名な俳句ですね。古池に、カエルが一匹、ぽちょんと飛び込む。そのぽちょん、という音があるゆえに、そのあとの静けさがいっそう強く感じられる。そんな光景をあらわした俳句です。ところが、この俳句を外国人が読むと、まったくちがった光景を思い浮かべるそうですよ。池にカエルが集団で、ドバドバドバッと飛び込む様子を想像するんだそうです。松尾芭蕉が聞いたら、「どうしてそうなるんだ!」とあきれカエルかもしれませんね。
          
 先生はキリギリスの鳴き声に、はかない命の尊さを思ったり、カエルが飛び込む音によって、逆に静けさを感じとる日本人の感覚を誇りに思います。俳句の中には出てこないものまで、感じ取る感覚。これは実は、7月の5年生の長文に出てきているんですよ。日本人は「余白」を好む。全部説明しきらずに、鑑賞する人の想像にまかせる。そんなことが書いてある長文でした。想像にまかせるというのは、相手の想像力を信じていないとできません。まさか、カエルが集団でドバドバ飛び込むことは想像しないだろうと、信じているからこそできることなんですね。

 みなさんも、ぜひこの信頼にこたえられるよう、「想像力」をみがいてください。いろんなものの表面だけ見るのではなく、もっと奥深くまで見える目を、持っていてください。そんな人は外国の人から見ても、とてもすばらしい貴重な人間として、尊敬されると思います。
                
ライチョウ(はいまつ/わつみ先生)
 私の趣味は登山です。今年は秋に高いお山に登ろうかと思っていますが、ここ数年は南アルプスを中心として3000M級の山に挑戦しました。さて、突然ですが問題です。日本で一番高い山は富士山…ですが、二番目に高い山は?と聞かれて、即答できればかなりの「通」です。答えは、「北岳」で、3193Mです。富士山は3776Mですから、約600Mの差があります。今回は、なかなか知られていない北岳のお話です。
 私が山歩きのたくさんの楽しみの中の一つとして挙げるのは、野鳥との出会いです。特に、特別天然記念物のライチョウに会うことをとても楽しみにしています。ライチョウは、2500M以上の高地にしか生息していません。現在は北・南アルプスと、新潟にある山にしかいません。富士山でも繁殖の実験が行なわれましたが、自然環境が合わず、繁殖できませんでした。ライチョウはハイマツや、高山植物を食べて暮らしています。一度だけ、ライチョウにめぐり逢う機会がありました。3年前、南アルプス・仙丈ケ岳で、です。母鳥とヒナが仲良く高山植物をついばんでいました。警戒心が少なく(元来天敵が少ないため)、人間が傍にいてもマイペースで食べ続けていました。
 北岳にもライチョウが繁殖できる環境が整っていて、20年前までは少なくとも数十羽生息していました。が、去年の秋、北岳のライチョウが絶滅したというショッキングなニュースが流れました。どんなことがあっても熟睡できるこの私が、このニュースで眠れなくなりました。嘆き、哀しみました。温暖化の影響によりサルや鹿、キツネが高山帯で暮らすようになったのが原因の一つと言われています。彼らが高山植物を食べてしまい、ライチョウのヒナまでも襲うようになったらしいのです。おまけに北岳は登山客が多い山で、人間が平気でゴミを落としていきます。そのゴミを目当てにサルやキツネが集るようになってしまいました。結果、ライチョウの棲家がなくなってしまったのです。
 7月28日付のニュースで、北岳のライチョウが数羽、確認されたとの朗報が私の目に飛び込んできました。絶滅のニュースを見た時も号泣しましたが、生息していたというニュースを見ても号泣しました。心からホッとしましたが、まだまだ絶滅の心配は消えません。「環境問題」と日々目にしない日はないくらいですが、我々の身近なところだけでなく、人間の手に負えない高山だからこそ環境問題を考えなければなりません。それには、人間の手が入っていない環境がどのようなものであり、どんな動植物がひっそりと生きているのかについて目を向けなければならないと思います。ライチョウはどんな鳥なのか、これを機会にどうぞ調べてみて下さい。
タイで考えたこと(はち/たけこ先生)


 バンコクはタイという国の首都です。タイという国は、行ったことがなければ、みなさんにとってはあまりなじみのない東南アジアの一つの国としか思えないかもしれませんね。
 私もタイに行く前まではそうでした。ゾウがいて、暑くて、見たことのないくだものがある国・・・そういうイメージしかありませんでした。
ところが、バンコクで暮らすうちに、とても気持ちが安らぐことを感じました。
 実は、タイ人は、顔つきや肌の色がもう日本人と少しちがっていて、インドに近づいているといってもいいくらいなのですが、気持ちの動きや心のはたらきがとても日本人とにていることに気がついたのです。


 そんなタイですが、このところ、子どもの本がとても活発に出版されています。そして年に1度子どもの本を、大きい会場に一同に集めて売る大きいフェスティバルが行われているので、タイの子どもの本の特徴がどうなっているか、調べに行ったのです。
 今、タイの子どもや中高生にとても人気があるのが、『ハリー・ポッター』から始まったファンタジー作品、日本のアニメやコミックス、それから韓流ドラマなんです。『エラゴン』『ダレン・シャン』『ナルニア』のタイ語の本もずらりと並んでいますし、また日本のマンガは日本の本屋さんにあるマンガはほとんどみんなタイ語になってそろっています。みなさんが、もしタイに行ってだれか通訳してくれる人がいたら、好きなマンガやハリー・ポッターなどについて話ができるわけです。


 実はタイという国は、アジアの中で、日本とただニ国だけ、外国の植民地になったことのない国なのです。そして、7月2週目のミズキの長文を読んだことのあるみなさんは、思い出してください。そこには、日本は外国からの文化をたくさん受け入れたのに、「雑種文化」になることなく、「併存文化の国」になった数少ない国だ、と書いてありましたね? つまり、ほかの国の文化とまざったために、全く違う文化の国になってしまったのでなく、日本の伝統文化を失うことなく、外国文化も日本風にとりいれている国だというのです。そしてタイも、この数少ない「併存文化の国」だといえると思います。タイは仏教など、とても特徴のある伝統的文化による習慣が日本以上に生活の中に強く残っている国です。けれど、日本人と同じように、楽しいことや自由なことが好きなので、バンコクではクリスマスイルミネーションや、バレンタインデーのイベントもさかんです。だから、日本の文化でいいと思ったもの・・・それは多くは「かわいい!」ものですが・・・をどんどん取り入れているなあと思いました。



 そして日本に帰る日、空港まで送ってくれるバスのガイドさんと、ほかのお客さまを待つ間、少し話をする時間がありました。そのガイドさんはめずらしく、みなさんのおとうさんよりたぶん年上そうなやせたおじさんでした。日本語もじょうずでした。
「楽しい旅でしたか?」とたずねてくれたので、
「はい、タイと日本って好きなものがにていますよね。子どもの本を見ていて思いました」というと、思いがけない答えが返ってきました。
「それはね、タイがまだまだ日本のまねをしているということなんですよ。タイではまだ50パーセントの人しか大学に行けません。本を読む人もまだ少ないです」
とおじさんがさびしそうに言うので、私は、
「日本人は大学に行ってもあまり勉強しない人がたくさんいます」と言うと、おじさんは
「それでもね、大学の先生の話を聞く時間がもてるのは、とてもいいことなんです」と首をふるのでした。私はこのおじさんの知恵あることばに考えさせられました。
 けれど最後に、「でも私はやっぱりタイが好きです。まだまだ帰りたくないなあ」と思わず言うと、おじさんはやっとうれしそうに笑ってくれました。

 今回私はタイで日本人やタイ人のたくさんの友人に会って、貴重なお話を聞いてきたのですが、一番最後にこのガイドさんからも、貴重なお話を聞くことができたのでした。旅っていうのは、やっぱりその国の人と出会ってお話をする、それが一番の思い出にもなり、勉強にもなるものだと思いをあらたにしました。(一般化の主題・笑)
子育て講演から(たんたん/はらこ先生)
 先日、子育てに関する講演に参加したら、心に響いた言葉がいくつかあったので、子育ての先輩であるお母さま方には失礼承知で、その言葉をおすそわけしたいと思います。
                       
☆「こうさせたい」と思うより「こうなってほしい」と願うこと
 かわいいわが子には、「あの学校に通わせて、この習い事をさせて、将来はこうさせたい」と思うのは当たり前の親心だと思います。しかし「こうさせたい」と強く思えば思うほど、子どもは皮肉なことに、そのレールから外れていくそうです。逆に「こうなってほしい」と願っていると、子どもは願い通りの道を歩んでくれるようです。
 作文でも同じかもしれません。「こんな文ではなく、もっと上手な表現があるはず。これを書かせたい」と子どもに伝えると、低学年ぐらいまでの子どもは素直に聞き入れて書きます。でも心底では「お母さんが言うから仕方なく」というボヤキがたまり、高学年や中学生になると親の意向に従わなくなるでしょう。反対に「こんな文章を書けるようになってほしいな」と心の中で願い、入選した子の作文を一緒に読んだり、読書のひとときを味わったり、親の体験談を話してあげたりすれば、親の思いは子どもに必ず通じると思うのです。
     
                       
☆子どもに掛ける言葉を、現時点の6割に減らすこと
 会話を減らせという意味ではありません。「宿題やったの?」「早くねなさい」「なにしてるの!」など、ついつい口からでてしまう鋭くとがった言葉をぐっと抑えて、子どもの行動を「待つ」姿勢を心がけようということです。
 わが家に置き換えてみても、耳の痛い言葉です。息子がコップをたおして水びたしになったとき、「(ここからは岐阜弁でお読みください)もう、なにしとんのぉ! だからコップはテーブルの真ん中に置かなあかんでしょう。あっ、服もぬれたの? 早く着替えな」と批難の嵐にしてしまいがちです。不満をもらすことで、私は自己満足が得られますが、コップをたおして「しまった!」と思っている息子にとっては面白くありません。「あらら、失敗しちゃったね。着替えよっか」の言葉だけで十分ですよね。感情が入ってなかなか理想どおりにはいきませんが、6割といわずもっと言葉数も減らせるかもしれません。
 子どもにとって耳障りな言葉を減らした代わりに、ほめ言葉や親子の楽しい会話が増やせたら最高ですね。親の自己満足な言葉を6割に減らし、子どもにとって心地がよい言葉を4割増やす。子どもの作文をみて「ここ、ちょっと変じゃない?」と思う文章があっても、口に出さずにちょっと待ってあげてください。その部分をつつくより、ほかの良い部分をほめる方が子どもの心に光を当てることになると思うのです。
     

 ほめるときは子どもと向き合って正面から、しかるときは子どもの背後から言葉をかけるとよい、とよく耳にします。「背中をおす」という言葉のように、子どもの成長を穏やかに背中からそっと見守っていけたらなぁと思った講演でした。

    
 
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