言葉の森新聞
2008年9月3週号 通算第1047号
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森新聞 |
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■9月15日(月)・23日(火)は休み宿題 |
9月15日(月)・23日(火)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987) 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php |
■新しい勉強法(記憶の仕方) |
人間の短期記憶は7個ぐらいまでしか保持できないと言われています。 文章を読むときは、この短期記憶で読んでいます。長い文章であっても、7個ぐらいの語句を消化しながら読んでいきます。だから、文章の意味は理解できますが、文章そのものを再現することはできません。読んで理解して、理解した先から忘れていくという読み方だからです。 暗唱は、この短期記憶による読み方とは異なります。暗唱は、意味を理解しながら読むだけでなく、文章全体を一つのメロディーとして読むものです。短期記憶が逐語的な読み方だとすると、暗唱は一括的な読み方です。 初めて暗唱のような読み方をすると、脳がまだ新しい使い方にまだ慣れていないために疲労します。こういうときは軽く寝るといいのです。睡眠は記憶を定着させる役割があるので、何かを覚えたらそのあとは寝るというのがいい方法です。特に、記憶は夢を見ているときに定着するので、ぐっすり寝るのではなくうとうとと寝るぐらいがちょうどいいようです。 20回音読して100字程度の文章を暗唱するという基本の練習ができるようになったら、次は覚えた文どうしをつなげる練習をしていきます。それが記憶術です。 100字の文章は、50字ぐらいの文が2、3文つながっているような構成になっていることが多いと思います。2つの文がつながっていたとした場合、1文目と2文目をどうスムーズにつなげて覚えるかということが問題になります。 まず1文目の冒頭の語句をイメージ化します。そのイメージを、自分のよく知っているものにつなげます。次に2文目の冒頭の語句をイメージ化します。そのイメージもまた、自分のよく知っているものにつなげます。例えば、1文目が「科学技術は……」だとしたら、鉄腕アトムが自分の頭のてっぺんにぶつかっているようなつなげ方です。2文目が「文化の……」だとしたら、文化なべが自分のおでこに当たって「痛た」というようなイメージです。 覚え方のこつは、自分らしく、おもしろく、即座に、イメージ化して、ということです。他人にはわからなくてもかまいません。また、できるだけおもしろおかしく印象に残るようなものにします。あれこれ考えずに、頭に浮かんだものにすぐ決めるというのも大事です。抽象的な言葉であっても、こじつけでイメージ化していきます。 このようにして、1文ずつの冒頭をつなげていくと、長文のような長いひとまりの文章もすらすらと言えるようになります。しかし、最初からすぐに長い文章の暗唱を目指すのではなく、初めは400字ぐらいの文章を続けて暗唱できるようにしていきましょう。 こうして入力の土台を作ったあとに、次は、マインドマップ的な方法で思考を深めていきます。 |
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■トルコライス!?(なら/なら先生) |
世界三大料理と言われたら、すぐに答えられますか? フランス料理・中国料理はすぐに出てくると思います。もう一つは……? トルコ料理です。トルコ料理と言われてピンと来ない人も多いかもしれませんね。お祭りの屋台などで見かけることの多くなったものに、「ドネルケバブ」というものがあります。薄切り肉を金属製の棒に巻きつけて人の体ほどの太さにし、回転させながらあぶって熱を加えます。食べるときには、火が通ったところから削ぎ切って食べるのです。「シシケバブ」は串焼き肉。バーベキューのイメージに近いものですね。他には、10年ほど前に、練ってビローンと伸ばして食べる、一風変わった『ねるじぇら』というアイスクリームが発売されました。これは、トルコのアイス「ドンドゥルマ」からヒントを得たものだと思われます。最近もトルコ風アイスと銘打ったものを、ぽつぽつ目にすることがあります。 そのトルコ料理を食べる機会に恵まれました。トルコへの留学経験のある知人が、お薦めの店に連れて行ってくれるというのです。ワクワクしながら店に向かい、知人に全て選択を任せて出てくるものを食べました。まずの感想は「味付けがシンプル」そして、「野菜と豆が多い」「肉類は羊と鶏」「(意外にも)魚料理が豊富」ということでしょうか。中華料理やフランス料理のような派手さや濃厚な印象はないのですが、食べていて素材のおいしさがよく味わえるところが特長だと思います。 「食は文化」とよく言われますが、実際に料理を口にすると、なるほどと思い至ることがたくさんあります。野菜や豆が多いのは、豊かな土壌があればこそ。豚肉が使われないのは、イスラム教の戒律と関係があります。トルコの周囲には海があるので、漁獲量も多いということでしょう。日本にはあまり馴染みのないトルコ料理が、「世界三大料理」の中に入るのは、西洋と東洋が交わるエリアであり、はるか昔オスマントルコが力をふるっていたこととも関係があるはずです。食いしん坊(先月の学級新聞からの続き)として、おいしく食事ができて異文化に触れることもできた、実り多い会食でした。 その知人の誘いで、東京の代々木上原にある「東京ジャーミイ」というイスラム教の教会にも足を運びました。駅を出て数分歩くと、突然、白い大きな異国の建造物が目に入ります。その建物だけを見ていると、ここが東京だとは思えないくらいです。見学もできるのですが、中に入るときには、女性はスカーフをして髪を押さえ、肌の露出が多い場合は肩にもスカーフをかけます。女性専用の礼拝スペースも設けられています。「今の日本にこういう場面があるかな。」「相撲の土俵に女性は上がれないとか、女人禁制の山寺とかがあったな。」そんなことが頭に浮かびます。私が行ったときには人気がなかったのですが、礼拝があるときには多くの信者が集まり、聖地メッカに向かって頭を下げる光景が見られるそうです。教会の正面ははるか彼方のメッサの方角を向いているとのこと。(言われてみれば、敷地の中で斜めに位置取りされて、建てられている。) 建物の装飾の意味やしきたりなど、驚くことばかり。宗教・信仰について日常生活で意識することなどほとんどない生活を、私を含めた多くの日本人が送っていると思います。実際に、ジャーミイの入り口に数人の大学生らしき見学者が座り込み、デジカメ写真を撮ったり、アイスを食べたりしていました。それをイスラム信者が目にしたら、どう思うだろうか。ふと、そんな思いがよぎったものの、声もかけずに通り過ぎてしまったのが、私自身の現実です。 食・宗教……現代の日本には、異質なものに触れる機会がたくさんあります。その機会の中で、何を感じ何を得られるか。与えられた機会を自分の中で活かし、育てていけるといいなと思いました。 ★トルコライス:1枚の皿にトンカツとカレーピラフ(カレーチャーハン)とスパゲティーを一緒に盛ったもの。長崎名物として有名になる。豚肉(トンカツ)があるのでイスラム教の人は、おそらく食べないはず。名前の由来には諸説あるとのこと。 |
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■脳のはたらきをよくする三つのポイント(どれみ/なかみ先生) |
先日、テレビで脳科学者(のうかがくしゃ)の茂木健一郎(もぎ けんいちろう)さんのインタビューを見ました。私をふくめ、きっとみなさんにも役だつだろうと思うことがあったので、ごしょうかいしたいと思います。 脳のはたらきをよくする三つのポイント 1.起きたしゅん間からひと仕事 朝起きたしゅん間の脳(のう)は、前日におこったことや勉強したことなどが一番きちんと整理(せいり)されている状態(じょうたい)なのだそうです。きちんと整理された状態なので、仕事や勉強をするといいアイディアがうかんだり、とてもはやく仕事を進めることができるのだそうです。もちろん、なかには夜型(よるがた)の人もいますが、朝型(あさがた)の脳の人が多いようです。「夏休み、宿題は午前中にしましょう。」と言われるのも、ただ、すずしいうちにという理由だけではなさそうです。また、みなさんの中にもふだんから朝起きてすぐ音読をしたり、勉強する人がいますが、とてもいいことです。前の日の日記を朝つけてもいいですね。この夏休みにぜひちょうせんしてみてください。 2.毎日同じことをくりかえす どんなことでも毎日くりかえして行っていることは、実は脳にとって、とてもいいことなのだそうです。まず、できないことをあきらめないで毎日くりかえしておこなえば、頭の中の回路(かいろ)がつながって、いつかできるようになるということです。ただこれは、人によってかかる時間がちがうので、もしすぐにできなくても一年はつづけるかくごでつづけることが大切なのだそうです。また、習慣化(しゅうかんか)した動作(どうさ)は脳のはたらきをよくするのだそうです。みなさんは「毎日、同じことのくりかえしでつまらない」とか「同じことばかりでは意味(いみ)がない」などと思ったことはありませんか? これからは「このくりかえしこそが役だつ!」と私も心をこめておこないたいと思います。毎日の音読、読書。週に一回の作文の習慣もきっとみなさんの脳に想像(そうぞう)以上のこうかをあたえているはずです。 3.創造(そうぞう)とは思い出すこと これを説明(せつめい)するのはちょっとむずかしいのですが、一言でいうと「ものをつくっているときの脳の状態は、何かを思い出すことににている」ということです。何かをつくりだすといっても、何もないところからつくりだすことはできません。今までおぼえたことや経験(けいけん)したことが生かされて、新しいものがつくられるのです。「生かす」ということは「思い出す」ということなのですね。そこで、昔あったことや、気になることなどを思い出す練習(れんしゅう)をしていると脳のはたらきがよくなり、創造力(そうぞうりょく)もましてくるのだそうです。作文にも創造力は必要です。何もないところから文を作ることはできません。上手な作文を書くにはやはり読書したり、経験(けいけん)をつんで知識(ちしき)をふやすことが必要なのです。 インタビューの最後に茂木さんが「おいしいワインを作るぶどう畑は、何百年間もかけてたがやしつづけている畑であるということ。人間の脳もぶどう畑といっしょで、長い時間をかけてたがやしてあげることが大切。」とおっしゃっていましたが、本当にその通りだなと思います。また「くりかえすことが大切、と言いましたが、たまには脳もサプライズ(おどろき)が必要。でも、サプライズだけではダメですけれど(笑)」とも。 |
■探究心(たおやめ/やすら先生) |
今回は「探究心」についてお話しようと思います。みなさんは、幼い頃に盛んだった「なぜ・どうして」の気持ちをいつも持っていますか? 私は未だに強く持っています。探求と、比較検討が大好きです。禁止事項についても、奨励事項についても、自分が納得する説明に出会うまで調べつくします。その行為と結果の間にある因果関係やしくみが、細胞レベルや化学反応のレベルで分かるまでは実行する気になれないのです。 第一子を妊娠した時、お医者さんに言われました。 「カフェインの摂りすぎには気をつけて下さい。」 ここで何の疑問もなく「わかりました。」と言って実行できるでしょうか。私は説明が足りないと感じ、なぜかと聞きました。 「胎児の発育に影響するからです。」 ここで満足できるでしょうか。私はまだ足りないと思いました。どういう仕組みでどういう影響があるのかが知りたいのです。納得いく説明を求め、自分で調べました。得た答えは、 「カフェインが鉄分の吸収を妨げ、胎児への鉄分の供給が少なくなるから」 ということ。ここで完了でしょうか。私は、まだです。カフェインが鉄の吸収を妨げる仕組みまで知りたいのです。それから何段階かの疑問→解決の段階を経て、ようやく納得にたどりつきます。こんな私はよく「しつこい」と言われますが、みなさんはどの段階で納得できたでしょうか? 調べる過程で、新たな知識が脳にストックされます。さらに考える過程で、ストックした知識を使うことによって物事とその知識の間に神経回路が生まれます。知識は、そこへ到達する神経回路を結んでやらなければ生かされません。だから、調べたり考えたりする「探求」という行為は、脳内にその神経回路をたくさん増やすいい機会なのです。みなさんも回路をたくさん増やして、もっと物事を深く考えられる人間になって下さい。考えることがどんどん楽しくなってきますよ! |
■『きょうも生きて』(ひな/あられ先生) |
『きょうも生きて』これが、不思議な本の題名です。初めて読んだのは、たぶん小学校4年生のときだったと思います。夏休みの宿題の読書感想文を書くために本を探していたとき、学校の図書室でこの本は異彩を放っていました。とにかく古くてぼろぼろだったのです。いつもの私なら汚い本は借りないのですが、題名がいかにも感動的な内容を予想させるので「これならきっと、先生の気に入る感想文が書けそうだ。」と思い、借りることにしたのです。子供のころの私はけっこう計算高く、どうしたら大人にほめられるかということを考えて行動するところがありました。 読んでみると予想にたがわず、貧しい兄弟がけなげに生きる感動的なお話でした。とくに印象的だったのは、主人公の敏子が書いた詩がコンクールで入選し表彰式に行く場面です。着ていく服がないのでお母さんは古いセーターをたんぽぽで黄色に染めます。9月の暑い日だというのにセーターを着ている敏子を雨は無情に濡らします。そして気づくとセーターから黄色い汁が。親切に敏子を拭いてくれた女の人のハンカチは黄色く染まってしまいました。 この本を読んでどんな感想文を書いたのかは覚えていませんが、狙いどおりよい感想文に選ばれ、図書室に本の題名と私の名前が貼られました。ただ、どうしたことか先生が題名を間違えて、紙には『きょうもはきて』と書かれていたのです。それを見た友達に「いったいどんな内容の本なの? もしかして、いつも掃除当番をさせられている子の話? 」と聞かれたときは、大人の受けを狙って書いたからこんなことになるのかなと、複雑な気持ちになりました。 それから十年以上、私はこの本のことなどすっかり忘れていました。ところが、またしても出会ってしまったのです。 大学を卒業して就職した学校の図書室で、私はまたまたひときはぼろぼろの本に目がとまりました。表紙の一部はちぎれ、捨てられなかったのが奇跡のような状態でした。本の題名は『きょうも生きて 第二部』。あの本に続きがあったことを知り、驚きとともに不思議なめぐり合わせに感動しました。このとき、私にとって『きょうも生きて』は特別な本になりました。できれば買いたいと思いましたが、1950年代に出版された本だったので手には入らないだろうと決めつけ、探すこともありませんでした。 ところが3年前のことです。いつもよく行くスーパーの催事場で古本市がやっていたのでのぞいてみると、なんとあったのです。しかも二冊そろって! それは私がかつて読んだ50年代のハードカバーの本ではなく、偕成社文庫に入っているものでした。もちろん迷わず買いました。 そのとき初めて作者が坂本遼という人であることを知りました。さっそくインターネットで作者について調べてみると、またびっくり。中学校の教科書に載っていた「春」の作者だったのです。この詩はとても印象に残っていて、授業のときの友達の朗読する姿もはっきり覚えています。 今思うと坂本遼という人がずっと私に、人の目を気にして取り繕って生きる愚かさを教えようとしていた気がします。貧しくても人を思いやり、素朴に実直に生きていくことが大切であると語り続けてくれて、今やっと分かった気がします。 春 坂 本 遼 おかんはたった一人 峠田のてっぺんで鍬にもたれ 大きな空に 小ちやなからだを ぴよつくり浮かして 空いっぱいになく雲雀の声を ぢつと聞いてゐるやろで 里の方で牛がないたら ぢつと余韻に耳をかたむけてゐるやろで 大きい 美しい 春がまはつてくるたんびに おかんの年がよるのが 目に見へるやうで かなしい おかんがみたい |