言葉の森新聞
2008年10月1週号 通算第1049号
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森新聞 |
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■10月1日(水)から新学期 |
10月1日(水)から新学期が始まります。7月からの教材の説明は、課題フォルダの表紙の裏側に書いてあります。 教材の説明は、「学習の手引」にも載っています。 http://www.mori7.com/mori/gate.php |
■【重要】住所シールの貼り方 |
作文用紙には、自分の住所シールを貼ってください。 http://www.mori7.com/mori/gate/seal_mihonn.gif |
■毎日の自習の仕方 |
(1)毎日、課題フォルダのその週の長文を1編音読しましょう。→毎週、先生が長文問題を出します。(特に希望しない人には出しません) (2)毎日、読解マラソン集(小1以上に配布)の長文を1編以上音読しましょう。→毎月第4週に読解問題を出します。(最初の月は1〜4番の長文から、次の月は5〜8番の長文から、最後の月は9〜12番の長文から問題を出します) (3)毎日の勉強の終わりに読書をしましょう。(ページ数の目安は、小1=10ページ以上、小2=20ページ以上、……、小5以上=50ページ以上) ※低学年の生徒で、長文を全部読むのに時間がかかる場合は、「『。』3つ分まで読む」など無理のないやり方にしてください。 ※長文を音読するかわりに、高速聴読や速読問題を行うこともできます。 |
■10月11日(土)事務局への電話は留守電のみに |
10月11日(土)の事務局への電話は、留守電のみになります。 電話での応対ができませんので、よろしくお願いいたします。 |
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■7月〜9月の賞状を同封 |
9月1週の進級試験で、字数が規定以上、構成・題材・表現・主題の4項目のうち3項目が◎で1項目が○以上、の人には認定証を同封しています。字数賞・自習賞・作文賞・皆勤賞は、金賞10クラウン、銀賞5クラウン、銅賞1クラウン、賞外0クラウンです。認定証は10クラウンです。 金賞は点数の上位10%、銀賞は10〜20%、銅賞は20〜80%。それ以外は賞外です。 それぞれの賞で点数がなかった人や、9月1週に在籍していなかった人には、賞状は入っていません。 なお、3ヶ月の学期の途中から入会された方は、日数の関係で賞状の点数が低くなっております。次の学期からは、正しく表示されるようになりますのでご了承ください。 |
■読解マラソン集の使い方 |
1、読解マラソン集(小1以上に配布)は、毎日1編以上を音読しましょう。 2、最初はルビ付きの長文を読み、慣れてきたらルビなしの長文を読みましょう。 3、ホームページの読解マラソンのページで、記録をすることができます(希望者のみ)。 http://www.mori7.com/marason/ (1)読解マラソンの「自分のページ」に行き、生徒コードを入れます。 (2)「状態の確認」を送信します。 (3)その学期に読んだ読解マラソン集の長文を「○回目の○番目」という形で記録します。 (4)マラソン選手をクリックすると、「ゲームの森」に行けます。 (5)ゲームをクリアすると、アイテムが手に入るので、「自分のページ」に戻ります。 (6)自分のページで「状態の確認」をすると、アイテムの着脱ができます。 (7)アイテムショップで、アイテムの売買ができます。 (8)ホームページで読解マラソンの記録をするのは、希望者だけで結構です。 |
■10月13日(月)は休み宿題 |
10月13日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987) 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php |
■百匹目のサルの長文を差し替え |
小2の秋の長文11番「宮崎県にある幸島は」に書かれている百匹目のサル現象は、科学的にまだ確定していないとのご指摘がありました。 確かにこの現象は現代科学ではまだ納得できる説明ができていないので、これからいろいろな論議が出てくると思います。 次回の読解マラソン集からは、一時保留ということでほかの長文と差し替えるようにしたいと思います。 |
■新しい勉強法(マインドマップと作文)その2 |
ここで取り上げるマインドマップは、本家のマインドマップではありません。自己流のマインドマップです。ですから、のちほどこれを構成図という名前に改めます。 私は、マインドマップの本を読んだときに、自分がこれまで何かを考えるときに自然に行っていた方法がとても似ていることに気づきました。 そして、その方法を意識的にやってみると、作文が飛躍的に書きやすくなることがわかりました。その理由は、一つは、これまで考えながら書いていたものを、考えることと書くことの二つに分離できたためにどちらの能率が上がったからです。もう一つは、書く前に、考えがほとんど網羅されているので、全体の見通しを広く持って書けるようになったからです。 自己流のマインドマップには、本家のマインドマップとの方法の違いがいくつかあります。 第一に、カラーペンではなく、シャーペンで書いています。いつでもすぐに使え、気軽に修正できるからです。 第二に、A3サイズの大きな紙やパソコンソフトではなく、A4の5ミリ方眼罫のルーズリーフを使っています。これも、いつでも持ち運びができるからです。 第三に、イメージと単語ではなく、短い文で書きます。これは、すぐに書けて内容もよくわかるからです。 なぜ、こういう違いが出てきたかというと、マインドマップは当初記憶法のツールとして開発され、その後創造的思考のツールという役割が加わったからです。そのために、きれいに整理するという面が強く出てきました。それに対して、私がこれまでやっていた方法は、思考する過程を外に出すための方法だったので、見やすさよりも、書くための手軽さが優先されたのです。 では、この自己流のマインドマップは、学校などの作文指導でよく行われている構成メモという方法とは違うのか、という疑問があると思います。 構成メモには、思考の過程が持つ乱雑さはありません。しかし、これが構成メモの最大の欠点なのです。普通行われている構成メモは、作文を書く前に、書いたあとのあらすじを説明させるようなものです。書くことがすっかり頭に入っている場合は、メモを先に書くということもありえますが、通常は書き出す前に書いたあとのあらすじはわかりません。構成メモは、作文を書くときに何の助けにもならないばかりか、作文を書く前にもう一段高いハードルを置いているようなものです。 しかし、自己流のマインドマップの目的は、構成メモが目指している目的と共通していますから、この自己流マインドマップを「構成図」という名前で呼びたいと思います。マインドマップは、商標になっているからです。 この構成図で、思考の過程を充実させ、そのあとその思考の結果を整理するために作文を書いていくというのが、これからの作文指導の流れになっていくと思います。(つづく) |
■センス・オブ・ワンダーがあるかぎり(ほた先生) |
「センス・オブ・ワンダー(Sense of Wonder)」という言葉があります。『沈黙の春』の著者、レイチェル・カーソンの最後の著作にも、この言葉そのものをタイトルとした本があります。ネット書店の大手、アマゾンによると、この本の紹介は次のようなものです(以下アマゾンのホームページより引用)。 「本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。 そして、レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている『センス・オブ・ワンダー』、つまり『神秘さや不思議さに目を見はる感性』を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。」 ここには、「センス・オブ・ワンダー」の訳として、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」という日本語があてられていますが、私はもっと広く、「好奇心」や「知性」、「真実を知る喜び」などの意味も含まれていると思うのです。つまり、知らなかったことを知って「へえ〜」と思ったり、疑問が解けて「なるほど」と思ったり、今まで複雑に思えていたことに説明がついて「すっきり」したり、これらすべてが「センス・オブ・ワンダー」だと思います。 この喜び、この嬉しさ、この爽快感があるからこそ、人は何かを知りたいと思い、何かを考えたいと思い、何かを学びたいと思うのではないでしょうか。そして、それこそが、私たち人間が偶然にもこのような脳を持ち、このように思考でき、このように言葉を使えることのありがたみであり、特権であるのだと思います。 「そういうのは学者がやっていればいいこと。私たちには関係ない」と思っている人もいるかもしれません。でも、「センス・オブ・ワンダー」は、何も小難しい、高尚なことばかりに向けられているのではないのです。近頃のテレビを見れば、クイズ番組や雑学の番組が花盛りですね。そういった番組にも、この「センス・オブ・ワンダー」がてんこ盛りです。その証拠に、それらの番組には、「へえ〜」や「なるほど」や「スッキリ!」がいっぱいでしょう? そして、お家の方々にお願いします。前述の本の紹介は、さらにこのように続いています。 「そのために必要なことは、『わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる』ことだという。」 どんなことでもいいのです。「福田さんが総理大臣辞めちゃったんだよ。次は誰になるのかなあ」とか、「けさ、うろこ雲が出ていたよ。ついこの間まで、入道雲がもくもくと出てたのにねえ」とか、「またパンが値上がりしちゃった! やっぱり、小麦粉が足りないのかなあ」とか、お子さんに話しかけてほしいのです。そして、逆にお子さんたちが発見したり、気になったりしていることについて、気長に聞いて、「へえ〜」「なるほど」「すごいねえ」などとあいづちを打ってあげてほしいのです。 読書ももちろん、子供達の好奇心を刺激し、語彙を増やし、思考力を養うのに不可欠ですが、それ以前に、家庭でのこういう会話が、子供達の頭と心を育てます。 |
■自分で考える「なぜ? なんで?」(いわぱ先生) |
なぜ、朝顔の種をまくときの土の穴の深さは、「指の第一関節まで」なのでしょうか。 なぜ、項目シールに「はじめに絵をかく」や「ダジャレ」があるのでしょうか。 どうしてか、皆さんは考えたこと、ありますか。 こんにちは。今日はまず、あるバイオリニストをご紹介します。 お名前は 神尾 真由子(かみお まゆこ)さん、1986年生まれ。二十歳の2007年、チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で優勝された方です。 神尾さん、とても印象的な方なのです。受賞したことで、何度か特集番組が組まれました。ふだんの生活をカメラが追います。見るたびに魅かれてしまい、また演奏も素晴らしく、録画したものを何度も見ています。 小学校時代。先生から「通ってはいけません」と言われている道を通って学校に行く。最近のリサイタルでも、先生がこう弾きなさい、といわれたのと正反対の弾き方をする。怒られそうなことをわざわざやっているようにさえ見えます。 でも、番組を見ていると、神尾さんはどこまでも「自分で考える」人なのだなあ、とわかってきます。 あるメロディーに、二通りの弾き方があるとします。大ベテランの有名な先生から「こう弾きなさい」と言われたら、あなたはどうしますか。神尾さんは「どうしてそっちなのか理由が分からない、という意味で、こっちを弾きました(笑)」と静かに力強く答えていました。そして、「いつまでも先生が教えてくれるわけではないですから、いつも自分で判断して弾く、そういうことを常にやっているわけです」というようなこともおっしゃっていました。 驚きました。もし私だったら、大先生の言うことですし、間違いはないと思って素直に一生懸命その通りに弾くでしょう。でも神尾さんは違います。いつも自分で納得したことでないと決して受け入れません。そうやって自分自身の音を作り上げていったのです。(また大変な読書家でもあります。そのことも無関係ではないでしょう。) また、お名前は覚えていないのですが、最近めきめきと頭角を現している囲碁棋士で(将棋だったらごめんなさい)、10代の青年のニュースも印象的でした。幼いころから祖父と囲碁に親しんでいましたが、その後、自分の対局の内容や反省をすべてノートに記録し、あるプロの棋士に送り、教えを乞うていたのです。勝っても満足せず、ノートで自分の戦い方を見直し、さらにその見直しについても、また見直す。気の遠くなるような研究心です。 お二人の共通点は何でしょうか。「どうしてこうするのか、このやりかたは本当にベストなのか」ということを常に考え、自分で出した答だけをもとに次へと進んでいる点ではないでしょうか。 それって、勇気がいることだとは思いませんか。素直に「はい」と言うほうが、印象が良いですし、目立ちませんし、間違いないような気もします。学校では毎日そうですね。しかし、神尾さんのレッスン風景はある種、異常です。チューリッヒに留学中ですが、先生のアドバイスに「はい」などのうなずきやほほえみはありません。かっと目を見開き楽譜を見つめ、怖いくらいに無表情で、全身で集中し先生の言葉をききます。そしてまた、弾き始めます。張りつめた空気を感じました。 ところで、どうして作文を書くのでしょうね。 お付き合いくださってありがとうございました。ではまた。 |