言葉の森新聞
2012年10月1週号 通算第1242号
https://www.mori7.com/mori/ |
森新聞 |
|
■【重要】作文がなかなか書けないとき、自習の仕方がわからないときは、すぐ事務局にお電話を |
言葉の森の教材は、単にドリルをやらせるようなものではありません。子供たちの実力を本当につけるためには、やりやすいドリル学習のような形ではできないからです。 しかし、そのために、勉強の仕方が軌道に乗るまで、親子で試行錯誤するような状態がしばらく続くと思います。 言葉の森の勉強法の長所は、毎週担当の先生から電話指導があることと、疑問点はいつでも教室に電話をして聞けることにあります。(ただし、担当の先生の自宅に直接お電話をして何かを聞くことをおやめください。日常生活の中に突然仕事に関する電話が入ると、講師の負担が大きくなるからです。) 生徒や保護者からの電話による質問は、平日9時から8時まで、土曜9時から12時まで、言葉の森事務局で受け付けています。 たまに、子供が作文をなかなか書けないので、親子で何時間もがんばったという話を聞きますが、そういう無理な勉強の仕方をすると長続きしません。 作文が上手になる子は、細く長く継続している子です。長い目で見て上達することが大事ですから、一回ごとの作文の中には、うまく書けない日や全く書けない日などがあってもいいのです。 家庭で子供の作文や自習の様子を見ていて、何か問題に感じられる場合は、ご遠慮なく事務局にお電話をしてお聞きください。 また、言葉の森を始めたばかりで自習の仕方がよくわからない場合も、事務局にお電話をして説明をお聞きください。10分程度で簡潔にわかりやすく説明します。 |
■10月1日(月)から新学期 |
10月1日から新学期が始まります。教材の説明は、課題フォルダの表紙の裏側に書いてあります。また、勉強の仕方の説明は、「学習の手引」に載っています。 http://www.mori7.com/mori/gate.php |
■7月-9月の賞状を同封 |
9月1週の進級試験で、字数が規定以上、構成・題材・表現・主題の4項目のうち3項目が◎で1項目が○以上、の人には認定証を同封しています。字数賞・作文賞・皆勤賞は、金賞10クラウン、銀賞5クラウン、銅賞1クラウン、賞外0クラウンです。認定証は10クラウンです。 金賞は点数の上位10%、銀賞は10-20%、銅賞は20-80%。それ以外は賞外です。それぞれの賞で点数がなかった人や、6月1週に在籍していなかった人には、賞状は入っていません。 なお、3ヶ月の学期の途中から入会された方は、日数の関係で賞状の点数が低くなっております。次の学期からは、正しく表示されるようになりますのでご了承ください。 |
|
■高学年の暗唱長文の番号が一部■に(新学期課題フォルダ) |
10月からの新しい課題フォルダで、高学年の生徒の暗唱長文の1番から9番までの番号が、番号のないただの黒い四角 になっていたものがありました。 申し訳ありませんが、横に番号を書き込んでお使いください。 |
■小1の暗唱長文を説明文に(新学期課題フォルダ) |
10月からの新しい課題フォルダで、小学1年生の暗唱長文をこれまでの事実文から説明文に変えました。 この長文の出所は、来年小2の10月に行う読解マラソン長文の一部です。 これまでの事実中心の文章の暗唱に比べると、説明的な文章の暗唱は急に難しくなります。事実文はストーリーがあるので、文のつながりが頭に入りやすいのですが、説明文は文のつながりをイメージとして把握しにくいためです。 しかし、この場合でも、回数を繰り返せば必ず暗唱できるようになりますから、暗唱がなかなかできなくなったら、音読する回数を再確認するようにしてください。 暗唱のコツは、最初はゆっくり正確に、間違えずに読めるようになったら早口の棒読みで、自由に動き回りながら、同じ調子で繰り返すということです。 子供に暗唱の仕方を説明しにくいときは、お母さんやお父さんが試しに1週間で300字の暗唱をして、暗唱のコツをつかむようにしてくださるといいと思います。 |
■小1、小2の教材で一部に暗唱用紙が入っていましたが(新学期課題フォルダ) |
10月からの新しい課題フォルダで、昨年まで使用していた暗唱用紙が入っていた人がいると思います。 この暗唱用紙は、今は使いませんので、そのまま教材からはずしておいてください。 紙を折って数えるのは、長文の回数を数えるときに便利ですが、特に暗唱用紙のようなものでなく、手近にある要らない紙を利用していかれれば結構です。 |
■あるがままを褒める―作文がなかな書けないときはすぐに電話を(facebook記事より) |
注意しない。直さない。あるがままを褒める。 これが、子供を伸ばす秘訣です。 今週行っている作文発表会(港南台教室)で、見学に来たお母さんたちは、自分の子供の発表をしっかり褒めてくれたようです。 注意したり直そうとしたりすれば、そういうところはいくらでもあるはずです。 しかし、そういうことは、誰でもできます。 難しいのは、今のあるがままを褒めるということで、特に自分の子の場合は、これは決心しなければなかなかできません。 しかし、この単に褒めることが子供たちの実力を伸ばしていきます。 植物になぞらえれば、褒めることは太陽の光のようなものです。 毎日の読書や音読や対話は、水やりのようなものです。 太陽の力と水の力で植物はしっかり成長して花を咲かせます。 直したり注意したりすることは、花が咲いたあとに、その花に注文をつけているようなものです。 先日、小学校3年生の子で、塾から帰ってくるのが8時過ぎなので、そのあとは何もできないから、作文の勉強は土曜か日曜に時間をかけてじっくりやっているというお母さんの話を聞きました。 そういうやり方をすると、大抵親子喧嘩になり、親も子もくたびれてしまいます。 夜遅くまでかかる塾などに行かせずに、家で楽しく読書と遊びと対話をしている方がいいのです。 そして、そういう毎日の太陽と水やりの積み重ねの上に、作文の勉強は平日の夕方に1時間か1時間半で済ませてしまえばいいのです。 毎日の積み重ねがあれば、作文はすぐに書けます。 毎日の積み重ねがない中で、作文だけをうまく書かせようとするから、無理に引っ張ってやらせるような形になるのです。 ほかの勉強であれば、無理にやらせれば一応できることはできます(長い目で見ると実力はつきませんが)。 しかし、作文はメンタルな勉強なので、無理にやらせようとすると、ますますできなくなります。 例えば、子供を叱って、「さあ、今日の『楽しかった思い出』という課題の作文を早く書きなさい!」というようなものです。 大事なことは、何か月かがんばってやることではなく、長く続けてやることです。 そのために大事なのが、直したり注意したりせずに、ただ褒めることと毎日の自習を続けることなのです。 ※ただし、言葉の森では、子供が作文をなかなか書き出せず、お母さんの手ではどうしていいかわからないときは、教室に電話をすればすぐにその子に追加の説明をするようになっています。 書けないときにすぐに電話をしてくれればいいのですが、ときどき、親子でさんざん喧嘩をして収拾がつかなくなって電話をかけてくる場合があります。そういうときは、まず子供を立ち直らせるのに一苦労(笑)。 そして、たまには、お母さんやお父さんに、「今日はもう書かなくていことにして(考えただけで勉強になっているので)、親子で仲直りをしておいしいものでも食べに行ってください」というアドバイスになることもあります。 |
■港南台教室で作文発表会(facebook記事より) |
■8月の森リン大賞より(中2の部) |
ジャングル脱出の知恵袋 にゃぱ ジャングルなど遠い南アメリカのアマゾンでもないと見られない、なんてことはない。僕らの住む住宅街や都会のビル群なども、立体構造のジャングルのようなものではないだろうか。また、ジャングルは遭難や生物の襲撃がつきものだが、その点についても住宅街や都会と似ている。しかし、ある程度安全な場所もある。自分の住む地域。最凶の方向音痴や引きこもりでもなければ、まず迷子になることはあるまい。「住めば都」なのである。自分で通った道は知識として頭の中に残る。これでもう二度と迷うことはないだろう。 このように、体験を通して得た知識を生活に生かすのは大切だ。調べておしまい、話を聞いておしまい、と言うのは頭に知識としてあまり入ってこない。それよりも、自分で答えを探ったり、調べて自分なりにまとめたり、似た問題をたくさん解いて、身に付けるほうが抜群に覚えやすい。そして、自力で答えを導くと言うことは、これまでの知識が備わっている証拠でもある。勉強をする上ではこのような体験は必然と起こるはずだ。僕は親から中国語を教えてもらっているが、あまり頭に入ってこない。やる気がなかなか湧いてこないからだ。しかし、数学などの問題は、自分で試行錯誤しながら解くので、どんどん頭に入ってくる。更に、類似問題によってその確実性、応用力が増やすのだ。このように、持っている知識を駆使して、自力で解くことは、自分が成長するために大切なことなのである。 とは言え、他人の知識を利用する力も必要だと思う。知らない都会や住宅街と言ったジャングルから脱出するには、地図の利用や人尋ねのような、他人からの情報提供が必要になる。しかし、そこで知識を活用できないと、脱出不可能、ゲームオーバー。……そんなことにはならないが、少なくとも迷子になってしまう。だから、自力で解決する精神も大切だが、いざと言うとき知識を正しく利用することも併せて持ち合わせる必要がある。ところで、思っている以上に僕らの身近から知識を記載しているものは多い。看板や地図、広告や新聞、教科書などなどたくさんある。みんなも、知らず知らずのうちに利用している情報源が身近にあるのではないだろうか。他人の経験や情報は、ジャングル脱出するために、速くて正確な判断を下すことに繋がるのである。 確かに、自分が得ている知識で方法を作るのも、他人の知識を活用するのも、同じように大切なことだ。しかし、最も大切なことは、「温故知新」と言う諺もあるように、自分の考えた方法も一つの知識として、他人の知識と合わせて生かしていくことだと僕は思う。そして、それこそが、ジャングル脱出のための重要な攻略法ではないだろうか。 |
■8月の森リン大賞より(高校生社会人の部) |
笑顔が等しく溢れるように きとみ 平等な世界は、誰もが持つ平和像である。平等を叫び始めてしから、長い長い時を経て、現代はどこまで平等を達成できただろう。これで満足だ、という世界になったのだろうか。すべての人が平等に幸せを持っているだろうか。わたしは、現状に満足せず、本当の平等を求め、実現していくべきだと思う。 その一つ目の方法は、まず個人的な思いこみや習慣的な差別をなくしていくことである。平等は、法律で定めればいいということではない。紙に書いた掟の実が解決できることではないと思うからだ。法律は、平等をバックアップするひとつの手立てだ。本当に大切なのは、個人個人の思い込みや習慣的差別を減らしていくことである。インドにはかつてカースト制という過酷な階級差別があった。それは運命によって決められ、子供へと続き、自分ではどうすることもできない人生であった。その後インドでは法律上カースト制が取り払われ、平等の波が起きたが、一方でまだ心の奥に残った差別意識は払拭されなかったようだ。相変わらずバラモンの子は崇拝され続け、シュードラの人々は買い物にも行けない。形だけの平等に満足した不平等な社会が出来上がっていったのだ。だから、大切なのは人々の心、したがって価値観や思い込みを直していくことである。もちろん、すぐにできることではない。自分をとりまく環境も関係するし、長い時間もかかるだろう。しかしこれこそが平等の本質を支える、中枢であると思うのだ。だから私は、人々の心の中にある、見えない差別的意識を取り除くことが大切だと思う。 第二の方法に、身近な教育の場で正しい平等を教えることである。教育は人の原点だ。何も知らないヒトを、豊かで、個性ある「人間」へと育てていく。そんな教育は、私たちを大きく変化させるのだ。仙台市は、福祉が発達し、障害のある人々にやさしいまちとしてモデルシティになっている。小さいころから同じ場で教育され、同じように遊び、同じように楽しく生活してきたわたしたちには、今でも障害者差別がある、ということが信じられない。まだ地域による差別が絶えないのが、考えられない。けれどそれがなくならないのが現実。だからわたしは、日本の平等を教育の場から教え、育み、実践していくべきだと思うのだ。今からでもおそくはない。未来に「平等」のタネをまくのは、今からでもできる、わたしたちの使命なのだ。 たしかに、差別や避難はなかなか消えにくいのが事実だ。長い間に形成された思いや習慣はそう簡単に変えられるものではない。けれど、今からできることだってもちろんあるのだ。少しでもいい、少しでも思い込みや心の差別がなくなったらいいと思う。そして、未来はきっと平等に笑える時代を目指して、私も自分の心を見つめなおし、真の平等を考えていきたいと思う。 |