言葉の森新聞 編集用
印刷設定:A4縦用紙 :ブラウザの文字のサイズ:最小 ブラウザのページ設定:ヘッダーなし フッターなし 左余白25 右余白8 上下余白8
  教えない教育によって自ら学ぶ力がつく、算数と作文の勉強法
  動物のいる生活
  自主性と強制と放任
  国語力と国語の成績の関係
  最もよい社会が来ることを前提として準備する
  寺子屋オンエアで暗唱と問題集読書を
  塾の時代のあとの独学の時代のあとに来るもの(1)受験勉強の方法
 
言葉の森新聞 2014年6月2週号 通算第1325号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
教えない教育によって自ら学ぶ力がつく、算数と作文の勉強法
 例えば、子供が算数の問題をやっているとき、わからない問題があると、親や先生にすぐ聞くことがあります。
 「わからない」「教えて」という言葉を聞くと、誰でも教えてあげたくなります。そこで、ほとんどの親や大多数の先生は、その子がよくわかるようにと教えてしまいます。
 しかし、そこで満足できるのは、教えた親や先生の方であって、子供ではありません。人間は、受け身でいるときには本当の喜びは感じないのです。
 では、どうしたらよいのでしょうか。ここで、いろいろな工夫が出てきます。
 すぐに「わからない」という子には、「もう一度考えてごらん」で済むこともあります。
 自分なりに考えてわからなかったという子には、その問題を解法のどこからどこに行くところがわからなかったのかを説明させます。すると、問題の焦点がはっきりしてきます。
 多くの場合は、その子の持っている問題集や参考書のどのあたりに似た例があるかを見て、そこを読み直すように指示することで、子供は自分なりに問題を解決します。
 こういう勉強の仕方をしていると、子供は自分で考えて勉強するようになります。この勉強の仕方は、算数以外のどの教科の勉強にも生きてきます。
 自分で進める勉強をさせる上で大事なことは、第一に、問題の採点を子供自身にさせることです。第二に、勉強が終わった時点で、その日にやった問題と答えの説明を、子供から親や先生に説明させることです。
 先生の役割は、教えることではなく、子供が理解したことを聞いてあげることです。
 作文も同様です。しかし、作文の場合は、解法がありません。だから、昨文を書き始めてから、子供が、「わからない」と言うときには、先生は教える以外にないのです。
 作文における自学自習は、わからなくなってから考えさせることではなく、事前の予習をさせることです。事前に長文を読んでおき、家族に取材しておけば、ほとんどの課題は自分で考えて書いていくことができます。
 作文の勉強をしていて上達の早い子は、そういう勉強の仕方をしている子です。上達の遅い子は、事前の予習や準備がなく、その場で一生懸命考えて書こうとする子です。
 従来の教える教育では、先生の教え方が重要でした。だから、優れた先生が一人いればよかったのです。
 しかし、教えない教育では、主人公は先生ではなく生徒自身です。それぞれの生徒のそれぞれの理解の仕方を聞いてあげることが、先生の役割になります。だから、生徒の数だけ先生が必要になります。
 そういう先生の役割を果たせるのは、家庭における親なのです。
動物のいる生活
 私(森川林)が子供のころ、物心ついたときには既に、家に犬とチャボとアヒルがいました。横浜の普通の都会の話です。
 父が動物好きで、いつも何かしらの生き物を飼って、家の中や周囲に放し飼いにしていました。だから、私自身も、そういう生活が普通のものだと感じていました。
 昔は、街なかに野良犬などもよくいたので、小学生のころは、友達と近所の野原で野良の子犬を飼っていたこともあります。
 中学生になると、急にジュウシマツを飼いたくなり、つがいを買ってもらい、次々に雛を育て手乗りにしました。
 動物が近くにいると、何かほっとする気持ちになります。
 後年、「ソロモンの指輪」という本で、正確な文は定かではありませんが、「動物との生活を知らない人には、人生の幸福の半分は隠されている」という一節を読み、妙に納得するところがありました。(その分、ほかの幸福を増やせばいいのだとも言えますが。)
 
 そこで、自分の子供が生まれたころ、何よりも犬を飼うことを最優先にしました。子供が保育園のころ、秦野市のブリーダーから1ヶ月半のゴールデンレトリバーを買ってきて、家の中で飼うことにしました。
 その後、子供が、近所の公園から野良猫を拾ってきたり、夏祭りですくってきた金魚を飼ったり、カニを飼ったり、カタツムリを飼ったり、やがて野良猫が子供を産んだりと、にぎやかな家になりました。
 下の子は、ぜんそく気味でしたが、動物が増えて家の中が汚れてくるにつれて免疫ができたせいか、ぜんそくも自然に治ってしまいました。
 子供たちは、もともとみんな動物が好きです。しかし、いろいろな理由で犬や猫を飼えないという家庭も多いと思います。
 子供の情操教育というか、自然の人間らしい感情を育てるためには、動物と一緒に暮らす生活は大いに役立つと思います。
 この4月に、近所のペットショップから、オカメインコと文鳥の1ヶ月の雛を買ってきました。
 動物と共感する感情にも、臨界期というものがあるようで、幼児期から小学校低学年の時期に動物と一緒にいる時間があると、心から動物好きの子になるような気がします。
自主性と強制と放任
 小動物を飼っていると、自主性に任せることの大切さをよく感じます。
 手っ取り早く言うことを聞かせるには、禁止や命令や強制が役に立つように見えますが、強制を続けていると、強制でしかコントロールできなくなります。
 これは人間でも同じです。
 しかし、自主性に任せるというのは、放任ではありません。自主性と放任の違いは、自覚の有無です。
 自主性を育てるには、子供の成長のかなり早い時期から取り組む必要があります。
 まず、自主的に行うことの大切さを、言葉で自覚させるようにします。
 次に、実際に自主性に任せるようにします。最初は、自主的にやりやすいところから始めることが大事です。ハードルの高いことを最初から要求してしまうのはよくありません。
 そして最後に、自主的にできたことを褒めてあげます。
 たまに、短く厳しく叱ることはあるかもしれませんが、年中小言を言うような叱り方はしません。
 勉強も、やることとやる時間を決めて、本人が自主的にやれるようにします。
 そして、自主的にやることの大切さを、言葉で折に触れて自覚させるようにします。自覚をさせるという働きかけがなければ、ただの放任になってしまうからです。
 自主性に任せていると、なかなかやり出さないことがあります。それでも気長に待っていることが大切です。
 しかし、最後までやらなかったとしたら、それはきちんと叱らなければなりません。
 そして、なかなかやり出せなかったということは、多くの場合ハードルが高かったことが原因ですから、分量を減らすなど、自主的にやりやすい仕組みに変えておくことです。
 勉強は、中学生の後半以降になって本人が本気になれば、親が止めてもやるようになるものです。
 そのためにも、小学校時代は、勉強をさせることではなく、自主的にさせることを重点にしておく必要があるのです。
国語力と国語の成績の関係
 小学3年生ぐらいで、国語の成績が悪いというのは、算数やほかの教科の成績が悪いというのとは、性格が違います。
 算数は、主に学校の勉強時間の範囲で学ぶものですが、国語はそれまでの8、9年間の家庭生活の中で育ってきたものだからです。
 国語力は、国語の勉強によってではなく、国語的な生活の中で身についてくるのです。
 国語的な生活とは、何よりも、本を読む生活と、親子で話をする生活です。
 読書について言えば、毎日1時間本を読む子と、毎日30分を読む子との差は、その30分が何年間も続いた差です。だから、これは多少の勉強の量では逆転しないのです。
 言葉の森では、国語力をつける勉強として、(1)音読(又は音読と暗唱)(2)読書(3)対話、をすすめています。しかし、これは誰でもできる最低限の勉強です。もちろん、最低限の勉強であっても毎日続けていれば、国語力はついてきます。
 しかし、ここでついた国語力は、国語の成績とは多少異なります。
 現在の受験勉強を目標にした国語の場合、国語の成績は、実際の国語力よりも、国語の問題を解く技術の方が大きな差になっています。
 だから、国語力があってもあまり国語の成績のよくない生徒や、逆に国語力がそれほどないのに国語の成績がよい生徒がいるのです。
 国語の成績を上げるためには、言葉の森の毎月第4週目の読解問題で全問正解の百点を目標とすることです。
 ここで、理詰めに百点を取る練習をしていれば、国語の成績は必ず上がります。この読解問題で、60点や70点を取っているのであれば、それは問題の解き方がよくわかっていないということです。
 国語の成績を上げるために家庭でできることは、全国的な模擬試験などの信頼性のあるテストを、親子で全問を理詰めに解いてみることです。
 一度でも、この理詰めに解くというやり方を身につけると、それからは国語の成績が上がります。また、不正解だったときも、なぜ正解でなかったのかを考えることができるようになります。
 ところが、実は、中学3年生や高校3年生の受験期になってもまだ、こういう理詰めに解くというやり方を身につけていない生徒がほとんどなのです。
 しかし、それでも、わずか1、2回のアドバイスで、次のテストからはすぐに成績が上がります。
 その意味で、国語の成績を上げるのは実は簡単です。しかし、成績が上がるのはその生徒のもともとの国語力の範囲までです。
 だから、大事なことは、何よりもまず、音読と読書と対話によって、毎日の生活の中で国語力を育てる勉強を気長に続けていくことです。
 更に、音読、読書、対話以外に余力があり、やる気のある人は、小学校高学年以上になってから問題集読書に取り組むといいでしょう。
 しかし、問題集読書は、音読や読書や対話と同じように張り合いのない勉強なので、勉強に対する自覚のない小中学生のうちは、なかなか続けられない人も多いようです。
 そこで、言葉の森では、今、寺子屋オンエアなどで問題集読書をチェックできる仕組みをつくることを考えています。
最もよい社会が来ることを前提として準備する
 「希望を前提として生きる」のfacebookページのコメントとして、「明日が雨で明後日が晴れなら、明日の雨の対策を考えるより、明後日の晴れの計画を考えた方がいい」と書きました。これが、これからの世の中の動きに対する対処の仕方です。
 明日の雨は激しいかもしれませんが、じきにやみ、そのあと明後日からは長期間にわたって明るい晴れ間が続きます。やがてやむ大雨のために対策を立てるのではなく、そのあとずっと続く晴れ間に向けての計画を立てる方が、ずっと実りのある準備になります。
 子供の教育についても、同じことが言えます。
 これから経済的にも、政治的にも、自然環境の上でも、厳しい雨の時代がやってくるかもしれません。しかし、そこで、安全確実なポジションを早めに確保して閉じこもろうとするのではなく、今のうちに、そのあと来る明るい未来の社会に向けての準備をすることが大切です。
 安全や安心には、一応目配りはしますが、それを第一に考えるのではありません。第一に考えるのは、挑戦と創造の人生をどう送るのかということです。
 これから、考えられる最もよい社会が来ることを前提として、その社会の中で生きる準備をしておく必要があるのです。
寺子屋オンエアで暗唱と問題集読書を
 これから、寺子屋オンエアで、小4以下は暗唱の勉強、小5以上は問題集読書の勉強をしていきたいと思っています。
 なぜかというと、暗唱と問題集読書は家庭で続けにくい面があるからです。
 ドリルを解くような形の残る勉強は、実力はつきませんが、形が残るので続けやすい面があります。
 それに対して、音読、暗唱、読書、問題集読書などは、続ければ必ず力がつくのですが、形が残らないので張り合いがないせいか、なかなか家庭で続けることができないのです。
 言葉の森の暗唱の方法は、手順のとおり毎日10分ほど時間をかければ、だれでも900字の文章を丸ごとすらすら暗唱できるようになります。
 しかし、家庭の場合、親が自分自身子供のころに暗唱をしたという経験がないので、暗唱の勉強をつい覚える勉強と勘違いしてしまうのです。
 覚えたかどうかは、暗唱をしていたことの結果であって、暗唱の目的ではありません。
 親が覚えたかどうかを基準にして見ていると、子供の方も、繰り返して暗唱するよりも、覚えたかどうかを基準として勉強するようになります。
 その結果、先生の前では、すらすらではなくつっかえながら暗唱するような場合も出てきます。すると、先生が助け舟を出してやっと暗唱できるというようなこともあるのです。
 このように、覚えたかどうかを基準とすると、暗唱の勉強は、やがて毎日ではなく週に数回となり、ますます覚えようとする癖がついてきます。
 同じようなことは、問題集読書についても言えます。
 問題集読書は、読む力をつけるための最も手軽で効果のある勉強法ですが、ただぼうっと読んでいるだけの子もいます。そういう子は、読んだところに傍線を引かず、きれいに読んでいます。
 文章に傍線を引かずにきれいに読む読み方では、繰り返し読むようなところまではなかなか行きません。
 問題集読書も、もし音読でやれば繰り返し読めるようになりますが、それでは今のほとんどの子には負担が大きすぎます。
 やはり、印象に残ったとこに傍線を引いて読むというのが、深く読むためには(つまり繰り返し読むためには)最もよい方法なのです。
 問題集読書については、読んだあとに感想を四行詩で書き読みを深めるという形をとることができます
。しかし、すると、今度は、形の残る書くことだけに力を入れ、読む方がおろそかになる子が出てきます。
 読んだ勉強の結果として書く勉強があるのですが、とりあえず形の残る書く勉強だけして、読む勉強は後回しにするという勉強になってしまう子も多いのです。
 ところが、家庭では、暗唱にしても、問題集読書にしても、保護者自身にそういう勉強をした経験がないので、子供に的確なアドバイスができません。
 そこで、寺子屋オンエアの取り組みの中で、小4以下は暗唱、小5以上は問題集読書の自習ができるようにしたいと考えています。
 やり方は、こんなふうです。
 まず、生徒が自分の勉強できそうな時間帯にアクセスします。
 そして、先生に、暗唱するページや、問題集読書をするページを報告します。
 寺子屋オンエアをつなげたまま、自分なりに暗唱や問題集読書を行い、できた時点で先生にチエックしてもらいます。
 毎日10分か15分の自習ですが、このようなやり方でやれば、続けやすくなると思っています。
塾の時代のあとの独学の時代のあとに来るもの(1)受験勉強の方法
 受験の合格を目指す人にとっては、ほぼ常識になっていることがあります。しかし、ほとんどの人がそれを実践していないようです。
 第一は、学校や塾や予備校に頼るのではなく、自分で立てた計画を優先させて勉強していくことです。
 第二は、志望校の過去問は、受験勉強のスタート時に行うものであって、まとめの時期に行うものではないことです。(塾によっては、過去問を最後の合格判定に使っているところもありますが。)
 第三に、勉強の目標は、志望校の過去問をもとにした総合点を上げることです。だから、一般に苦手なものに力を入れた方が能率が上がります。
 第四に、受験勉強を本格的に始めるまえに、勉強法の本や、志望校に合格した人の体験記を読み、大きな作戦を立てることです。
 第五に、何冊もの参考書や問題集を8、9割仕上げるのではなく、1冊を4、5回繰り返して百パーセント仕上げることです。
 第六に、そのためには、最初から1ページずつ着実に進めるのではなく、最初にざっと全体を終わらせ、そのあと全体を何度も反復することです。
 第七は、受験勉強は、早めにスタートしてコツコツやるよりも、最後の1年間や半年で集中してやった方が効率がよいということです。
 これらの方法に共通しているのは、受験勉強は、実力を向上させるための勉強ではなく、勝負に勝つための勉強だということです。その勝負に勝つための勉強を通して、勝負に勝つための実力がついてくるのです。
 以上の方法を実行できるかどうかが、合格の決め手になります。
 現在の受験勉強は、学力の差よりも、方法の差の方が大きくなっているのです。
 しかし、それだけに、受験勉強というものは、もはや末期症状に入っている感じがします。
 
ホーム 言葉の森新聞