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新しいものを生み出す生き物の寿命 950字
生きているものには、すべて寿命があります。しかし、生物の体を作っている細胞のレベルで考えると、実は寿命がないのです。
例えば、アメーバは、自分の体を分裂させながら増えていきます。栄養がいいと、自分の体の一部を分裂させて、自分を増やしていきます。
このアメーバのような増え方をしている生物は、たまたま一つの個体が死んでも自分の分身は生きていますから、死んだことにはなりません。
実は人間にも、同じようなことが言えます。人間はアメーバのように分裂して増えるわけではありませんが、自分の細胞の一部を子供に伝えて生きています。だから、子供は、お父さんやお母さんに似ているのです。
このように細胞は無限に生き続けていきますが、人間の個体には寿命があります。どうして、このような寿命があるのかはわかりませんが、この理由は次のように考えることができるかもしれません。
例えば、もし何百年間も壊れない自動車があったらどうでしょう。古くなって、いろいろ改良したいところが出てきても、いつまでもその古い車に乗り続けなければなりません。物は壊れるから、また新しいものを作ることができるのです。
プラスチックは、人間が人工的に作ったものです。そのプラスチックの特徴は、腐りにくいことでしたが、その腐りにくさのためにいつまでも自然の中に残り環境を汚染するようになりました。壊れないものばかりで世の中ができていると、新しいものが登場できなくなるのです。
生物も似ています。寿命があるから、新しい生物が生まれ、その新しい生物が古い生物のできなかったことをできるようにしていくのです。
アメーバと同じような生き物にゾウリムシがいます。このゾウリムシは、栄養状態のよいときに自分を分裂させて増えていきます。しかし、七百回ぐらい分裂を繰り返すと、それ以上の分裂はできなくなり、突然すべてのゾウリムシが死んでしまいます。そうならないように、ゾウリムシはときどき別のゾウリムシと結婚して、今までの自分とは違う新しい子孫を作ります。と言ってももちろん、ゾウリムシがゲタムシやサンダルムシになるのではありません。ゾウリムシのまま新しい性質を手に入れるのです。
寿命があるということは、新しいものを生み出す条件だと言えるのかもしれません。
用不要説では説明できない進化の仕組み 960字
十八世紀に、ゾウの化石を研究した学者が、生物の中には既に絶滅したものがあるということを発見しました。ラマルクは、この考えを発展させて、生物の種が変化するという説を述べました。例えば、キリンは、高いところに生えている葉を食べるために、首を長く伸ばしているうちに、今のようなキリンになったと言うのです。また、ダチョウは、地面を走ることが好きで毎日走っているうちに、使わなくなった羽が退化したと言うのです。この考え方を用不用説と言います。つまり、よく使うところは発達し、あまり使わないところは退化するという説です。これは、一見わかりやすい考えのように見えます。
しかし、この説には重大な弱点がありました。確かに一頭のキリンの一生に関して言えば、高いところの葉を食べようとしているうちに、だんだんと首が長くなるということは言えるかもしれません。しかし、その首の長さがそのまま子供に受け継がれるかどうかということはわかりません。
みなさんのお父さんやお母さんが子供のときにしっかり勉強してくれたおかげで、あなたは生まれつき何でも知っていたということになれば、これほどいいことはありません。しかし、実際には、あなたはあなたでまた最初からお父さんやお母さんがしたのと同じ勉強をしなければなりません。こういうことを見ると、親の獲得した能力がそのまま子供に受け継がれるということはないようです。
ラマルクの説を批判する学者は、次のような実験をしました。まず、ネズミのしっぽを短く切ってしまいます。ネズミにはかわいそうですが、しっぽだけなので命には別状がなかったというところが少しほっとするところです。このしっぽを切ったネズミから生まれたネズミのしっぽも、また短く切ってしまいます。このようにして、何代もしっぽを短く切ったにもかかわらず、生まれる子供はいつもしっぽの長いネズミでした。
しかし、この実験は、ラマルクの説を批判するにはあまり確かなものとは言えませんでした。なぜなら、ネズミは自分から進んでしっぽを短くしようとしたのではなく、無理矢理しっぽを短くさせられたからです。この実験のために何匹ものネズミのしっぽを切った学者は今ごろ、「しっぽの実験はしっぽい(失敗)だったなあ」と思っているかもしれません。
ダーウィンの進化論がもたらしたもの 990字
ダーウィンは、ガラパゴス諸島での観察をもとに、自然淘汰という考えを作り上げました。つまり、それぞれの環境に適したものが生き残り、適さないものが淘汰されることによって、だんだんと種>が進化していくという考え方です。
当時の人々は、生物の種は神様が作ったもので最初から完全な形であり、進化することなどはありえないと考えていたので、ダーウィンは多くの人から批判されました。更に、ダーウィンが、進化論を人間にあてはめて、「人間もサルから進化した」と述べると、批判は更に大きく広がりました。人間が神様から作られたものだという考えと、サルから進化したものだという考えでは、天と地ほどの差があったからです。
しかし、ダーウィンの考え方は科学的で、だれもが納得せざるをえない根拠を持っていたので、次第に多くの人が認めるようになりました。こうして、進化論はダーウィンの手によって科学となったのです。
ところが、この進化論にも弱点がありました。それは第一に、環境に適したものが生き残るという考え方で説明するには、生物の種類があまりにも多いということです。もし、ライオンが地球の環境に最も適していたとすれば、ほかの動物は全部ライオンとの生存競争に負けて、地球上にはライオンしかいなくなってしまってもおかしくありません。地球の環境に最も適しているものがラッコだったらもっと大変です。右を向いてもラッコ、左を向いてもラッコで、どこを見てもラッコラッコラッコラッコラーッと、いつの間にか怒られているようです。
進化論の第二の弱点は、自然淘汰だけで進化を説明しようとすると、鳥のくちばしの変化ぐらいまでは説明できても、アメーバが魚になり、魚が爬虫類になり、爬虫類が哺乳類になるというような大きな変化は説明しにくいということです。
進化論の第三の弱点は、進化論そのものよりも、その進化論を利用した社会の問題でした。進化論は、欧米諸国がアジアやアフリカを植民地にするときに、その裏づけとなる考えとして利用されました。つまり、白人は最も優れていて、有色人種はそれよりも劣り、その有色人種よりも更に劣っているのがサルだという考え方が、白人の支配を正当化したのです。
このような弱点はあったものの、ほぼ一人で進化の全体像を考え出したダーウィンは、人間のものの見方を大きく前進させたのでした。