送信の仕方 |
森リンの送信フォームのページでユーザー名とパスワードを入れます。ユーザー名は、40人で申し込まれている場合、1~40の半角数字の連番です。このほかに、管理者が試験的に送信できるように、管理者用のユーザー名として1000を入れてあります。パスワードは初期状態では設定されていません。 課題の「年・月・週」には、自動的に送信日の年月週が入っています。1人のユーザーについて、1つの年月週の文章が保存されます。同じユーザー名で同じ年月週の文章を送信した場合、最後に送信したものが上書きで保存されます。 「本文」のフォームの中でマウスを右クリックして、パソコンで書いた文章を貼り付けます。このときに、題名と名前の前に3マス以上のスペースが空いていない場合は、半角又は全角で直接3マス以上のスペースを入れてください。 そのあと、送信ボタンを1回だけ押します。 |
サンプルの文章(高3)
自らの外側から来る行動への制限を、徐々に自らの内側の行動への規範へと変えていくのが、しつけのあるべき姿である。しかし現代の日本では、外側からの制限への信頼の欠如ゆえに、それが内側の規範へと変化していきにくい。結果、外側からの制限がなければ、社会的な規範に反した行動でもしてしまう人が生まれている。現代の世界は、戦争へ向けて動き出しており、また、軍需産業を持つ国家が経済的に低迷する可能性がある以上、未来においても、戦争へ向けて動くことがありうるだろう。その時に、大国の顔色を見て態度を決め、自らの内に従うべき規範をもたなかったならば、日本は世界情勢の悪化の片棒をかついでしまうことにもなりかねない。 そうならないために、多くの人に自ら従うべき規範を内在化する必要がある。具体的にはどうすればいいか。第一に、子供のころから倫理的な書物を読むことが挙げられる。必ずしも宗教的な書物でなくてもよい。たとえば物語や、あるいは偉人の逸話や伝記などである。読書によって、心の中に倫理的な理想像と、それへの憧れをつくる。憧れは強力で健全な原動力である。残念なことに、身の回りの大人すべてが倫理的な人間で、行為の手本にできるわけではない。多くの大人は、ルールを破ってもいい雰囲気の中では、ルールを破っている。子供はそんな大人を見て育つ。結果、内面的な規範を持たない人間が増える。現実の人が手本にできないのならば、過去の人を手本にするしかない。私は小さいころ「八郎」という絵本を読んだ。村の外れ者だった八郎という大男が、村を津波が襲ったときに、津波を押し返しながら海の底へ沈んでいく、という筋である。数ある類話のうちの一つで原形とは離れたものであるようだが、この話を読んだときに私は自己犠牲の美徳、献身の姿を強く心に焼きつけた。あらゆる社会的なルールは、言ってみれば、他人のために自分が我慢をすることである。私は自分が倫理的な人間だ、などと言えるほど自信があるわけではないが、倫理的なことを正しく望ましいことだと感じられる人間であることには、この幼少期の体験が由来していると思われる。 もう一つの対策としては、一見では変な話だが、労働時間の短縮、あるいは自宅勤務制の充実がある。つまり、親と子が一緒にいる時間をできるだけ長く延ばすのである。現代は大多数の人が働く時代である。女性の職場進出ということが叫ばれるようになって久しく、残業の修羅場もまだまだあちこちの会社で見られる。しかし、親が働いている時間、子供たちはどうしているのか。子供をしつけられるのはその親だけである。親と子の接触が少なくなっていけば、それに比例して子の親への信頼は少なくなる。親も子を信頼できなくなる。我が子にどれくらいまでお説教をしてもいいものか、わからなくなる。人の子を見ているような気になる。結果、内面に規範ができるほどの深い接触を交わすこともなく、「怖いおじさんがいるから、静かにしようね」といった外的規範しかよるものがなくなるのである。親の収入は家計を支えるが、互いの信頼のために必要なのは、もっとわかりやすい触れ合いという支えである。太宰治が「もの思う葦」の中で言っている。「子供から冷い母だと言われているその母を見ると、たいていそれはいいお母さんだ。子供の頃に苦労して、それがその人のために悪い結果になったという例は聞かない」。こんな関係を築ければ良い。良いのだが、今はこれがなかなか難しい。 確かに、外側に合わせるというのは長らく日本の平和を支えてきた。冊封や開国や、鹿鳴館でのダンスに民主主義の導入、これらのうち何かが欠ければ、日本は列国占領下の植民地になっていた可能性は決して低くない。しかしこれらの背景には常に「それをした方が日本はよくなるだろう」という判断があった。足利義満は貿易の利益のために明へ服属し、井上馨は不平等条約を改正するために慣れないダンスを踊った。外的な規範へ従うことは、多く内的な規範に発するものであった。しかるに今日、日本は軍事的には弱小国家であるが、経済的にも国際的にも、充分に大国である。いつまでも服属者のつもりで辺りの顔色を覗うばかりでは、いけない。ルールを守るのは、ルールの正しさへの盲信のためでなく、ルールを正しいと信ずる、自らのルールのためである。外側に従う時に自らの内にあった道徳を、忘れてはいけないのである。 |
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●円の大きさと山の大きさ 円の大きさは、強力語彙、重量語彙、素材語彙のバランスを見るためのものです。円が同じ大きさに近いものほどバランスのよい文章です。 山の大きさは、強力語彙、重量語彙、素材語彙の大きさを見るためのものです。山が大きいほど総合点の高い文章です。 |
サンプルの文章の場合、赤い文字の部分と太い文字の部分がかなりあります。作者に語彙力があるということを示しています。例えば、「この話を読んだときに私は自己犠牲の美徳、献身の姿を強く心に焼きつけた」という部分です。同じことを、語彙力の少ない人が書けば、「この話を読んだときに私はすごくいいなあと思った」で済ませてしまうかもしれません。
黒い文字の部分は、素材語彙にも重量語彙にも集計されていない部分です。この黒い部分の中には、強力語彙として集計されるものもあります。素材語彙・重量語彙・強力語彙のいずれにも集計されない部分は、平凡語彙と呼ばれます。この平凡語彙の部分を省略したり素材語彙に置き換えていったりすることによって、点数を上げることができます。 サンプルの文章の場合、「言ってみれば」「一見では変な話だが」「まだまだ」などは省くか、別の言葉で短く言い換えてもよい部分です。また、「子供の頃に苦労して、それがその人のために悪い結果になったという例は聞かない」は圧縮して、素材語彙の密度をもっと高くすることができます。例えば、「子供の頃の苦労が悪い結果になった例は聞かない」という文に直しても、前後関係から意味が読み取れます。また、「こんな関係を築ければ良い。良いのだが、今はこれがなかなか難しい」も、密度を高くして、「こんな関係を築くことが今は難しい」などとすることができます。 同じ言葉を使わないようにするというのも点数を高める方法です。しかし、「ルールを守るのは、ルールの正しさへの盲信のためでなく、ルールを正しいと信ずる、自らのルールのためである」は、切れ味のいい表現になっているので、ここに出てくる「ルール」という言葉を「規則」「規範」「約束」などに言い換えると、かえって、素材語彙の分布が不自然になる可能性があります。文章の自然な分布は、語彙の頻度と順位がほぼ反比例する関係にあるので、ある程度の繰り返しは保持した上で、できるだけ多様な表現を使うようにすることが必要です。 |
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