| I KNOW, I KNOW, Don't you know? |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| ペー吉 | / | うき | 中3 |
| 世界の言語を見ると、そのそれぞれが実に個性的にその地域の文化を表わし |
| ている。その中で、我々が使っている日本語は、抽象的で表現が多岐にわたる |
| 言語である。その柔軟な表現力は長所とも言えるが、これから諸外国と付き合 |
| っていく中では、逆に分かりづらい言語という短所にもなりかねない。言語に |
| 大切なのは構文力ではなく、相手国の文化やコミュニケーションの取り方をよ |
| く理解することなのだ。理解すること。それが、国際的な対話の道につながっ |
| ていくだろう。 |
| そのために大切なことは、言語だけを学ぼうとするのでなく、相手国の文化 |
| を理解しようとする姿勢だろう。言語表現だけでなく、その国の歴史などをあ |
| らかじめ学んでおくのだ。日本語の文章の作り方でそのまま多言語を話してし |
| まって、うまく伝わらないということもある。例えば、私の学校ではネイティ |
| ブ・スピーカーとの授業が月に一回程度ある。授業のたびに、いつも彼女は黒 |
| 板の前に立ち、明るい笑顔と陽気な声で「Hello, everyone! How are |
| you?」と言う。教室からぼそぼそと二、三人の「Hello. I’m |
| fine.」が漏れる。全然fineそうに見えないと彼女も感じるのか、困った顔でも |
| う一度やり直しを頼む。それが何回か続いたあと、不満足そうに授業へ入る。 |
| これは、日本との文化の違いだろう。彼女の学校では恐らく、どんな教師も教 |
| 室に入れば「Hello!」と言い、それに生徒は「Hello!」と答えるのだろう。し |
| かし、日本の学校では生徒と教師の間で対話があることは極めて少ない。教師 |
| は黒板をチョークでひっかきながら説明をし、生徒は神妙な顔でノートを鉛筆 |
| でひっかく。教師の質問には必要最低限の言葉で答える。そういった環境は、 |
| 確かに他国から見れば異常に見えたろう。しかし、彼女が間違っているとは言 |
| い切れない。彼女が彼女の国の流儀で明るく「Hello!」と言ったのなら、私た |
| ちはそれを理解して明るく「Hello!」と返すべきなのだ。そうすれば彼女も気 |
| 持ちよく授業に入れる。人間関係で大切なのは、不快な思いをさせないという |
| ことだ。それを忘れずに、他国にこちらからあわせるというのも大切なのだ。 |
| また、他国と理解りあうためのもう一つの方法は、自国の文化を理解するこ |
| とである。奇妙に思う人がいるかもしれないが、日本語の特徴を知っていなけ |
| れば、他国語に訳することなどできはしないのだ。例えば、アーティストであ |
| るB’zは、その歌詞をまず全て英語で書き、その後に日本語にするという。こ |
| れだけ見ると、できあがった歌詞は英文訳特有のカタい文章になってしまって |
| いるように思われるが、実際は「Real Thing |
| Shakes」「太陽のKOMACHI-ANGEL」などの日本文と英文の両方がある曲を見れ |
| ばわかるように、かなり自然な日本語の表現になっている。これはB’zが日本 |
| 語と英語の両方をよく理解し、上手くまとめあげていることを示している。 |
| 確かに、日本語にはそれ特有の美しさがあり、それを使った文学作品は、時 |
| に「これは日本語でなければできない」という感銘を与える。しかし、それを |
| 保持することはかまわないが、それによってこれからの他国とのコミュニケー |
| ションが大切になってくる社会に乗り遅れてはいけないと思う。「Hey, |
| Heyワカラナイ anymore 君のコト……BAD COMMUNICATION」、B’zの「BAD |
| COMMUNICATION」の中の恐らく最も有名な部分だ。わからない、理解できない |
| というところからBAD |
| COMMUNICATIONは始まる。私たちは他の文化を理解し、その上で言語活動を行 |
| #ちと昔風に書いたらなんか疲れてしまった(^^; |
| #歳かのぅ(おい) |