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ひわいな文ですみませんでした
ウグイス の広場
惇平 あはえ 中2
 イスラエルでは、全員一致の裁決は採用しない。答がはじめから分かってい
る事を、わざわざ問いただして全員一致を確認するケースは『ない』とは言わ
ないが、あまり意味を持たない。わざわざ裁決を必要とするような案件ならば
、一人や二人、異論を挟むものがいる方が自然だ。またテレビの時局討論会で
は「イエスかノーで答えて下さい」といっているのに、長々と意見を述べる論者
が多い。論者の本心を推測すれば、イエスかノーは出ているので、答えようと
すれば答えられる。ただイエスの中にも55対45でから来る場合がある。単に「
イエス」と答えれば、全て100対0のイエスのような印象を残す事になる。その誤
解を解こうとするあまり簡単に答える事が出来ない。この世にある全ての困難
な判断は、55対45と、45対55との間にある。100対0はおろか、70対30くらいの
状況だって、判断は明々白々、悩むほどの事ではない。55から45に至る僅少の
差異を・・・・・・わずかな迷いをどう考えるか、この世の悩みは、そこにある。
 
 私は日々の生活の中で迷った上で判断したという経験が数多くある。ある日
学校で私のグループがHな話しをしていた。その友たちはすぐ側で女子が耳を
揃えて聞いているのを知らないせいか、その音量は少しでか過ぎではないかと
思えた。。そして私に「お前はどうすんだよ」と問いが来た。『俺に振るんじゃ
ねぇ』それが本音だ。その話しを聞いていたので、自分の意見を言う事が出来
たのだが、私にもメンツがある。女子に「こいつはエロい奴だと思われたくな
い」というのと、友に「ノリの悪い奴だと思われたくない」という思いが頭の中
をよぎった。そして最終的に出した答えが「いいんじゃない」というものだ。
 
 確かにその方が自分の印象は保たれる。しかしそれでは印象が弱いのではな
いかとも思える。例えば自分の印象が崩れるとしても、「ここはこうするんだ
よ」(←詳しい事を教える事は出来ません)といえば、「こいつはエロいんだ」
と認識される。こいつはこういう奴だと分かればその事に関する話題も増え、
(←詳しい事を教える事は出来ません)仲間も増える。だから私はプライド関
係無しに自分の意見を言ってくれる人の方が好きだ。その方が付き合いやすい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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