首飾りというものは |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
ユウアイ | / | ねも | 高2 |
貴金属としては全く無価値であっても、特定の人 |
間が特定の人間とのかかわりのなかでかけがえのないものとして主観的に絶対 |
の価値をあたえるもの――そういう種類の首飾りもある。この種類の首飾りは |
決して財宝でもなく、富の象徴でもない。 |
人は誰でも良い物を持った人がすごいというふうになってしまうがそれが問 |
題だ。例えばブランド品や他いろいろあるがその人にあった物を身につけるの |
は良いが全然その人にあってないものを身につけているとセンスがないのかも |
しれない。ブランド品はいろいろあるが最近は誰もがみにつけているような気 |
がする。シャネル、グッチ他いろいろあるが私からすると全然似合ってないよ |
うな気がする。なぜならば、おばさんが持っているような物を学生が持ってい |
たりすると価値観が落ちてしまう。そのような物を身につけるのがその人たち |
の今のファッションだから仕方がない。私はピアスとかつけてチャラチャラす |
るのが嫌いだからつけないがつけている人を変な目で見るようなことはしない |
。よく外見で判断されることが多いといわれるがそれは社会にでればそうなる |
んだから、学生のうちに好きなカッコをすることも必要だ。 |
高級な服と、そうでない服があったとして高級な服はただ高級だけで、そう |
でない服は思い出がつまっていたとしたら私は思い出がつまった服を選ぶが、 |
なぜならば高級の服はを着るのもいいがそれは不幸にもなる。逆にそうでない |
服は思い出がつまっていることもあって人間の幸せとも言える。現代的の考え |
でいうと良い高校、良い大学での人がすごいといわれていたがそれが変わりつ |
つある。それは手に職といったような自分はこれはできますといったような人 |
が必要とされていくような時代になっている。物もそれと同じでその人の考え |
一つで価値がある、ない。といったように変わる。日本人は特にそうだが誰か |
があれが良いよというとそれにつられてほとんどの人が良いよねといってしま |
う。その辺からまだ物の価値観もわかっていないしだから日本人は海外旅行に |
いったりすると高いブランド品を買わされてしまってそれは、偽物だったとい |
うような事をよく聞く。 |
確かに、良い物を身につけていると気持ちが良いかもしれないが、その人に |
合った物を身につけるのが一番だと思う。今は、おばさんがブランド品を身に |
つけているのを見かけることはほとんどない。学生がブランド品を身につけて |
歩いているのをよく見かける。山高きが故に貴からずというように物も高い物 |
が良いとは言えない。もっと自分でその物は価値があるかどうかを見抜いてい |
かなければならない。 |
物神崇拝の対象をなにも持っていない人は不幸なのである。 |