火を囲む |
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太公望 | / | うの | 高1 |
イロリの社交は、家族結合の社交であった。ひとつの火を通じて心がかよい |
あう。そういう不思議な力を火はもっていた。火は人間を近づけるのである。 |
火は、家庭の健在を示す象徴なのでもあった。火が人間を接近させ、親密さを |
強める効果をもっていることを我々は直感的に知っている。火の管理は単に物 |
理現象としての火を管理するというだけでなく、その火をめぐる人間集団の管 |
理をも含むものであった。 |
中学一年の時、長野の野辺山へ野外活動をしにいった。三泊四日の日程だっ |
た。三日目にキャンプファイヤーを行なった。火を取り囲んでいろいろな事を |
やった。歌を歌ったり、芸をしたりと。私にとってキャンプファイヤーは初め |
てだった。みんなで火を取り囲むとなんだか一つ一つの心が一緒になっていく |
ような感じがした。火を取り囲むことによってみんなが一つになるということ |
は、何故だか不思議な感じがする。一体火は、みんなにどういうものを感じさ |
せるのであろうか。家族の団欒においても形は違ってもコタツや暖炉といった |
ものである。いわゆる暖かさを感じるものである。火があることによって、家 |
族の結合、共同体意識みたいなものが出てくるのではないだろうか。戦前では |
多くの家庭で囲炉裏を囲む姿が見られたはずである。昔は家族一丸となって、 |
というような感じである。 |
しかし、今個を重視する時代になってきている。個人の権利を尊重するとい |
うことである。戦後GHQが占領して新日本国憲法が制定されて個人を大切に |
するようになってきた。それはそれでいいことなのだが、それが家庭内におい |
てもそれが重視されるようになってきていることだ。社会の教科書にも今の家 |
族は会話がなくホテル家族であるということであった。つまり、家は寝るため |
にある様なものである。確かに個人を重視するということはいいことなのだが |
共同体意識がなくなるのも良くないことである。 |
個人を重視することも大事だが家族意識も大事にするべきである。現代では |
、火をみんなで取り囲むことが少なくなってきているが、火以外でもみんなの |
心が一緒になることが出来るものがあるはずである。人間は、一人だけでは生 |
きていけない。人間は、常に誰かに支えられているはずである。だから、個人 |
というものにこだわらずもっとみんなで頑張って生きていくことが大切である |
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