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5ZIGENのFIREBALL(意味不明)
アジサイ の広場
AE86 えや 高1
 イロリの社交は、家族結合の社交であった。一家団欒という言葉は言うまで
もなく家族が同じ火を囲んでいることを指した。一つの火を通じて心が通い合
う。そういう不思議な力を火は持っていた。火というものが人間を接近させ、
親密さを強める効果を持っていることを我々は直観的に知っているのだ。人間
は暖房、照明、調理といった実用的なものを超えて、人間関係調整の手段とし
ても展開させてきたのであった。火の管理は単に物理現象としての火を管理す
るというだけでなく、その火をめぐる人間集団の管理を含むものであった。
 
 「『火』ねぇ、人間の親密さを強める? あっ、そうか...」ということ
で、まず最初に思い付くのはキャンプファイヤである。一年生の時の体験以来
全くやっていないが、キャンプファイヤというものは要約に書いてあった通り
人間の親密さを強めてくれたのだ。現に、キャンプファイヤで話しをしたのを
キッカケに友達になった人もいる。そして、これからも付き合っていくつもり
だ(高校が違う)。火は良いものだ。私は暖房よりコタツ。電子制御より手動
が好き。といった遅れた人物なので、火は大好きである。自然の暖かみがある
のだ。しかし、なぜ火というものが人との関係を良い方向に持って行ってくれ
るのだろうか? 私には分からない。
 
 人間というものは自然と合理的になるように出来ているのだ。なぜなら、「
欲」があるからだ。「コイツと付き合えば、自分にとって良いことがある」な
どといった、本性を見る前に欲が出てしまうのだ。それを「火」というものは
消し去ってくれるのだ。「火」というものは微妙な明るさの調節が難しい明る
くするにも、たくさんの物を燃やさなくてはならない。しかし、蛍光燈などの
電気は微妙な明るさの調整が簡単であり、明るくすることも容易であるため「
欲」が出るのだ。「もっと少しの電力で明るく出来ないかな?」や「この明る
さのままもっと消費電力が少なくならないかな?」などのたくさんの「欲」が
出てしまうのだ。そのお陰で、今のクルマのライトの交換電球は「よりHID
ランプに近い」や「55Wの消費電力で100W相当の明るさを実現」という
フレーズを良く雑誌で目にする。
 
 とにかく、「火」というものは人間の心にある溝にかける橋のようなものな
のだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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