クラシックから |
ウグイス | の | 道 | の広場 |
○○○○ | / | うい | 高1 |
今ではクラシック音楽はおしゃれなファッションにさえなることができる。 |
クラシック音楽の真髄とは、長い一曲を、全身耳となって聴きとおす時に、旋 |
律やりズムや音響といった現象的な決楽にとどまらぬ、それを超えた「作品」 |
という包括的でドラマティックを意味連関が体験できることにある。コマーシ |
ャルの十五秒のクラシック音楽は、作品の一部には違 |
いないが、その向こうに作品全体を暗示することのないコマーシャルのクラシ |
ック音楽が効果を上げたのは、今日では一曲を有機的統一体として把握する構 |
造的な聴き方のできない人、あるいは秘かな異和を抱いている人がしだいに増 |
えており、十五秒ぽっきりという異端の聴き方がその人たちの心の隙間をつい |
た、という一面があったのではないだろうか。 |
現代人は確かにクラシックを聞かなくなった。聞くとしてもどこかの店にな |
がれているのを聞いたり、人の手によって都合よく要約されたもの、つまりコ |
マーシャルなどだけである。私はクラシックと呼ばれるもののほとんどが、そ |
れ全体が一つのストーリーになっていると思う。だから、その音楽の一部分を |
聞くことは、本を見当無く開けて、読み始めることと同じだと思う。だから、 |
現代人は、しっかりクラシックを聞くべきだ。 |
クラシックには確かに堅苦しいイメージがある。そのイメージの多くが、演 |
奏中は誰も物音をたてない。ということだろう。しかし、これは間違いである |
。正確には物をたてる暇が無いということだろう。なぜなら、聞いている人間 |
全てが作り手が伝えようとしている人生観、世界観を必死に感じようとしてい |
るからだ。クラシックを通してそのような事に想いをはせているのだ。 |
昔に比べて現代人は豊かさを手に入れ、忙しくなった。このため、コマーシ |
ャルではない人生観、世界観を感じられるクラッシクを聞かなくなった。しか |
しクラシックを聞くことから、クラシック音楽が表現していたようなじっくり |
と傾聴する文化を見直すべきだ。 |