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ココロって大切。
イチゴ の広場
幸子 あさも 中3
 人々が時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれる。
テレビに時刻が表示されるようになってから、さらに人は時間に追われるよう
になった。しかし、時間への関心は、時間にとらわれないことや時間に追いか
けられないことではなくて、時間の能率的、効率的な使い方に向かっているよ
うな気がする。もうちょっと、現代の日本人には、もうちょっと時間にとらわ
れないで生活することが必要だ。
 
 なんか、この世の中全てが時計なしには過ごせないというくらいせかせかし
ている。朝何時に起きて、何時までに家を出て、何時までの電車に乗って、何
時までにどこそこへついて、何時までにそこを出て、何時までに家に帰る・・
・。毎日がそれの繰り返しである。時間に追われないために、計画的に余裕を
持って暮らせはどうだろうか。でも、時計なしでは遅刻してしまったり、それ
どころか、いつ出たらいいのかも分からない。
 
 そのためには、休日くらいは時間に気にしないで本能のままゆっくり暮らし
てみることだ。目覚ましなどを使わないで、目が覚めたら、朝ご飯を食べて、
ふらっと家を出て、野原とか小川とかにいて、ラヴリーなわんことたわむれた
い。でも実際そんなことをしようとすると、母親には時間の無駄といわれ、そ
んな時間があったら英語でもやれと言われる。「時間の無駄」でも、生きてい
る実感がして、人間的に豊かになれるではないか(?)。
 
 とんち(っていうかへ理屈)で有名な一休さんは、竹の子が床下に生えてき
た時、床に穴を空けて竹の子をはやしてあげたという。たとえ竹の子を食べる
ことになったとしても、床の弁償代の方がどう考えても高くつく。そんな私み
たいな利害のみで判断する奴ぁ駄目駄目である。利害関係抜きで生活に余裕を
持って生きていきたい。
 
 確かに時間を能率的、効率的に使うことはむちゃくちゃ大切だ。うちのおか
んなんて、これがすべてとか思っている。でも、時間を効率的、能率的に使っ
て出来ることは、せいぜい英単語をいくつかおぼえるとか、そういう事だ。確
かにうちのおかんに言わせるとそういうのが一番大切なんだが、私は、勉強が
出来るだの、なんだのより、人間的に豊かな人間になりたいと思う。(勉強の
出来ない人間のいいわけか?)「自分の心のうちに持っていないものは何一つ
自分の財産ではない」というように、いくら勉強が出来ようと!腕力があろう
と!それは言ってしまえばたいして大切なものでもなく!大切なのは、ココロ
である。心。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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