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生きる実感
イチゴ の広場
惇平 あはえ 中3
 人々が時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれる。
その時から考えれば、時は自分の上を流れるものであって、時間によって自ら
の行動を律しようとは思わなかったであろう。しかしいつでも誰もが時計を所
持するようになると、ついつい時計をのぞく機会が増え時間を気にするように
なる。また時間への関心は、時間の効率的な使い方に向かっている。能率的、
効率的でない時間の使い方のできるチャンスをいかにして確保するかが多くの
日本人を過大であろう。
 
 自分の生活は常に時間によって支配されている。どこかに出かけるときには
時計を見、遊んでいるときにも時計を見、寝るときにも時計を見る。つまり何
か行動をする時にはほとんどといっていいほど何かしら時間を気にしている。
確かに時間を無視して行動するならば学校に遅れ、約束に遅れ、一言で言えば
「社会的に使えない人」となってしまう。だから私たちは常に時間に注意を払
い、その時に一番効率的でで能率的な行動をしなければならないのである。
 
 しかしすべてそのように行動するなら、生きている実感を忘れてしまうので
はないかと思う。何もかも予定されていて、そのとうりにいかなければ悔しい
思いをして生きているのはなんだか気味が悪い。何か楽しい時間を過ごしてい
るなら、時間を忘れているのが当然ではないだろうか。
 
 生きていくうえで時間を気にするのは重要だと思う。だけど時間に余裕のあ
るときくらいは自分のしたい事をして、文字どうり『時間を忘れる』ような事
をしなければ、息がつまってしまうのではないかと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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