自由な生き方の時間 |
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人々が時間に追われるようになったのは時計が発明されてからと言われてい |
る。考えてみれば太古の昔から、人々は、太陽や星の運行にともなって時が過 |
ぎていくことを実感していた。しかし、いつでも誰もが時計を所持するように |
なると、ついつい時計をのぞく機会が増え時間を気にするようになる。「時の |
たつのも忘れて」ということが、しだいに少なくなるのはなにかと寂しいこと |
だ。 |
私は時々時間にさえも縛られないで、自由に生きていきたいと思う。でも、 |
自由に生きると言うのは大変なことだ。例えば、世間は何をしても自由と言う |
わけではないので、当然悪いことをすれば警察に捕まる。と、まあ大袈裟な例 |
えではあるが何をしてもいいと言う自由な生き方はできないかもしれない。自 |
由とはどういう事だろうか。人によっていろいろあるが、誰に何を言われよう |
と自分勝手に好き勝手にやるのが自由ではない。まして、それを自由な生き方 |
だと考えるのは間違っている。 |
残念なことに、時間への関心は、時間にとらわれないことや時間に追いかけ |
られないことではなくて、時間の能率的、効率的な使い方に向かっているよう |
な気がする。 |
自由に生きるということは、時間を能率良く使い、自分の時間ももてるとい |
うことだ。自由に生きるの自由とは、心であると私は思う。時間に追われるこ |
となくしかも、自分の時間まで持てて、心で自由に感じられる時間があるのが |
、自由に生きることだと思う。 |