時間を見る目 |
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拓馬 | / | ねき | 中3 |
人々が時間に追われるようになったのは、時計が発明されてからと言われる |
。このことを、多くの人々は苦痛に感じている。感じていながらも、なかなか |
そこから離れることができない。我々の時間への関心は、どうしても能率的で |
あったり、効率的である時間の使い方に向いてしまう。そういったものでない |
時間をどれだけ確保するかが、多くの日本人の課題となるだろう。 |
その方法として、「休む時間」をとることが必要だろう。日本人は、どうし |
ても余った時間を仕事だ勉強だと費やすことを理想とする傾向がある。その中 |
で、「休む時間」をとろうとは思わない。ただ、「疲れたからちょっと休もう |
。でも、5分たったらまた始めよう」と考えてしまう。休む時でさえ、時間を |
気にしてしまう。休むこと=怠惰と考えてしまうからである。でも、それは違 |
う。私が家で筋トレをする時も、1日ないし2日毎にやる。毎日やっていたら |
、筋肉は壊れる一方だからである。人間全体を見ても、同じことが言える。 |
また、時間を考えないことも必要である。我々は「次はこれ」「次はあれ」 |
と、予定通りにことを運ぼうとする。そのせいで、一つに集中することが出来 |
ず、全てが中途半端なまま終わってしまう。でも、本当は、自分のしたいこと |
をするのが人間だから、何かに長い時間無我夢中になることが必然で、前途し |
た「時間を忘れる」こともまた、必然なのである。むかしむかしあるところに |
いたエジソンだって、時間を忘れて一途に研究していたからこそ、気の遠くな |
る数の失敗の中から、多大なるを生み出せたのだ。 |
確かに、時間を守れないのは困る。人との時間の約束を守れないものなど、 |
信頼を受けるにあたいしない。きめられた時間というのは、大切なものである |
。でも、1日を24時間どころか、1440分と考えて、それを区切って区切って詰 |
め込んで詰め込んで生活したくない。私は、時間は守っても、決して時間に縛 |
られずに生きていきたい。そして、今こうしているように時計を見ながらこと |
を運ぶのではなく、夢中になって何事にも取り組める大きな器をこしらえたい |
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