いい父 |
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金剛くん | / | あゆわ | 中2 |
父が父でなくなっている。「立派な」父が必要なのに「立派」が流行らなく |
なってきたり、それが育ちにくい現代社会になった。「ありのまま」がよいと |
され「立派」なのは無理している、不自然であるとみなされている。子供に自 |
主性を重んじ決して強制はしない。子供たちがわがままに育ってしまう父親は |
子供に文化や社会規範をを伝えるのが大切な役目である。それには価値観を押 |
し付け、権威を持っていないといけない。 |
僕は「話の分かる父」はいい父だと思う。誰でもそうであるが怒られて気分 |
のいい人はいない。これは怒っている人にもいえることであろう。「話しの分 |
かる父」は「自由な意志」を持つ子供を育てることが出来る。(もちろん「自 |
由」ばかりで「良い意志」をなくしてはいけないが)親にあーだこーだ言われ |
ないのですべて自分の意志で動ける。これは日本に少なくなってきた「自分の |
意見」をしっかり言える人を育てることが出来るだろう。これはとても大切な |
ことだと思う。 |
又「こわい父」はやはり僕たち子供から見るとあんまり望ましい存在ではな |
い。しかし「恐さ」にも二通りある。本当に憎んでいて恐いのと子供のためを |
思って厳しくしているのの違いだ。前者は良い父と言う点で論外なのでここで |
は取り上げない。子供のためを思って厳しくしている父は本当は甘やかしたい |
のを我慢しているのだと思う。僕のこれは先生だが似たような人がいる。話を |
している時に下を向いていただけで怒る(僕の友達で三連発で怒られた人がい |
る。(笑))しかしこれは僕たちの将来を考えてそうしているのだと僕は思う |
。確かに最初は嫌でたまらなかったが少し慣れてきて今では「ちょっと厳しい |
がいい先生」だなと思っている。 |
このように「話の分かる父」、「こわい父」両方に良いところ悪いところが |
ある。「他人から尊重されるためには、まず自分で自分を尊重できなければな |
らない。」と言う名言似合うようにある時は恐くある時は優しく出来るように |
ならなければならない。何か父親に命令しているみたいになってしまったがこ |
れは自分がそう在りたいと言う目標にしたいと思う。 |