国の文化「日本語」 |
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日本語は、いままで日本民族によってしか使われたことのない内輪の言語、 |
つまり部族言語だ。我々の母語である日本語は、今徐々に外の視点を加味して |
整理される芽生えが出てきている。日本語が今国際普及するに従って、外の人 |
の影響力が国内の日本語にも及んでくる。日本語は、外国人によって学ばれ、 |
使われた経験がないために、植木屋を十年も入れなかった庭みたいでめちゃく |
ちゃに枝がのびているという状態だ。多くの西洋の言語は、ヴェルサイユ宮殿 |
の庭の木のように整然と刈りこまれ、人工的な手入れがされているのである。 |
つまり、日本語の表現方法はたくさんあり、とても複雑なのである。そのため |
、外国の人に日本語を教える時にはそれが障害になるのである。だから、日本 |
はこれからどうやって日本語を刈りこんでいったら、いいのかを考えなければ |
いけない。 |
僕は、国の言葉などは文化だと思うので、むやみに変えるのはやめたほうが |
いいと思う。外国人が日本語を学びにくい理由は、敬語だ。敬語は、日本の大 |
人でさえもわからなくなってしまうものだ。僕は、この間担任の先生から、「 |
崩御」(ほうぎょ)という言葉を聞いた。天皇陛下などがなくなった時に使わ |
れる言葉だそうだ。普通の人がなくなった時に、崩御という言葉はなかなか聞 |
かない。これを外国人が言うのは難しそうだ。その他にも、外国人が話す時に |
難しそうなのは、自分の場合は食べるでも、相手が食べる場合には召し上がる |
。この辺の区別もつかなそうだ。敬語ではないが、外国の言葉は最後まで聞か |
なくても、大体分かるものが多い。しかし日本語の場合には、最後によって言 |
葉の意味が変わるのだ。 |
「アイ(わたしは)ライク(好き)バスケットボール(バスケットボール) |
」 |
これは、日本語で言うと、私はバスケットボールが好きです、と言う意味だ |
。「好き」という言葉が先に出てきているので、すきか嫌いかがすぐ分かる。 |
ところが日本語の場合だと、好きですと言う言葉が最後に出てきているため、 |
最後を聞かないとバスケットボールがどうしたのかわからない。日本語には、 |
こういった点があるのだ。 |
もう一つの例は、文字である。。アルファベットは、二十六文字。日本語は |
、ひらがなは五十音。濁点などを含めると、もっとある。(カタカナも)漢字 |
は、4・5・6年で五百八十文字くらいは習う。一年で八十文字・・・・・・。 |
とにかく、数え切れないほどある。日本人の大人だって、小学校の時に習った |
漢字をすべて言えと言われても困るくらいに、日本語は漢字が多い。(中国は |
もっとあるけど・・・)日本の大人にもわからないことを、外国人に覚えろと |
言ってもわからないのは当然だ。そのため、日本語のような部族言語を、国の |
文化として、大切にしていかなければいけないと僕は思う。 |
言葉というものは国の文化を表していて、まるで芸術のようである。外国人 |
は、日本語を学ぶのは難しい。しかし、無理に日本語を変えようとすると、「 |
角を矯めて牛を殺す」になり兼ねない。日本独特の部族言語が、国際普及を行 |
ったことで消えていってしまうかもしれない。人間にとって、日本語と言うの |
は国の文化であり、いつまでも大切にしていきたいものだった。 |