人間とロボット |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
由樹子 | / | あるさ | 高2 |
今日では、コンピューター、携帯電話にとどまらずロボットの開発までもが |
発達してきて科学者たちが人間と同じような動き、またそれだけではなく人間 |
とコミュニケーションをとろうと研究をしている。しかし、本来元々構造が違 |
う双方が一緒に共存していこうというのは私にはどうも理解しがたい。このよ |
うなあまりに科学技術が発達しすぎて、ロボットと生活せざる負えなくなった |
社会に私は問題があると思う。 |
その原因としてはまず、ロボットと会話ができるというのが信じられないか |
らだ。私は先日、学校の授業で次のような文章を読んだ。 |
「コンピューターが人間と会話するということは、その話す単語一つ一つを |
人間と同じように見て、手で触れその感じを学び、臭いをかいでそれを知らな |
ければならないのである。」 |
私もこれを読むまでコンピューターやロボットと会話ができたらすごいだろ |
うなぁなんて考えていた一人なのでこの文章にすごく影響を受けた。この筆者 |
の言うように果たして、手の感触も臭いも分からないロボットに私たちが経験 |
してきたことが分かるのだろうか?少なくとも私たちは自分が体験したことを |
もとに会話することが多くある。自分が経験したことのないことをロボットが |
話せるわけはないだろう。 |
また、今の社会はあまりにも便利すぎる。確かに、今では名簿などの書類も |
コンピューターが管理してくれるし、工場などでも人間の替わりに作業をして |
くれて人件費は節約できるし、今コンピューターがなくなったらこの世界大変 |
なことになってしまう。しかし、こんな世の中で生活をしていたら本来人間が |
知らなくてはいけない苦労や悲しみも感じられなくなってしまい、ましてや心 |
のないロボットなどと話をしたら、無常な人間になってしまう。 |
そうはいっても、こんなに機械がまわりにある生活をしている私たちにとっ |
て機械とうまくつきあっていくことはとても大切なことだと思う。昔以上に私 |
たちは機械を身近に感じているし、仲間意識すら感じてしまうことがある。し |
かし、うまくつきあわなければいけないこそ、人間と機械を混同してはいけな |
いと私は思うのだ。機械を活用できることは多いに活用してもいい。しかし、 |
その度を超せば、我々人間はいずれ機械に征服され生き物にしか持つことがで |
きない心を忘れてしまうのだ。「機械というのは我々を助けるものであって人 |
間と同等のものではない。」と私は言いたい。 |