ノンフィクションの書き手は |
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陽一 | / | あわつ | 中2 |
ノンフィクションの書き手は、在らしめるものを移そうとし、フィクション |
の書き手は、在らしめるために創ろうとする。フィクションの書き手の、創る |
ことの自信と、あえて言えばおごりが、驚くほど率直に表明されている。確か |
に創るということを認めるなら話しは簡単だ。自分の身の丈あった「真実」に |
も接近できる。しかし想像力による事実の改変や細部の補強という方法は、記 |
録というものには限界があるのではないかという答えのはなり得ない。ノンフ |
ィクションだが、それは創らぬという約束の上に成りったているジャンルの文 |
章なのだ。そえをスポーツにおけるルールと考えるなら、サッカーが手を使わ |
ないことによってラグビーと異なる緊張感を生み出すようにノンフィクション |
も恣意的に想像力を行使しないということで『在らしめる』という闘いを免除 |
され、『在る』という事によって支えられている力を付与されているようだ。 |
フィクションとは、作り話の事を言いますが、それも大事な事と言えるだろ |
う。なぜならば、たとえばとても具合の悪い人が病院で横になっていたとしよ |
う。その患者さんが、医者に,「自分の体調はどうなのか」とたずねたとき医 |
者はなんと答えたらよいのだろうか。本当は、患者さんの体調が悪いとしても |
、やはり医者は、「大丈夫だよ」というべきだろう。そんな時、フィクション |
は役に立つだろう。 |
ノンフィクションは、本当の事を言うことだが、僕はこっちの方がいいと思 |
った。ノンフィクションを使う例というと、まず新聞などがある。新聞にうそ |
を書くなら、新聞を見る人みんなにうそを教えてしまうことになってしまうか |
らだ。だから新聞とかわ間違いが全然ない。もしも、新聞がフィクションだっ |
たら、見る人全員が、新聞を作っている会社の思っていることばかりを信じて |
しまうことになってしまう。だからフィクションはヤダ。 |
しかし、いくらフィクションがいやだとしても必ず使ってしまうものである |
。出も、その使い方によって、いい使い方や、悪い使い方が出来てしまう。だ |
から僕は、これから話し方によく注意したいなと思った。 |