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次の社会像は
アジサイ の広場
あやの あしわ 高3
 デカルトやニュートンが大成した近代科学の思想をマキアベッリやホッブス
は社会科学にも応用した。彼らは国家や社会を機械と見なし、政治は国家を形
成する個人の安全さえ最低限保証されれば体制などは問題ではないとした。そ
の合理的理論に基づいて近代国家は発展した。だが今その合理的価値観を用い
ることが限界に差し掛かっている。私たちは社会の基本的理念を転換せざるを
得ない状況にある。
 
 日本は今まで自国の需要を満たすために世界中の森林を伐採し続けてきた。
材木などの資源を手に入れることができたことで日本国民の要求は叶ったもの
の、森林を切り取られた国々では、洪水が発生し人々の生活は更に貧困化し、
世界的な環境の破綻の一因とまでなった。私たちは合理主義的な社会科学の思
想で自らの行動を正当化し、他者の状況や利害等を考慮することを忘れていた
。自分本位の行動に走りすぎたのではないか。
 
 今後、私たち一人一人が全体を構成する一つの個として存在することを自覚
して、そのことを念頭に置いて行動するべきである。個と個とが常に触れ合い
、関係の輪を持つことで社会が構成されているのだ。
 
 だが現状では未だ個人主義的価値観を評価する声の方が優勢であるように聞
こえる。私は決して個人主義の思想を否定しているわけではない。ただあまり
にも個人主義を自己中心主義と取り違えて理解している人が多いように思う。
このような社会はただ単にバラバラで、結集力が無いだけで、個人が全く社会
を構成する要素とはなり得ない状況を生んでいるように思う。
 
 このような合理主義の行き過ぎた社会を私たちは一体性を持って取り戻そう
としている。「一体性」という言葉の響きは、戦前の「富国強兵、殖産興業」
の時代に逆戻りするように聞こえる人もいるかもしれないが、ここでは、その
ような意味は全く無い「新しい一体性」をIT社会の在り方と共生させて提示し
たい。コンピューターネットワークの可能性を活かし、様々な市民レベルで交
流を計ったり、意見を共有し合ったりすることを通じて、人々が世界と自己に
対する一体性の認識を増し、自らが世界を構成する一員であることが実感出来
るのではないか。
 
 私たちはこれからの「新しい一体性」の社会の在り方を情報通信の技術や、
これまでの経験、知識を用いて具体的に考えねばならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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