先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
ノンフィクションの書き手は
イチゴ の広場
優里 あまこ 中2
 ノンフィクションの書き手は、在るものを映そうとし、フィクションの書き
手は、あらしめるために作ろうとする。サッカーが手を使わないことによって
ラグビーと異なる緊張感を生み出すように、ノンフィクションにも恣意的に想
像力を行使しないということで「在る」ということによって支えられている力
を付与されているのだ。
 
 ノンフィクションとは正確に、つまり真実をありのままに書くことだが、そ
の真実を自分で作ってしまったノンフィクションの書き手もいる。数年前の新
聞で、「沖縄の珊瑚礁がダイバーによって荒らされている」という記事があっ
た。しかし、記事を書いた記者はその記事を書くために、珊瑚礁を傷つけてし
まったらしい。真実に近づく、見てすぐにわかるようにといった考え方でも、
これはうその報道といえるのではないか。
 
 反対にフィクションとは架空の、つまり書き手が創作した一つの世界みたい
な気がする。
 
 「うそも方便」といったことわざがある。これは相手に対しての優しさなら
うそをついてもかまわないという意味だ。しかしさっきの新聞記事は、自分で
珊瑚礁を傷つけてしまったにもかまわず、珊瑚礁を守ろうといった内容がかか
れている。そんなことにうそも方便という言葉は使えないだろう。よく友達な
どに平気でうそをつく子がいるが、最後にはつじつまが合わなくなって、大変
困るということになる。私は、その時自業自得だなと思う。
 
 在るものを映そうとするノンフィクションと在らしめるために創ろうとする
フィクションの役割とはどんな風なのか。ノンフィクションは、主に新聞や雑
誌に使われている。フィクションは、小説やドラマに使われる。どちらが大切
というわけではないが、どちらともないと困る。私はどちらかといえばフィク
ションのが好きだが、ノンフィクションも嫌いではない。世の中がフィクショ
ンだけの世界になったら、どれが本当の話か、どこまでが真実かよくわからな
い。しかし、世の中がノンフィクションだけになってしまうと、なにもおもし
ろみのない世の中になってしまうのではないか。確かに正確な情報を知るため
にノンフィクションは大切かもしれない。しかし書き手が創作した架空の世界
も、夢があっておもしろいのではないか。私はどちらが大切ということに執着
せずに、ノンフィクションだからできること、反対にフィクションだからでき
ることを見つけてどちらとも役立てていけるといいなと思う。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ