コンピュータにかぎらず・・・ |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
舞 | / | あおき | 高2 |
(コンピューターに限らず、複雑なハイテク機器を自由に使いこなすというこ |
とは容易なことではない。しかし、“使えないのは本人が不器用だからだ”な |
どと諦めてはいけない。それは素人こそが“王様”であり、使いにくいのは機 |
械が悪いからだ。) |
本来どこでも話すことが出来るように持ち運び可能に作られた携帯電話は、 |
今ではより高度になりインターネットにさえ繋ぐことが出来る。何処でも電話 |
を出来る上に、何処でも情報を得ることが出来るのだから、便利極まりないこ |
とだ。しかし、より高度で複雑なものになるのに比例して、その説明を記す枚 |
数が厚くなる。それは当たり前のことであるかもしれないが、今ではその説明 |
書の目次を見ただけでは自分が探したいところすら分からないこともある。又 |
コンピューターも普及し、割りと何処でも使われるようになったが、実際に我 |
々がコンッピューターを使う時、作者の言うようにコンピューターに対して迎 |
合しているふしがある。また、難しそうだから…といって、触ろうともしない |
人もいる。つまり、折角備えてある機能を誰もが使うことができず、例え楽し |
むための機能であったとしても、人によっては苦痛に感じることさえある。 |
その原因は、実は“使う側”にあるのだ。 |
例えば、ある人が靴を買うとする。とても可愛い靴を見つけたが、それは自 |
分の足のサイズよりも小さいものだった…。そんな時、人はどうするであろう |
か?それを買うのをやめるであろうか。いや、“少しくらいなら大丈夫”と思 |
って買うであろうか。しかし、もし買ってはいたとしても、それは最終的には |
外反母趾などの外傷をきたすかもしれない。又、好きになった人が“痩せてい |
る人が好き”と言ったら痩せ、“頭がいいひとが好き”といったら、必死で勉 |
強するであろうか。例えそれを実行したとしても、そんな相手とは長くは続く |
まい。 |
大げさな例ではあるが、それと同様に、コンピューターにいくら迎合してい |
ても機械の操作は簡単にはならないし、少しも世の中はよくならない。むしろ |
、機械が有頂天になって、更に難しくなる一方だ。だからこそ我々は分からな |
い点や難しい点を製作者側に訴え、誰もが使う人間のための機械を要求するべ |
きだ。 |