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考える
アジサイ の広場
金剛くん あゆわ 中2
 ハバチについての研究の時はじめ二十五度、次に十六度と温度を一定にして
育てたが、すべて失敗し三度目の実験の時ふと「飼育温度は一定でなく、高温
・低音と振れなくてはいけないのではないか。」とハバチが住んでいるアルプ
スの自然の条件から思いつき、昼二十五度、夜五度の条件で飼育をしたら見事
すくすく育った。しかし問題は学会での発表である。ここではふと思い付いた
発想には一言も触れず、データに基づいた論理的推理を展開する形を取ること
によって、この研究も私学的な体面を保つことになった。
 
 教科書はすべて結果だけしか載っていないが、まずはその内側にある人々が
どのようにしてそれを見つけたかというのは無視して、基礎的なことを地道に
こつこつやることも大切であると思う。教科書は僕らにとって必要だからある
のであっていつか自分で研究をし、自分で新しい理論を考え出す時にきっと役
に立つだろう。基礎が応用につながるというのはスポーツにもいえることであ
る。野球の一流選手にも言えることである。野球の選手は確かになんか高そー
なマシンを使ってのかっこいいトレーニングにより実力に磨きをかけていって
いるだろう。しかし毎日欠かさずやっていることがある。素振りだ。これは誰
もが最初にやることであるがそれも大切なトレーニングの一つなのだ。
 
 しかし教科書に載っていることだけを信じそこからの発展を考えなかったら
学門の上限が決まってしまう。そんなことではしょうがない。(教科書を極め
教科書大魔王になった人がいればそれもすごいかも(笑))教科書によって学
んだ知識を参考にしながら自分の理論を作り出していくことも大切だと思う。
そうすることによって教科書の裏にあるひらめき・試行錯誤・偶然等がきっと
わかるのだろう。人間の発想は論理的に言うことの出来ないなにか不思議な能
力を持っているのだろう。
 
 教科書によっての学習、自分自身での研究それぞれに利点がある。しかし大
切なのはどちらをやるかでなく目的をはっきりさせることである。「理想に到
達するための手段はまた、理想への到達阻む障害でもある。」という名言のよ
うに障害に負けずに、一生懸命頑張ることが大切なのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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