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始皇帝を読んで
アジサイ の広場
なりあき あそき 小6
 始皇帝とは、中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)に、中国を
初めて統一した秦の王だ。始皇帝を読むと、日本の豊臣秀吉と、徳川家康を想
像する。
 
 始皇帝が生まれた時は、叔父が秦の王だった。始皇帝は、趙で人質の子供と
して生まれ、2歳まで趙で育った。僕は、徳川家康のことを思う。家康も幼い
時から人質だった。でも、ちがうのは、家康のほうが人質の期間が長かった。
 
 始皇帝は、まず韓をほろぼしてから、趙、燕、魏、楚の順にほろぼして、最
後に斉が降参し、中国統一をした。しかし、始皇帝が死ぬ直前に書いた遺書に
は、長男の扶蘇が次の皇帝と書き、軍は将軍の蒙恬にまかせろと書いたのに、
趙高という宦官がにせの遺書を書いて、扶蘇に届けた。内容は、自害させる理
由を書いてから、「自害せよ」と書いた。趙高がにせの遺書を書いた理由は、
始皇帝の末っ子の胡亥の家庭教師だから、扶蘇が次の皇帝になるのはこのまし
くなかったことと、趙高が法をおかした時に、蒙恬の弟の蒙毅が、
 
 「死罪にしろ。」
 
 との判決をくだしたことだ。でも、始皇帝のとりなしでぶじにすんだ。その
後、胡亥が皇帝になったが、反乱がおこった。そして、こうなったのは趙高一
族のせいにしようとしたため、趙高のはかりごとによって、胡亥は自害した。
そして、秦の最後の皇帝は、扶蘇の息子の子嬰になったが、皇帝になってから
46日後に秦はほろんだ。始皇帝が、中国を統一してからわずか15年だ。こ
のようにすぐほろんだことから、豊臣秀吉とにている。
 
 僕は、遺書にしたがって扶蘇が皇帝になれば、秦はこんなにはやくほろびな
かったと思う。それは、扶蘇にたいする人民の人気が高いから反乱はおきなか
ったと思うからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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