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科学における発想と論理
イチゴ の広場
太一 あうけ 中2
 ふと思いついた発想には触れず、データにもとづいた論理的推理を展開する
、これは今までの科学と科学教育の落とし穴である。幸いにして近ごろは多く
の人がそのことに気づき始めたが、コンピュータによるデータの処理・解析が
普通となった今、振り子はまたもとの状態に戻る可能性がある。今大切なのは
、科学も技術も普通思われているのとは異なってずっと人間的なものなのだ。
 
 確かに、僕もそう思う。なぜなら、僕は論理的な人間では全くなくて、ふと
思いついた発想にばかり頼っている人間なのだ。だから、論理的なことを聞く
のは、普通、けぎらいするタイプだ。
 
 数学をやっているときだって、そういうことはよくある。たとえば、数学の
問題をやっていて図形の難問が出てくる。もちろん、まずは考え込む。そして
、いろいろと線を引いていくうちに、ふと、
 
 「この線を使えばできるかもしれない」
 
 と直感的に思うが、しかし、ここからが僕にとっては問題である。直感的に
判断したのはいいが、どうしてこの線を引けばできるのか、それが本当に正し
いのか、という判断が僕にとって一番苦手である。幸いにして近ごろは、図形
を書く?技術が発達し、ちゃんと形のよい図形が図になっている。だから、直
感的に引いた線が正しいかも何となく分かるのである。しかし、最近はそうい
うことがばれてきたらしく、「図形は正確でないことがあります」と下の方に
注釈がつけられている場合がある。そしてそれを解決するために、もうひとつ
、難問を解くときに重要なのは、いままでこうやってはったりをきかせて難問
を解いてきたことによってある種のカンが鍛えられているので、その直感てな
判断が正しいか、それもまたカンで判断する。
 
 というように、人間の多くの行動は直感的に判断しそれを実行する、という
ようなものだと思う。もし、論理的に判断している場合でも、その論理的思考
を始めるときは必ずふと思いついた発想から始まるはずである。要するに、人
間の考えというのは、まず「思いつき」から始まって、そのまま実行する場合
や、「思いつき」から始まり、「論理的思考」へ発展して物事を実行する、そ
の2つの思考のやり方でほとんど人間は行動しているのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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