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バイオテクノロジーと生命倫理
アジサイ の広場
あやの あしわ 高3
 遺伝子の解読や操作技術が日々向上している中で、今バイオテクノロジー(
生命科学)の倫理感が問われている。遺伝子の解読が進み、それら各々の性質
が解明されることで今後様々な分野に遺伝子操作技術が進出し、バイオテクノ
ロジーに関する問題が多く現れてくるだろう。しかし、遺伝子技術の在り方に
は賛否両論である。
 
 例えば、遺伝子の特質が解明されることで遺伝病など、慢性的な病理への治
療法が発見されることに期待が寄せられている。植物などの品種改良が促進さ
れることで農業のコスト削減、生産力アップも実現可能だ。
 
 しかしその反面、遺伝子を操作することによって、どのような結果が後に待
ち受けているのかが分からない、という不安もあり一概には良い面ばかりであ
るとは言えない。現に、アメリカでは「遺伝子組み替えジャガイモ」は普通の
ものと比べて、異常に変形しているとの報告もある。食物などは、味や見た目
には何ら変わり無いとしても、長期的に見て手遅れの結果になりうる可能性も
あるので、今後も十分な監視が必要とされるところだ。その他にも、遺伝子を
操作することは「神の領域」に触れることだとし、自然の在るがままの状態を
保持すべきだと主張する人もいる。
 
 以上のことからも分かるように、この分野は私たちに与える影響が未知であ
ることがほとんどだ。そして問われるのは、本当にこのような科学の発達が人
間の生活に幸福を与えるのか、必要なのかどうかである。確かにこの研究を続
けることで人間を構成する最終的に細分化された要素を知ることが出来、そこ
から膨大な且つ有用な情報が摂取可能となる。しかし人間は自らの欲望の為に
そこまで多くを知りすぎて良いのだろうか。科学者達は実際に自らの研究に対
し生命倫理の視点から節制することをしているのだろうか。私たちはこの生命
科学の権威が氾濫する前に、ある程度の推測可能なところまでは諸対策を講じ
ておくべきだ。
 
 そのためには、全ての研究内容を広く一般に公開し、常に他の権威から監視
されるシステムを完成させる必要がある。科学者も監督者らも内輪の関係者の
みでは最終的には馴れ合い化してしまう恐れがあるからだ。この対策のみでは
、研究者の表現の自由、言論の自由を否定することにも繋がりかねないが、私
たちは将来の生命倫理の在るべき姿について十分に議論する必要がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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