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ユージーン
イチゴ の広場
太一 あうけ 中2
 ユージーンは街の中に障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった
。そして障害者と自然に向き合う街だった。そして、応対も普通の人と同じよ
うな感じで行っている。むろん、東京で私が「大人」扱いされないわけではな
い。しかし、車椅子を押す人が後ろにいるだけで子供扱いされることも少なく
ない。障害者は傷つこうが、自分の責任で「苦境に直面する」、それを「傷つ
けられる権利」と呼んだ。そしてそのことから、障害者はずっと一つのことを
主張してきたのだと思った。障害を1つの属性としてもつ人間を、人間として
まっすぐに見ると。障害がこの自由をどれだけ阻むかは、その時代のその社会
が、障害者をどう位置付け、その中で人と人との関係をどう作っていくかで決
まる。
 
 確かに、いまの時代の日本は障害者をとても大事なもののように特別に扱っ
ていると思う。街中で障害者がいれば人の流れが変わったりする。そんなこと
があるので、障害者に住みやすいように、家の中を移動するときに邪魔になっ
たり、通れなかったり、つまずきそうになったりするところを排除した「体の
バリアフリー」の住宅もできる。そう言う点では日本人の健常者たちはとても
気を使ってくれていいと思う。
 
 しかし、そういうことをして、「体のバリアフリー」を実現させたとしても
、そのまま必然的に「こころのバリアフリー」につながるかといえば、そんな
ことはないと思う。前のように、障害者の邪魔になるものをとことんなくして
は、体はバリアフリーになるかもしれないが、逆に、みんなから離されている
、という印象を持ってしまう障害者だって多いはずだ。障害者だって、体は健
常者と同じではないかもしれないが、心は同じなのだ。だから、障害者だって
安全ばかりの生活を営むより、面白さのある生活を営みたいと思う。そして自
分から自分の意思で苦境に直面して何とかそれを達成した充実感だって味わっ
て見たいはずだ。だから、僕たちは障害者をみてもすぐに助けてばかりしない
で、障害者から助けて欲しいという合図を受け取るまでは普通の人として受け
とめてあげればいいとおもう。
 
 結局、どちらにしても大切なのは、相手の気持ちをわかった上で行動に移す
。それが一番だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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