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信玄餅美味(関係無)
アジサイ の広場
幸子 あさも 中3
 生きもののように焔をあげ、やがて燃えつきて灰になっていくかつての火の
姿には、霊的な生命を予感させる存在感があり、すべての人びとの心に、火の
思い出にまつわるさまざまな感情を呼び起こしたものだったが、そんな火との
対話さえ、最近では次第に忘れられていく。家庭内には電気釜や電子レンジが
現れ、いたるところに真昼のような人工照明の空間が出現している。いまや熱
の機能としての現代の「火」は、一方では飼い慣らされた柔順なしもべである
と同時に、他方ではいつどこで暴走するかしれない不気味なダモクレスの剣と
化してしまっているのである。もっと自然の恐ろしさを考えて生きていくべき
ではないだろうか。
 
 そのためには、もっと自然にふれたらどうだろうか。私は小学校の時、ガラ
ス細工をつくったとき、(といってもミニフラスコとかピペットを作っただけ
)できたてほやほやのガラス細工に触ってしまい、火傷をした。ガスバーナー
が1500度くらいになるのを知らなかったというのもあるが、火に怖さをよく分
かっていなかった。キャンプなどで火を実際におこしてみて、火の起こすのの
大変さ、火の熱さなどを知っておくべきだったのではないだろうか。
 
 その昔、自然の力を目の当たりにしてきたような時代には、事故などを起こ
しやすかったが、その分被害なども小さくて済んだ。川などが氾濫しても、そ
の被害はたかが知れていた。せいぜいまわりが水びだしになるとか、その程度
だった。しかし、堤防を作り川を飼い慣らした気になっていると、ある時ふっ
と暴走し、大洪水になるのである。川はもうおとなしいから大丈夫だと考え、
油断し、近くに家などを建てる。家などが建っているから、被害は更におおき
くなる。全ては“川を飼い慣らした”気でいる事から始まっているのだ。
 
 信長に負けたことで有名な(違う)武田信玄は、治水が上手かった。彼の本
拠地、甲府は山梨県を流れる富士川の上流にある釜無川の氾濫によっていつも
水におびやかされていた。そこで信玄は、上流でわざと水をあふれさせるよう
な「霞堤」を築いた。信玄は川の氾濫の恐ろしさを知っていたから、上手い治
水ができたのである。
 
 確かに自然を手なずけることも制御する事も大切だが、自然の恐さを考えて
生きていくことも大切だ。「寒さに震えたものほど、太陽の暖かさを感じる」
というが、自然の恐さを知っているものほど、自然の利用の仕方も分かるので
あり、自然の恩恵も分かるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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