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敵がいなけりゃ アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高1  

 競争については賛否両論在る。しかしどんな時代でも競争があり、それによってあらゆるものが発展してきたということは確かだ。しかし当然そこにはリ
スクが伴い、さまざまな悲劇を生んだことも確かだ。    

 まず競争のよい点は、相手を作り比較することにより自分のレベルを上げていく。たとえば、産業・商業の分野では顕著だ。新技術や新分野が開拓され多
企業が参入すればそれだけ市場でのシェア獲得戦が加熱する。最近では、デジタル時代へ向けて、あらゆるデジタル機器において激しい競争が起きている。 また、規格が決まっていないでばらばらだと自社の開発した規格を定着させようとして、また競争になる。最近の例なら、デジカメなどで使う記録媒介であ る、スマートメディア、メモリースティック、メモリーカード、との間で競争がある。そしてこの技術競争によって製品はより安く、より高品質になって、 洗練されて消費者に提供される。  

 
 

 一方で醜い競争が存在することも確かだ。純粋に自分の価値なり能力を向上させるために競争するなら、それはよいことだ。しかしそこに憎悪の念や恨み
や妬みを含んでくると、悪質で陰険になってくる。相手を蹴落とすことを生きがいにしたり、ましてや人の命を奪ったりすることを勝利とする競争は、非人 道的かつ残忍であり悪い。たとえば、最近はあまり聞かないが、黒人差別の集団であるKKKのように、差別・迫害・抹殺を行うことを使命とし、勝手に白 人vs黒人と言う競争構図をつくっているやつらだ。尊い命を奪うような競争などしてはなるまい。そういう競争はすでに競争ではなく、戦争だ。    

 このように競争とは、あらゆる能力を向上させる、最も簡単な方法であるといえるだろう。しかしその反面、どこかでその競争に憎悪の念が入ることによ
って憎しみが憎しみを煽り、ついには戦争にまでなる。であるから、競争という土俵にあがる際には、憎悪の感情を一切交えず、あくまでも技術・能力の向 上という目的に添って競争すること、というルールを守るべきだ。このルールを侵すことが、取り返しのつかない惨劇を生むことがありうるという現実を自 覚しなくてはならない。この、見えない一線を見るのは、倫理の目である。だからわれわれは、日ごろから‘良識’を学んでいくべきである。これは、受験 の‘学識’だけではどうにもならない世界なのである。          

 
                                 
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